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【完結小説】「泣いて、笑って、おかえりなさい」 後編(3/3)

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「馬鹿なことを言うんじゃないの。どうせ夢で見た話でしょう? どこに子どもを殺そうとする親がいるのよ」

 その日の午後、父に首を絞められそうになった話をすると、母は一人部屋なのをいいことに豪快に笑った。昔から、人の言うことなすことをまずは否定するのが母。変わらない調子を確認し、これならまだ大丈夫だろうと安心する。

「それにしても」
 母はベッド脇の花瓶に目をやる。

「悠斗が花束を持ってくるなんてねえ。明日は雨でも降るんじゃないかしら? 普段通り、手ぶらで会いに来て良かったのに」

「……親父に頼まれただけだよっ!」

 今までの感謝を伝えるなら早いほうがいい。父の言葉を真に受け、柄にもなく花束を持参したらこの言われようである。こんなに元気なら今日じゃなくても良かったかも。そう思ったとき。

「ありがと、悠斗。ほんとに嬉しいよ。今までもらったどんなプレゼントよりも嬉しい」
 母は言いながら涙ぐんだかと思うと、激しく泣き出した。

「やめろよ、大げさだなあ……。こんなものでいいならまた買ってくるって。だから、泣くなよ……」

「涙が……止まらないのよお……」

 体が、我慢してきた十年分の涙を出し尽くそうとしているみたいに見えた。

 十年……。

 おれはこんなに泣かれるほど心配させたのだと知る。傷を癒やすには短い年月に思えたが、親にとってはきっと、永遠に思えるほど長かったに違いない。

 もっと早くに帰っていれば良かった。せめて連絡だけでもしておけば……。唐突に後悔の念が湧いてくる。

「ごめん……。ごめんな」

 手を握ると、母はますます泣いた。
 母はきっとこのぬくもりを待っていた。十年間ずっと待っていた。もしここに戻ることがなかったら……? そう思うだけで苦しかった。

 十年前、捨てるに捨てられず、そのうちに存在すら忘れていたケータイがこのタイミングで部屋の隅から出てきたのは偶然なんかじゃない。きっと、おれに最後のチャンスを与えるために、神か誰かが恵んでくれたことに違いなかった。

 いま、この十年ではじめて、生きていて良かったと思えた。おれが生きて「ここ」にいることが、誰かの心の支えになると知ったから。

「ずっといる。お袋が元気になるように、おれ、ずっとここにいるから」

 おれの生(せい)が役に立つのなら、この十年、苦しんできたことも無駄ではなくなる。おれ自身も救われる。

「迷惑かけた分、役に立ちたい。おれに出来ることなら何でもする。花だっていくらでも買ってくる。だから、元気になろう。また、あの家で一緒に暮らそう、な?」

 必死だった。母を救いたいからと言うよりも、自分が救われたい一心で。犯した罪を許されたくて。

「ありがと、悠斗」
 母は涙を両腕で豪快に拭きながら言った。

「そうだ。そんなに役に立ちたいって言うならね、一緒に写真撮ろうよ。これっきりかもしれないからね。あたし、とびっきりの笑顔で写る。お化粧するから、ちょっと待ってて」

「これっきりなんて言うな。縁起でもない。これからは何度でも一緒に写ってやるよ」

「だとしても、今、撮りたい」

 母は持参した荷物の中から小さな化粧ポーチを取り出すと、鏡も見ずにクリーム状のファンデーションを顔に塗り始めた。それから慣れた手つきで小さな手鏡を片手に口紅とチークを塗り、眉を描く。あっという間にかつて見慣れた母の顔ができあがった。

 おれはナースステーションに行って一人の看護師を捕まえると、写真を撮って欲しいと頼み込んだ。急なことだったからカメラはスマホ付属のものしかないが、母はそれでいいという。

「体調がいいなら病院の中庭で撮りますか?」
 看護師の提案を採用し、車椅子に乗せた母と外に出る。

「せっかく息子さんと撮るんですものねえ。暑いですが、お日様の下の方がいいお写真が撮れると思いますよ、きっと」

「そうね。どうせ写真を撮るならお父さんも一緒が良かったかしらねえ? どうして一緒に来なかったの?」

「どうしてって、今日はおれが当番で……。って、あそこにいるの、親父じゃねえ?」

 話をしていると、ちょうど病院の入り口に父の姿が見えた。おれは慌てて呼び止め、事情を説明して中庭の母の元へ案内した。

「悠斗に花を買っていくよう言ったはいいが、父さんもプレゼントしたくなってなあ。じっとしていられなくなって、ほら、持ってきたんだ」

「まあ、立派なバラの花束だこと! まるでプロポーズの時みたいね」
「んー、まー……。知佳(ちか)、愛してる」

 そばにいた看護師が「きゃあ、ステキ!」と歓声を上げる。花束を受け取った母は、

「あたしも愛してる、史生(ふみお)さん」
 そう言って顔を赤らめた。

「おいおい、おれは蚊帳の外かよ。写真、さっさと撮ろうぜ?」

 見ているこっちが恥ずかしくなって撮影を急かす。看護師はおれのスマホを構えながらニコニコしている。

「いい家族写真になりそう。こっちを見て下さーい。はーい、チーズ! わあ、とっても素敵!」

 写真を確認する。母も父も今まで見たことのない笑顔で写っている。そしておれも、ここ十年では一番いい笑顔をしたかもしれない。看護師が言うようによく撮れていた。

「これ、あたしの遺影に使って。すごく気に入ったわ」

「お袋はまたそんなことを言うんだから」

「……分かった。必ずそうするよ」

 はぐらかしたおれとは違い、父は母の願いを正面から聞き入れた。その姿は格好良かった。

「……あー、それならおれ、すぐそこのコンビニで今撮った写真をプリントしてくるよ。おれたちが帰っても、写真があれば寂しくないだろ?」

 自分の惨めさを隠すようにそう言うと、おれは走って中庭を出た。

 おれだけが覚悟できていない。おれだけが死から目を背けている。父も、そして母でさえも直視しているというのに。こんな自分が嫌だった。

「変わろう。おれはもう、いい顔で笑えるじゃないか」
 プリントされた写真をじっと見つめ、誓う。そうだ、本来のおれはこんなふうに笑えるんだ。友人の家族写真を羨む必要なんてない。

 色を取り戻しつつあるこの世界が、今は輝いて見える。こんな世界なら、生きていきたいって思う。明日にも希望がもてる。たとえ困難が待ち構えていたとしても。

 プリントした写真を手に、おれは両親の待つ病院へ向かった。



 母の容態が急変したのは日曜の未明。折しもめぐに、遊びに行くと約束した日だった。

 連絡を受けた父は、まだ夜が明けきらない時間だったにもかかわらず、覚悟を決めた表情で用意してあった荷物を持ち、車に載せた。

「悠斗、どうする? 今日は出かける用事があるんだろう?」

「おれも行く。めぐには……これからも会える」
 約束を破るのは心苦しい。しかし、母と生きて会える時間はおそらく残り少ない。

「よし、行こう」
 おれが助手席に乗り込むのを確認すると、父はそう言って車を走らせた。


 病院に到着したときにはもう、母の意識はなかった。呼びかけにも応じず、ただわずかに命を繋いだ状態でそこに横たわっていた。

「おれだよ。悠斗だよ。また会いに来たんだ、いつもみたいに大げさに笑ってくれよ、なあ!」

 しかし母は何も言わなかった。何でもいい、何か一言でも発して欲しくておれは声をかけ続ける。

「そうだ……! また、泳ぎに行こう。昔みたいに。おれの泳ぎ、見るの好きだって言ってたろう? しばらく泳いでないけどおれ、お袋のためなら泳ぐよ。水に入るよ。……おい、なんとか言ってくれよ!」

「悠斗、もうよせ」
 横から父が力強くおれの肩を引いた。

「静かに、最期を迎えさせてあげよう……」

「どうしてそんなに割り切れるんだよ親父は! どうしてこれで最期だなんて言うんだよ! ……奇跡を、信じたっていいだろう! 信じさせてくれよ!」

 ツバを飛ばす勢いで突っかかると、父は眉をつり上げ、おれの胸ぐらをぐいっと掴んだ。

「お前がそんなに母さんにしがみつくのは、この十年、そばにいなかったからだ。お前は、甘えることも貢献することも出来なかった年月を取り戻したいだけだ。いい加減、前を向け!」

 何も言い返せなかった。現実と向き合えずに逃げ回り、ただ無気力に生きることしか出来なかったおれの弱さが、その一言に凝縮されていたからだ。ただただ歯を食いしばり、悔しさをこらえるのが精一杯だった。

 うつむくおれに父が言う。

「お前はもう、嫌というほど後悔してきたはずだ。だったらその後悔を、この先生きてくための糧にしなさい。同じ苦しみを味わう人がこの先現れることのないように、そのために尽力しなさい。死を選べないというのなら、その命を良い方向に使いなさい」

「……出来ねえ。出来ねえよ。おれにはもう、昔のような揺るぎない自信もない。立ち直れると思ったけど、やっぱりおれは弱い人間なんだ」

「ああ、そうだな。本当にどうしようもなく弱い。生かしておくのも嫌になるほど見苦しい姿をしているよ。……こんな姿で恥ずかしいと思わないか? もし奇跡的に母さんが元気になったとして、こんなお前をみたいと思うか?」

「…………」

「勘違いするな。本当に弱い人間なんてこの世にはいないんだよ。痛みや苦しみを経験し、それでも生き続けようという図太い神経の人間が、どうして弱いものか。弱さを盾に逃げるのはやめろ。顔を上げて前を見ろ。お前に欠けているのはそれだけだ」

「…………」

 目の隅で動くものがあった。花瓶に飾られたバラの花弁が落ちたのだった。数日前まであんなに美しく咲き誇っていたというのに、いや、まだ美しさを保っているにもかかわらず、花々はあっという間に散っていく。

 生まれたものはいずれ死ぬ。それは絶えず変化するということでもある。それを拒むなら、死者の世界にいくしかない。しかしどちらも選べないおれは、父のいうように恥ずべき人間であり、精神的に未熟な男だといえよう。

「お袋……」
 椅子に腰掛け、手を握る。この前と同じように温かかった。

 (もし、このどうしようもない、子どもみたいなおれに出来ることがあるとするなら……。)

 必死に考え、心に決める。

「親父。おれ、このままずっとお袋の手を握ってるよ。最後の最後まで」

 十年、音信不通にした罪を償えるかどうかは分からない。母の死を受け容れられるかどうかも分からない。でも、おれには、今のおれにはこうすることしか出来ない。

 父は「分かった。頼むよ」といい、部屋の隅にある別の椅子に腰掛け黙り込んだ。


 祈るように目を瞑る。奇跡が起こるように、もう一度一緒に笑えるように……。

 ――おとーさん。おとーさん。

 どこからともなく、子どもの声が聞こえる。目を開け振り向くと、死んだはずの愛菜の姿がはっきりと見えた。

 何か言いたかったが、どういうわけか声が出ない。立ち上がることも出来ない。そんなおれに愛菜が近づき、微笑む。

 ――おばあちゃんを迎えに来たの。だから、その手を離して。

 迎えに来た? とっさに握る手に力を込める。待て、まだだ。もう少しこのぬくもりを感じさせてくれ。心の中で叫ぶ。
 愛菜は言う。

 ――そんなに怖がらなくて大丈夫。おとーさんならちゃんと生きていける。愛菜や、おばあちゃんがいなくても。

 そりゃあ、もうちょっと一緒にいたい気持ちも分かるし、忘れたくないって気持ちも分かるけど、忘れたっていいんだよ。そんな日があったって、一緒に過ごした思い出がなくなることはないんだから。

 おとーさんはおとーさんの好きなことをしていいんだよ? 幸せになっていいんだよ? おばあちゃんだってそう願ってる――。

 何で、何でそんなふうにいうんだよ?! 何でみんな、罪人のおれの幸せを願うだなんていうんだよ! おかしいじゃないか!

 ――おかしくなんかないよ。生きている人はね、誰でもみんな、幸せを味わっていいんだよ。

 ……愛菜も、おとーさんと一緒にいられて幸せだった。だから、死んじゃってもちっとも悲しくなんかなかったんだ。それなのにおとーさんは心の中でずっと泣いてるでしょ? 愛菜はそっちの方が悲しかったな。

 おとーさんが笑ってる顔、愛菜、大好きだったよ。だから、これからも笑ってて欲しいの。そうしたら、愛菜はもう一度生まれ変われる。神様に頼んで、もう一回おとーさんの子どもにしてくださいって言うの。だからお願い。もう泣かないで。ね?――

 顔を上げ、笑顔で、幸せに生きる。それこそが、愛菜の魂を救うために出来ること。そうすることで、おれ自身も救われる……。すべてが、繋がった。

 ――悠斗。写真を撮ったときの笑顔を忘れないでね。そうね、最期は涙じゃなくて笑顔で送ってちょうだいな。そうすればあたしも安心できるから。――
 
 いつの間にか、愛菜の隣に母の姿もあった。昔みたいにピンと背を伸ばして立っている。

 もうすぐ、逝く時間なのか……。心の中で呟くと、母が小さくうなずいた。

 ――悠斗。人は必ず死ぬのよ。あたしが死ぬのも、愛菜ちゃんが死んじゃったのも自然の摂理。あんたがどれだけあらがったところでそれを止めることは出来ないの。

 だから、自分のせいだなんて思わないでね。罪人だなんて責めないでね。そりゃあ、会えない時間は長かったし寂しかったけど、最後にはこうして会いに来てくれたじゃない。それだけであたしは満足だし、幸せだったわよ。――

 十年も連絡しなかったおれを……許してくれるのか……?

 ――許すって言うか、はじめから罪なんか犯してなかったのよ。あんたの早とちり?―― 

 そうか。おれが勝手にそう思い込んでただけだったのか……。

 ――そういうこと。……あんたに「死んじゃダメだ」って言ってくれたお友達を大事にね。その子のお陰で今のあんたがいるんだし、こうして再会することも出来たんだから。――

 そうだな。うん、大事にするよ。

 ――じゃあ、そろそろ行きましょうか、愛菜ちゃん。――
 ――うん。おとーさん、またね。――

 ああ、またこの世界で、会おう。

 二人の姿が光の球となって窓の外に消えていく。光が消えたとき、母の手の力もすっと抜けた。その手をもう一度しっかりと握って言う。

「さようなら。そして、ありがとう。愛菜、母さんをよろしくな……」

 母の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。いや、それはおれ自身がこぼしたものだった。悲しみは、今はない。涙がまぶたを濡らし、頬を流れていくだけ。おれはそれを、ただただ受け止めた。

 朝日が病室に差し込む。それが合図となったのか、父が立ち上がる。
「……逝ったのか」

「ああ。愛菜が連れて行った。二人しておれに、幸せに生きろ、笑顔でいろって言い残して」

「……そうか。愛菜ちゃんが」
 父は驚くふうでもなくぽつりと言った。

「安心して旅立ったってことは、お前はもう大丈夫だな? 二人が遺した言葉の通りに生きると決めたんだな?」

「……ああ」

 おれは二人の姿を思いだし、声を震わせながら答えた。

 諸々の手続きについて話を聞き、書類が準備できるまで病院のロビーで座っていると、突然、背後から目隠しをされた。小さな手。こども……?
「だーれだ?」
 声を聞いてすぐに分かった。

「この声はめぐだな?」

「あったりー!」

 そう言うとめぐはおれの前に回ってきて、「もうー、ゆーくんったら、うちに来るって約束したのにい!」と頬を膨らませた。親の彰博が困り顔でめぐの横に立つ。おれは顔の前で手を合わせた。

「ごめんな……。この埋め合わせは必ずするから」

「謝るのは僕の方だ」
 彰博はそう言いながら、ふてくされるめぐを抱き上げた。

「君から連絡をもらったあと、めぐには事情を話したんだけど、どうしても会いたいって聞かなくて。君の顔を見たらすぐに帰る約束で連れてきてしまった。本当にごめん」

「いや、おれは大丈夫。むしろ、来てくれて良かったよ」

「えっ、だけど……」

「めぐ。おれにぎゅーってしてくれない? ほら、笑顔になるおまじない」

「あれね? うん、わかった」
 めぐは彰博の腕から降りると、嬉しそうにおれに抱きついた。

「誰だって、大好きな人にぎゅっとされたら笑顔になれるんだよ? ゆーくん、悲しい出来事があったんだよね? パパが言ってたよ。だから、あたしが元気にしてあげるね」

「うん。ありがとう。めぐにぎゅーしてもらったら、何だか元気が出てきたよ。しばらくこのままでいてくれる? たくさん元気を分けて欲しいんだ」

「うん、いいよ」

 めぐにはきっと伝わっているだろう。母を失ったおれの胸の痛みが。だけどおれはもう、後ろを向いたまま生きていくつもりはない。

「笑って生きるって約束したんだ。母親と。それから死んだ娘と。だからおれは、笑顔でいたいんだ……」

「だけど鈴宮……。泣いてる……」


 言われて、頬を伝う涙に気づく。
「おかしいなあ……。さっきあんだけ泣いたのに、まだ出てくるのかよ……。笑ってるのに泣けてくるって、変だよなあ……?」

「いいや。ちっとも変じゃないさ。君の体が欲しているうちは、涸れるまで泣けばいい。本当に涙が涸れたとき、心の底から笑うことが出来るはずだから」

「そうか。泣き尽くせばいいのか……」

「よしよし。あたしがいるから大丈夫よぉ」
 めぐに頭をなでられる。この前、映璃がしてくれたように。

「ありがとう、優しいな、めぐは」

 彼女の優しさにも泣けてくる。いや、これは疲れ切ったおれの心を癒やす涙なのかもしれない。その証拠に、だんだん心が温かくなっていく。

 そのぬくもりは、今朝感じた母の手の温かさ、そして愛菜の優しさを思い出させた。

 めぐの汗ばむほどの熱を感じながら思う。
 生きてるって、あったかい。生きてるって、有り難いって。


エピローグ

 葬儀は父と二人だけで済ませた。母の希望通り、笑顔で送り出すためだ。簡易に出来た分、棺には山ほどの花を手向けた。おれと父からの、最後の贈り物。きっと喜んでもらえたに違いない。

 母の持ち物のうち、結局アルバムは引き取ることに決めた。愛菜のことも母のことも胸の内にしまっておきたかったし、たとえ日々の忙しさで忘れかけたとしても、写真を見ればすぐに思い出すことが出来るから。

「この人がゆーくんのお母さん? すっごくいい笑顔だね」

「ああ……。ひょっとしたら、ここでめぐに会えて喜んでる顔かもしれないなあ」

「ほんとに? ねえ、あたしとどっちがいい笑顔?」

「んー、どっちかなあ?」
 最後に撮った家族写真は、引き伸ばして実家のリビングに飾ってある。それを見ためぐが笑顔対決をしている様子はなかなか滑稽だ。

 葬儀が済んだこともあり、あの日、めぐのうちに行く約束を果たせなかったお詫びと称して我が家に遊びに来てもらっている。めぐが好きだといった、川越銘菓もちゃんと用意してある。

「大勢でお邪魔して、何だか申し訳ないです。うるさかったらすぐにいって下さいね」

 映璃が、おしゃべりなめぐを指でつつきながら父に言った。

「いいえ、賑やかな方がいいですよ。むしろ、悠斗と二人きりじゃ話題も少ないし、子どももいないから気が塞いでしまってダメなんです。これからもぜひ遊びに来て下さい。いつでも大歓迎ですから」

 謙遜でも何でもなく、それが今の父の本音なのだろう。何しろ、おしゃべり好きな伴侶をなくしたあとだ。静まりかえった家にいれば寂しさは何倍にも感じられるはず。おれ一人が口を開いたくらいじゃ、到底埋め合わせることなんて出来ない。やはりここは女の力が必要なのだ。

「えり、めぐ。おれからも頼む。都合のつくときで構わない。オンライン通話でもいい。親父に顔を見せてやって欲しいんだ。お袋を亡くした傷が癒えるまで」

「分かった。……そういう悠はどう? 無理してない?」

 映璃がおれの顔をのぞき込んだ。三人が訪ねてきた瞬間から、ずっとしゃべり通しのおれを見て何かを感じたのかもしれない。

「おれ? さあ、どうかな……」

 映璃だけだったらごまかせただろう。しかしすぐそばには彰博がいる。

「鈴宮。焦ることなんてないんだよ。ゆっくり前進できればいい。大丈夫。君はもう一歩を踏み出したよ。あとは二歩、三歩と歩き続けるだけ。僕はもう心配していないよ。君は変わっていける、ちゃんと」

 やはり、何もかもお見通しのようだ。観念したおれは、テーブルの隅に置いてあった書類を見せた。

「実は、もう一度水泳やろうと思ってさ。スイミングスクールのコーチの仕事を探し始めたところなんだ。でも正直、不安もあって……。彰博の一言で、やっぱりおれ、焦ってたんだなって分かった。そうだよな、少しずつでいいんだよな。ちゃんと自分の中で気持ちの整理がついたら、その時始めてみるよ」

「水泳……」

「ああ。子どもにさ、正しい泳ぎ方とか、海や川の怖さなんかを教えたいんだ。愛菜みたいにさせたくないからさ。……おれが真面目なこと言うと嘘くさいかもしれないけど」

 照れながら語ったが、彰博は微笑みながら首を横に振った。

「君の思いはきっと形になる。僕はそう信じてるよ」

「お前の励ましには感謝するよ。これからも頼むわ。おれ、この家で、川越で頑張るからさ」

 おれがそう言うと、彰博と映璃は顔を見合わせ、にっこりと笑った。

「おい、母さん。悠斗がまた水泳始めるらしいぞ。この家で暮らすらしいぞ。もう一度三人で暮らせるなんて嬉しいなあ。わっはっは!」

 家族写真と向き合い、父は豪快に笑った。その姿はまるで亡くなった母のようだった。

      ――完――

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