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【連載】チェスの神様 エピローグ #川越まつり

 街中がおはやしの音であふれかえっている。
 川越っ子が待ちに待った日。十月の第三土曜、日曜に行われる、川越まつりの初日だ。
 普段から観光客の多い街だが、祭りほど賑わうときはない。
 今日は久々に二人して川越に戻ってきた。高校を卒業してから、都内の大学に通うため、二人で暮らし始めて今年で六年目になる。それでも毎年必ず、お祭りの時だけは帰郷している。
 市内のメインストリートは大混雑。とてもじゃないけどまっすぐ歩けない。そんなことはわかっているけど、「曳っかわせ」が見たくて、夜の街を練り歩く。
 町ごとに山車を一台持っていて、その数はおよそ三十台。そのうちの二十台ほどが市街地を巡行する。山車と山車とが路上で出会うと、山車に設置された舞台でひょっとこや天狐の面をつけた人が舞を競い合う。これが「曳っかわせ」だ。いつ見ても心と体が踊り、「ああ、生きている」と感じずにはいられない。
 いけこまたちも祭りを見に来ているらしいが、見つけ出すのは無理だろう。彼女たちもあれから野上家を離れ、実家近くの一戸建てを購入し親子三人で暮らしている。互いに頻繁に行き来していて、同居していた時よりもずっと仲良くやっているようだ。
 やはり孫の存在は大きく、母もなんだかんだで丸くなった。家を出てエリーと暮らす話を打ち明けたときも「彰博が決めたんなら好きにしなさい。何かあったらいつでも力になるからね」と寛容な気持ちで送り出してもらった。
 もっとも、何もなくてもしょっちゅう電話してきたり、お裾分けと称してあれやこれやの食べ物を送ってきたりと、世話を焼きたがる性分は変わらない。
 母がそうしてくるのも、僕がまだ大学院に在籍していることが大きいと思う。市内の高校のスクールカウンセラーとして就職することが決まっているが、社会に出ていない末息子の心配をしたくなるのが親心というものなのだろう。
「アキ、もうちょっとゆっくり行こう」
 いつの間にか少し早足になっていた僕をエリーが呼び止めた。再び歩き出すと、エリーは僕から離れないよう、ぴったりとくっついて歩き始めた。
 きょうの彼女は、オリーブグリーンのブラウスに、マスタードカラーのスカートという秋色の装い。通勤着が動きやすいパンツスタイルだから、休みの日はスカートでおしゃれをしたいんだとか。
 エリーは大学卒業後、市内の幼稚園に就職して毎日子供たちに囲まれて暮らしている。帰宅後、苦手なピアノを必死に練習している姿にはずいぶん影響を受けていて、僕の頑張りの原動力になっている。
 本川越駅前の通りにやってくると、細道で詰まっていた人たちが分散して歩きやすくなった。歩行者天国になっている路上では、おそらく今日最後であろう、曳っかわせが始まろうとしている。僕らは広い通りをゆっくり横断する。
「そうそう、今度、加奈子主演の舞台を見に行かない? チケット、二人分もらってるの。修士論文を書くのに忙しいとは思うけど、もしよかったら」
 にぎやかな音にかき消されないよう、エリーは声を張り上げた。
「もちろん、行くよ。それに、エリーほど忙しくはないから、そんなに気を遣わなくて平気だよ」
「よかった。加奈子ったら、病気を克服してからものすごく元気で、四十代とは思えないくらいよ。人生を謳歌してる姿を見ると、私も元気になれるの」
「うん。あの演技力には僕も毎回元気をもらうよ」
 都内の小さな劇場で時々、エリーの母親が出演するお芝居があり何度か見に行った。息づかい、衣擦れの音、光る汗や迫真の演技で見せる涙。小さな空間だからこそ間近で感じられるそれは、まさに「今」を生きている人の姿だ、と僕は思う。
「ねぇ、覚えてる? 高校生の時、よくここの駅前で待ち合わせしたよね」
 エリーの言葉に、帰宅する人たちが増えてきた駅の改札口に目をやる。
「うん。エリーはよく、泣いてたよね」
「そうだね。あの時はたくさん泣いた。でももう泣かないよ。今が一番幸せだもの。……この六年でいろんなことがあったね」
「うん。本当に、いろんなことがあった」
 付き合い始めたころからの記憶がよみがえる。
 順調なことばかりじゃなかった。大学受験の勉強をしなければならない時期に、エリーと会う時間を優先しすぎて勉強がおろそかになり、死に物狂いで追い込みをかけた高三の冬休み。なんとか大学には合格したものの、入ったら入ったで、家を出た経験のない二人の新しい暮らしになかなかなじめず、ケンカが絶えなかったこと。数え上げたらきりがない。
 それでも僕はエリーとこうして一緒にいるのが好きだ。同じ景色を見られるのがうれしくて仕方がないんだ。
「ねぇ、ちょっと飲んでいかない? ゆっくり、話がしたいんだ」
 曳っかわせを見ながら提案した。エリーはちらりと腕時計に目をやった。
「でも電車の時間が……。池袋行きの最終は何時だったかな?」
「東上線は23時44分、西武新宿線は所沢乗り換えが23時27分だけど……今日はここ、予約してるから」
 僕は言いながら、プリンスホテルを指さした。「へ?」とエリーは小首をかしげ、きょとんとしている。
「……分かった。そういうことなら飲みに行こうか。明日は休みだし、たまにはそういう日もありかもね」

        ***

 アキから飲みのお誘いなんて珍しいこともあるものだ。とはいえ、今日はお祭りを堪能できて私も気分がいい。ちょっとグラスを傾けながら話すのもいいだろう。
 アキは駅からほど近いバーを選んだ。普段はワインばかりだから、カクテルの飲めるお店ははじめてだ。「話がしたい」と言ったアキはテーブル席を選んだ。
「メニューを見ただけじゃ、どんなカクテルかわからないわ」
「エリーはワイン派だよね。なら、ワインベースに『ビショップ』っていうのがあるよ」
「へぇ。じゃあそれにしてみようかな。アキは?」
「僕はこれ」
 そういってアキは、軽食とともに注文した。
「……カクテルが飲めるなんて、知らなかった」
「んー。実は少し前、鈴宮と会った時にカクテルの飲み方を教えてもらってね。それ以来、川越に来るときはバーに足を運んでるんだ」
「へぇ。悠に教えてもらったの」
「酒癖が悪くて、あとが面倒だけどね。いつも部屋まで連れてかなきゃならない」
「アキと悠がそんな付き合いをするようになるとはね」
「なんせ、大学まで一緒だったからねぇ。いいやつだよ、鈴宮は」
 一緒に暮らしていても、私の知らないアキもいる。なんだか新鮮だ。
 ほどなくして、「ビショップ」という名の赤いカクテルが私の前に置かれた。
 高校を卒業してからというもの、チェスをやる頻度は格段に減ってしまった。あれほど打ち込んでいたアキでさえ。だから、チェスの駒と同名のこのカクテルには懐かしい響きがあった。きっとアキもそう感じているし、だからこそ私に提案してくれたのだろう。アキのさりげないやさしさにはいつも感謝している。
「じゃあ、乾杯」
 グラスを傾け軽くぶつける。澄んだガラスの音が鳴った。
「おいしい……。初めて飲んだけど、カクテルもいいね。私も覚えてみようかな」
「うん。甘いのも多いから、自分の口に合う一杯を探してみるのも楽しいと思うよ」
「アキも甘いの好きだもんね。そっちのカクテルも甘いの?」
「ううん。これはね……」
 アキはそういうなり一気に飲み干した。そんな飲み方をして大丈夫? 少し心配になったが、アキは一呼吸おいてゆっくりグラスを下ろすと私に向き直った。
「……XYZ(エックスワイジー)。このカクテルに込められた意味は……『永遠にあなたのもの』」
「えっ……」
「エリー……。結婚しよう。次の四月には僕も社会人になる。そうしたら……野上映璃になってくれるかな……」
「アキったら……。もう、格好つけちゃって……」
 驚きと喜びとが混ざり合ってどんな顔をしていいかわからない。気づけば一筋の涙が零れ落ちていた。幸い、店内は暗い。すぐにうつむいたから、泣き顔は見られていないはず。
 私はこっそり涙をぬぐって笑顔を作った。
「ありがとう。答えはイエス。私は『永遠にあなたのもの』よ」
「よかった……。ほんっと、よかったぁ……」
 アキはテーブルに突っ伏した。
「ふふ。いつものアキに戻った。返事を聞いて安心した?」
「そりゃあ。だって、結婚することにはこだわらないって言ってたから。半分、賭けだった」
 そう。実は、両親の離婚のことがずっと頭の隅にあったし、アキと一緒にいられるならあえて「婚姻届」を出す必要はないとの考えは伝えてあった。だから、まさかこんなふうに言ってもらえるなんて思ってもいなかったのだ。
「でも……プロポーズされたら嬉しくて。アキのまっすぐな気持ちに応えたくて。……やっぱり、家族になりたい。アキの、奥さんになりたい。……自分でもこんな気持ちになるなんて驚いているけれど」
「ありがとう。……いい返事がもらえたのは、川越まつりのおかげかな。氏神様が僕たちのところに降りて来てくれたのかも」
「きっとそうだね。……私は子供が産めないけれど」
「うん。僕はエリーと二人で生きていくよ。それに、子供に会いたくなったら兄貴たちのところに行くさ。翼君と、もうすぐ生まれる赤ちゃんがいる」
「そうだね」
 アキが無理をしているとは思っていない。だけど、甥っ子の翼君を見守るときの目は優しく、とてもかわいがっているのが分かる。全く望んでいないはずがなかった。
 私自身、幼稚園で子供と接するうち、子供が大好きになった。産めない体だと宣告された時にはあきらめていた「子育て」だけど、私がそうであったように、「養子」を迎えることで産めなくても自分の手で子育てができるのでは、とつい最近考え始めたところだった。
 アキのプロポーズは、私にその可能性を示してくれた。もちろん、今すぐというわけにはいかないけれど、いつか、時が来たら相談してみよう。きっと、アキなら受け入れてくれるはずだ。

 それからアキは、メニュー表にある「ショートカクテル」の中から三杯追加で飲んだ。どれも色がきれいで、私も「ヨコハマ」というカクテルを一緒に頼んだ。そこまではよかったのだけど、だんだんアキの様子がおかしくなってきた。
「エリーちゃん。絶対どこにもいかないでねぇ。絶対だよぉ。僕を一人にしないでよぉ」
「うん、わかってる。だから、もう、帰ろ」
「えー、帰るなんて言わないでよぉ。もっと飲んでいこうよぉ」
「だーめ!」
 子供みたいに駄々をこねるアキをいったんわきに置き、私は会計を済ませた。店内にいたほかの客が、「若いなぁ」なんて言いながら私たちを見て笑っているのが分かった。酒の飲み方も知らない若造が、彼女にたしなめられている姿のなんと滑稽なことか……。赤面したのはお酒のせいだけではなかった。

 店を出る。信号を渡ればホテルはすぐだ。不幸中の幸い。この距離なら何とかなる。
「少しは歩ける?」
「歩けるよぉ。子供じゃないんだからぁ……」
 その様子はまるで子供。思わず笑いそうになる。飲み過ぎた悠を部屋まで送っていくのだと言っていたけれど、あれは実はアキの話だったのかもしれない。
「プロポーズはあんなに格好よく決まったのに、これじゃあ台無しね」
「……こんな僕じゃ嫌いになっちゃう? 結婚したくなくなっちゃう?」
 冗談めかして言ったのに、ここだけ真面目に返されてドキリとする。
 アキだって分かってるんだ、羽目を外しすぎたってことくらい。今日が終わるまで、完璧な自分を演じたかったのにできなかった悔しさをかみしめているに違いない。だけど……。
「しょうもないこと言わないの!」
 子供をしかりつけるように言う。
「むしろ、もっと好きになったわよ。こっちのアキのほうが、人間臭くて私は好きよ」
 お酒の力を借りてプロポーズして、そのお酒に飲まれたんだから情けないったらありゃしない。バカだなぁって思うけど、なぜかそんなアキを愛おしく思う。一緒に暮らしていて、彼のいろんな顔を見てきたけれど、やっぱりちょっと抜けたところが好き。
 アキがありのままの私を受け入れてくれたように、私もアキのすべてを受け入れる。共に生きるって、きっとそういうこと。
「ありがとー。やっぱり僕にはエリーが必要だ。ずっと一緒にいようね……」
「うん。ずーっと、一緒だよ!」
 明日帰ったら、アキのために料理の腕を振るおう。そして、久しぶりにチェスをしよう。彼と向き合い、笑顔を見ることが私の何よりの幸せだから。

              ~完~

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