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睦月、かなしい雪融け

1月中旬のくせに最高気温12℃、という悪魔的な天気のゲレンデに来た。お昼を過ぎると、リフトを1周するたび、茶色い山肌が徐々に広がっていく。人が通過するごとに、表面が磨り減っていくゲレンデを見ていると、なんだか喪失感を味わう。

娘のアイス休憩に寄ったロッジのお姉さんに「だいぶ融けてますね」と声を掛けたら、「かなしいです」という言葉が何度も返ってきた。この「かなしい」という感情、わかる気がする。

たとえば「(ゲレンデの状態が悪くて)悲しいです」とか、「(来場客が少ないから商売あがったりで)悲しいです」とかいう、即物的な悲哀ももちろんあるだろう。スノーリゾートで食っている人たちに、今年みたいな気候は気の毒すぎる。しかし、もう少し根源的な感情でもありそう。

それは、雄大な雪山と照りつける太陽、手の施しようがない大きな自然のありようを前に、せっかくの「楽しい時間」が失われていく無力感とか、ちっぽけな感じとか、諦念が混じった「かなしさ」なんだと思う。その感情を前にしながらも、いま目の前にいる顧客に、いつもと変わらないサービスを提供しながら、「でも来週末にはまた寒気が来るみたいですよ」と期待をつなぐ。

雪の照り返しではなく、融けて水滴となる粒がきらめく斜面。雪を遊びに利用するなんて人間の勝手だけど、ままならない、こんな冬もある。次の寒波は、このゲレンデにどれだけ雪を降らせてくれるだろうか。

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