わたしの話をきいてみた

こころの中のきびしい人の声をきいてみた
そしたらきびしい人じゃなくて
わたしの言うことを聞けばいいの、という人が出てきて、なんだか現実のいろんな人の声に似ていた。
今まで出会った嫌だった人たちの
何が嫌だったかが分かるような気がした。

話を聞いてくれなかった。
それでいて、ただほんわりとそこにいてほしいと言った。
ただそこにいてほしいと言った。
今まで通り、
前、仲が良かったときのように
そこにいてほしいと言った。
わたしの話は聞いてくれなかった。

話を聞いてくれる人を、
人は好むという話をちらっと聞いた。

たしかに
そうかもしれないなと思った。
それを言った人をわたしはあんまり好まないのだけれど
でも、たしかに
今まで私が嫌だと思った人たちはみんな
私の本当の気持ちを聞いてくれなかったな

うわべのやさしいところだけで
ほんとうの時間をかけてぽつりぽつりと話し始めて
辿り着くようなほんとうの部分は
待ってくれなかった。
わたしはたくさん話す。
わーっとうるさい感じではないと思う。
声もわりと小さい。ゆっくり話すほうかもしれない。
言葉にしながら、それよりはこっちの言葉か、とか、伝えようとする。より気持ちに近い方を探して、当てはめて、話したりする。
わたしの気持ちを確認しながら話す。
それをじっくり聞いてもらえることは
とても嬉しいことだ。
急かしたり、遮ったりしないで、
聞いてくれるのはとても嬉しいことだ。
それってつまりこうだよね!ピシャッ
とさっさと終わらせたりされると
結構ショックだ。
ペースの早いてきぱきとした人とは
合わないだろうなあと思う。
だから、これまで仕事のときは割り切ってがんばってきた。
この人はリズムやペース違いそうだなって思ったら、簡潔にする。全部は話さずに1番簡潔で当たり障りのない言葉で伝えてみて、もう一言いけそうだったら、ちょっと踏み込んで言ってみる。
だんだん、
→今日はこの人余裕があるから言葉を選ぶ時間があるかも!
→お、今日はここまで言えた!長めに会話を繋げることができたぞ。綺麗な流れでできたんじゃないか。
→あー今日は言いすぎた、最後のはいらなかった。それじゃなかったんだなあ。

これはもはや会話ではない。
正解探しだ。リズム、ペース、言葉合っていたか、間違っていないか。

ペースや相手に寄せるあまりに
自分は絶対使わないような言葉にあっさり身を預けてしまうことがあり、なんとも後味の悪い思いをする。あれが私はとても嫌なのだ。ほんとうはとても嫌なのに、思いつかなくてぽん!と使ってしまって、ああー好きじゃない言葉だと苦味が残る。

きっと相手はなんとも思っていないし、
そんなことはどうでもよいことなのだ。
世間話のひとつ。なんでもない会話のひとつ。
わたしもそれをずーっとひきずっているわけではないし、そんなささいなことを、と流してしまう。それくらい、いいじゃないかと、それくらい、それくらい。
そういう、それくらいのことが、
たいしたことのないチクッとした苦みが
1日に少しずつあって、
それが1週間、1ヶ月、1年とつづいたら
やっぱり満杯になってしまうのだろう。
定量ってあるんだろう。
それってやっぱり、持続可能なシステムではないってことだ。
それくらいのことが満杯になったときって
自分でも見えないから厄介だ。
なんで、こうなったのか、わからないのだ。
目に見えてそれが溜まっていたら、
とってもわかりやすいだろうね。
ああ、こりゃ嫌だよね、こんなに嫌だったんだねえ、溜まったら気持ち悪いねって
言ってあげられるし
周りの人にもわかりやすいし、
溜まる前に捨てられるね。

自分でもわからないそれくらいのことが
気づかないうちに満杯になっていて
いつかパンッてなったりする。
気づいたら、身体が遠くに感じられたり、
なんだか動きづらくって
呼吸が浅くなっている。

ヨガでチャクラのことについて話を聞いた。
ヨガ哲学では、
わたしたちは呼吸によって目に見えないエネルギーを受け取り、
ナディと呼ばれるエネルギーの通り道を通って身体中に運ばれていて、
チャクラと呼ばれるエネルギーポイントが中心である背骨に並んでいて、
そのエネルギーのバランス、調整をつかさどっている。
チャクラが滞ってしまうと、ナディも詰まってしまうし、エネルギーがうまく運ばれなくなり、身体や精神に影響を与えてしまうのだとか。
わたしには、その考え方がしっくりきた。
目に見えないけど、たしかに受け取ったり、影響を受けているエネルギー。
「それくらいのこと」っていうのは、少しずつ、滞らせてしまっていたのかもしれない、と思うと腑に落ちる。
ここは、まだまだ学びと研究がしたいと思う部分。生きていくとっかかりがここにあるような気がするのだ。なぜ、これくらいで?どうしてこんなことに?と自分にかけてきてしまった言葉を、ごめんね、と言ってあげたいのだ。
周りにどう思われるかよりも、わたしが、そういうわたしだってことを聞いてあげることだった。
わたしが、わたしの話を否定してしまって、こわくて、知りたくないから、聞く前にいろんな言葉を言ってしまった。

わたしはわたしのペースやリズムも
ほんとうのことを知るのがどこかこわくて
知ったらもっと生きづらくなるような気がして。
知ったらめんどくさいなって思ったのもあるかもなあ。

ここから、はじめよう。
わたしのリズムとペースを知るところからはじめたいな。
ハッピーのくれたはじまりを
ハッピーとともにはじめよう。





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