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旧友への興味喪失について内省したこと

この年始、帰省先でのこと。
高校時代の友人のA子、B子、B子の娘ちゃんというメンバーと、デパートの一角にある洒落たカフェで女子会ランチをしてきました。

A子とB子とは高校からの付き合いで、コロナで行動自粛するようになった2020年までは帰省の度に会っていました。コロナ中にはオンラインでおしゃべりする会を年に数回開催、そしてこの年始は実に3年ぶりの、リアル開催が叶ったのです。
オンライン会議で定期的に話していたとはいえ、やはり実際に会って話す喜びにはかえられません。それに自宅リビングでオンラインにつないでも、同じ空間に家族がいてのびのび話せない時も多かった私。
久しぶりのリアル、久しぶりに家族から離れて友人と思い切り話せる。私はとても楽しみにしていました。

ところがこのランチ会を終えて、私はA子への興味を失ってしまっている自分に気づきました。
ランチの後、B子が幼い娘ちゃんを連れて去り、A子と二人で「この後、どうしようか?」と言い合った場面でのことです。
「夕方まで時間あるよ」というA子の言葉に、以前の私なら間違いなく「じゃあ別のお店に行って、二人でお茶しよう」と提案していたと思います。
ランチ中はB子の娘ちゃんが会話の中心となっており、A子・B子・私の大人3人は最小限の近況を共有しただけの状態。A子も自分も、まだまだ話すネタはあるはずなのです。

しかし、私は今回そうしませんでした。A子にお茶しようと提案せず、A子と別れ実家に戻ることにしたのです。
この私の選択は一体、どうしたことだろう。

質問したいことがない
B子が去り「この後どうする?」の場面で私が思ったのは、以下のようなものです。
①A子はいつも、表面的な話しかしないしなあ
②ここ数年、A子には全然変化がないしなあ
③私からA子に質問したいことも、特に思いつかないしなあ
④だったら、これ以上話さなくていいかな。

私は目の前のあらゆる人に対し「この人は何を思っているのだろう」という好奇心が強くはたらき、「この服(小物、髪型等)を選んでいる裏に、どんな理由や思いがあるのだろう」「さっき漏らした一言に、どんな背景や思考があるのだろう」と、気になるひっかかりを見つけては質問をしたくなってしまう性質です。
それなのに、前述の③の通り、私はA子に質問したいことが思いつきませんでした。なぜ思いつかなかったかというと①②の通り、ここ数年のA子に外的変化(パートナーや家族、住居、職場、趣味等)がなく、内面的変化も語られず、

「最近A子はどうなの?」
「うーん、特に変わったこと、ないなあ」
「ヨガは続けてる?」
「ヨガだけは通ってるよ」
「仕事はどう?」
「相変わらずって感じかな」

といった表面的な会話をオンラインで会う度に繰り返す、変わり映えのない数年が続いていたのが大きな理由です。

私から話したいと思わない
B子が去った後、別のカフェに移動して引き続きA子と二人で話すかどうか考えた時、「私の話をA子に聞いて欲しいな」とは全く思いませんでした。
他人への強力な好奇心の裏返しと言うべきか、元来自分の話をしたい欲が湧かない私です。
とはいえ、そのような「放っておくと自分の話を一切せずに相手への質問に終始してしまう自分」を自覚した数年前以降、私は自己開示、「自分の体験や思いを誰かに共有する」アウトプットを意識的にしています。自分の話に誰かからフィードバックをもらう双方向のやりとりに豊かさを感じるから、私からも話をしようと思っているのです。
A子とB子とコロナ中はオンラインでおしゃべり会を開催していたと書きましたが、自宅リビングで家族に遠慮しながらも、家族の前で言える範囲での自分の近況について、外的・内的の両方の変化について二人に共有してきました。
この年始にしても、昨年後半に始めた副業のこと、夫との距離感を変えたことなど私から話せるトピックスはいくつもあり、そうした話題をA子と共有するために二人でカフェに行く選択肢も、あるには、あった。
けれど、私はそうしなかったのです。

それまた、なぜなんだろう。

一つ思いつくのは、今までやってきた「意識的な自己開示」に対するA子の反応が無いように感じられていたから、かもしれません。
元々自分の話をしたくならない私にとって、敢えてわざわざ自分の話を披露するのは、少し勇気を伴います。
「私の話なんて、興味あるんだろうか」
「たまにしか話さない相手との貴重な時間を使ってまで、そこまでして聞いてもらうほどの話なのか」
などとグルグルしてくる思考を振り切り
「あのね、聞いて?」
と思い切って口火を切るのが常です。例えばB子はそうやって話した後には、よく反応してくれていました。
「フェムケアというものを始めた。膣ボールを買って使っている」
と話した1年前のオンラインおしゃべり会の後は
「どういうきっかけでフェムケアのことを知ったの?」
「子どもが赤ちゃんの時からそういう美容についてのアンテナも高かったの?私は今そんな余裕が全くないのだけれど」
といった個別LINEをB子からはもらったのです。
私の自己開示は誰かからの反応を求めてやっていることではなく、あくまで第一目的は自分のため、です。双方向コミュニケーションを望みつつも相手からの反応は期待せず、まずは自分からアウトプットしようとの考えによります。
けれど、こうして興味を持ってもらえれば嬉しいし、思い切って話してみて良かったなあと安堵もします。
ひょっとするとA子も、いつも反応が薄いだけで、内心興味は持ってくれていたかもしれません。私の自己開示に影響されて、何か行動したり考えが変わったりしたこともあったかもしれません。
ただ、それが私に伝わって来なかっただけかもしれません。
A子がどう思っていたのかわかりませんが、私にとってA子は自己開示のやりがいを感じられない相手になっていたから、二人でカフェでおしゃべりしたいと思わなかったのかもしれない、と振り返ってみて思います。

互いに遠慮し合っていたのか
または、こうも考えました。
A子は独身で結婚経験も出産育児経験もないのですが、B子や私の育児の苦労を慮って遠慮してしまい、今までずっと、独身ならではの、独身でなければ謳歌できないような楽しい体験を共有しづらかった、かもしれません。
こちらとしても、30代前半までは「彼氏はできた?恋は?」と恋愛についての話題をA子にガシガシ振っていたものですが、40過ぎたあたりから突っ込めなくなっていました。
お互い遠慮し合って話題を選び合ってしまった状況が続いた結果、心の交信がうまくいかなくなってしまったのが今なのかもしれません。

何の結論も出ないけれど
色々な仮説は思い浮かぶものの、コレだという結論は出ていません。
ただ、以前はA子という人物がすごく興味深く、何時間でもおしゃべりしていた関係だったのは事実で、今は話をしたいと思えなくなってしまったのも事実。
その事実がひたすら、なんだか、残念に思うのでした。

あとがきのようなおしゃべりをしています↓
よろしければ合わせてどうぞ🎵

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