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煙草を吸わない愛煙家

10年以上前に煙草はやめた。
しかし、愛煙家をやめるつもりはない。
少なくとも嫌煙家にはならない。
矛盾するかも知れないが煙草を吸わない愛煙家が居てもよいのではないかと思う。

多くの人生には、煙草なしに語れない時間や風景がある。
僕は村上春樹という小説家の初期の頃の青春三部作といわれる作品群が好きだ。
それは、「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」と「羊をめぐる冒険」だが、これらの作品の中には煙草に関する描写が頻繁に出てくる。
たとえば、
以下「風の歌を聴け」より引用

そんなわけで、彼女の死を知らされたとき、
僕は6922本目の煙草を吸っていた。

引用以上
主人公の「僕」が自分の存在理由を考えるため、すべてを数字で置き換えることに凝っていたとき、3番目に寝た女の子が死んだことを知らされるくだりだ。
これらの物語は、煙草無くして語れるものではない。
実際、村上春樹は「羊をめぐる冒険」を書き終えるまでヘビースモーカーだった。
それ以降彼は禁煙し、マラソンやトライアスロンをやったりしている。
「ノルウェイの森」など、彼が禁煙してからの作品は明らかにそれまでと作風が違っていると思う。
何が言いたいかというと、僕は村上春樹の青春三部作といわれる作品群は、彼が煙草を吸っていたからこそ出来上がったものだということ。
彼が煙草を吸っていなかったらおそらくそれらの作品はできなかったか、違ったものになっていただろうと思う。
煙草なしに存在し得ない映画もある。
「さらば友よ」
共犯関係に口を割らないチャールズブロンソンがラストシーンで刑事に連行されるとき、彼のくわえた煙草にアランドロンが火をつける。
この映画はこのシーン無くして語れない。
そして言うまでもなく、このシーンは煙草無くして語れない。
「スタンドバイミー」
死体を見つける冒険旅行に出た少年4人の友情と成長。
キャンプファイヤでくすねた煙草を吸う。
今は亡き、リバーフェニックスだけがやはり実にサマになった表情で煙草を吸っていた。
このシーンも、この映画とリバーフェニックスの人生を語るときに無くてはならないものだ。
松田優作の「太陽にほえろ!」の殉職シーンで、彼のくわえ煙草が無ければ一体何を語れるというのか。
「理由なき反抗」のジェームズディーン、「ハスラー」のポールニューマン、最近では「コンスタンティン」俳優は忘れたがやたらカッコよく煙草を吸う。
煙草無くして語れない映画は多い。
音楽もそうだ。五輪真弓の「たばこの煙 」、ディランセカンドの「プカプカ」なんて煙草から生まれた曲だ。
エリッククラプトンはコンサートでギターの弦に火の点いた煙草をはさんで演奏していた。
僕はこれらの煙草をめぐるシーンが好きだ。
それらのシーンを愛していると言っても良い。
そして、僕のこれまでの人生にも煙草をめぐる愛すべきシーンがいくつもあった。
僕はそれらをずっと温め続けたいと思う。
決して否定するようなものではない。
その意味で僕は愛煙家であり続ける。
煙草をめぐるシーンを愛するという意味において。
でも、煙草は吸わない。

17才から47歳まで30年間ショートホープ一筋毎日20本程度。
47歳でマイルドセブンメンソールにしたが
毎日40本に増えて逆効果。
48歳で3ヶ月禁煙したが
知り合いの結婚式で1本吸って禁煙が崩れた。
しかし、人間ドックではCOPDの初期という結果だし、
禁煙は待ったなし。
50歳で
「どうせまたすぐ吸い始めるだろう。」と、
いい加減な気持ちで禁煙スタート。
それでもなぜか、機が熟していたのか、61歳の今も続いている。

僕は、
煙草の健康被害は認めつつも、
自らを「煙草を吸わない愛煙家」と称し、
煙草を完全否定できない中途半端な禁煙者。
夏の浜辺のパラソルで飲むビール。沖を見ながら煙草を吸った。
秋の夜長にバーでゆったりと話をした。もちろん煙草があった。
冬のスキー場。晴れた山頂で白い息と共に吐く煙草の煙。
春。近所の川辺で満開の桜を見上げる。こんな時もやっぱり煙草。
巡り来る季節の匂いと共にあった煙草の香り。
彼女にふられた時も、親父が死んだ時も、
採用試験にうかった時も、徹夜で仕事した時も、
結婚した時も、子供ができた時も、
前の仕事をやめた時も、喫茶店を始めた時も、
いつも煙草があった。
煙草が無かったら、果たしてこんな展開になっていただろうか。
全然別の展開になっていたんじゃないか。
かつて、
暴風雨の夜に煙草を切らしコンビニへ買いに走ってびしょ濡れになった。
入院中に点滴のスタンドを引きずって病院から抜け出し路上喫煙した。
大真面目にそうした。
今はもう、そんなことはしなくていい。
でも、そんなことをしていた自分をバカだと笑えない。
煙草はいちばん大事なものだった。
いつも煙草がそばにあったこれまでの人生は、
素敵だったし良かった。
もしも煙草が無かっても、
素敵な良い人生になっていたのかも知れないが、
また全然違う別の人生になっていただろうと思う。
別の人生?
それは、つまり…、
煙草を吸っていなかったなら、自分じゃないような気がするんだ。
良い、悪いの問題じゃなく、自分じゃない気がする。
つまり、煙草は自分の一部だった。
煙草はいちばん近くにあるいちばん大事なものだった。
「我慢の禁煙、つらい禁煙は続かないよ。」
「煙草への未練を断ち切らないといけないよ。」
と何度言われたか知れない。
煙草を崇拝するわけではない。
それどころか煙草の全てはマヤカシだと知識としてわかっている。
されどわれらが煙草との日々。
煙草と共に過ごしたかけがえのない愛しき日々。
単なる幻想?いや、それは違う気がする。
煙草を憎むなんてできない。
今の自分があるのは煙草と過ごしたそれらの日々があったから。
煙草が無かったなら、今の僕はない。
これからも、ずっとその思いは変わらない。
どんなにつらい禁煙でもいい。僕はこれで行く。
もう煙草と共に過ごせないとわかった今、
煙草に感謝して、静かに葬ろう。
「煙草よありがとう。そして、安らかに眠れ。」
この寂しさは、いつかきっと時が解決してくれると信じている。
煙草を憎み、コテンパンにして殺すなんてことはできない。
そんなことをしたら、
「この恩知らず」
と、煙草が化けて出る気がする。
そんな恐いことはできない。
今度吸い出したら死ぬまで吸うだろう。
そして、多分吸える期間はそれほど長くない。
「俺の墓には線香の代わりに煙草を立てくれ。」
なんて豪語するつもりはない。
親父はそう言って今の僕より若くで死んだ。
だから僕は今日も吸っていない。
明日も、吸うつもりはない。
胸にぽっかり穴が空いているようだが、
曲がりなりにもそうやって結果を残してきた。
―そんなにまでして何が楽しい?―
「今は何とも言えない。」
けれど、既に禁煙から新たな展開が始まっている。
―禁煙をめぐる冒険―
いつか、きっと、
「これで良かった。」
と胸を張って言えるはず。

禁煙前、何をするのも実は面倒だった。
末期的には趣味の事でさえも。
日曜大工。いろんな工作や実験。
若い頃は時間を忘れて没頭したはずなのに...。
それらをいつの間にかどうでもよくなったように放置していた。
あれこれをしようと道具や材料は買い込むのに、楽しいはずの作業をしない。
面倒なはずない。
自分の楽しみのはず。
なのに何故ホームセンターや通販で買った材料や道具だけがたまる?
煙草を吸いながらそんな事を思っていた。
次はこれを作ろう、あれを修理しよう、そんな考えやアイデアは浮かぶ。
プランも立てる。
なのに、行動が伴わない。
手足が動かない。
面倒である事を認めたくなかったが残念ながら実際どう考えても面倒だったのだ。
それが今ではどうだろう。
考える前に作ったりしている。
失敗してもすぐにやり直す。
考えるよりもむしろ手足が先に動く。
それは日曜大工にとどまらない。
晴れれば外に出て走りたくなる。
走りすぎて足が痛くなればお酒も控えようとする。
以前の自分が今の自分を見たら言うだろう。
「おまえ、そんなに走って酒までひかえて、どこに行きたい?」
どこに行く?そんな事は考えていない。
ただ、運動したり、物を作ったりするのが楽しいからやっているんだ。
目的地はわからない。
どこに行けるのかわからない。
どういう展開になるのかわからない。
だから予期せぬ発見や出会いがある。
冒険みたいに楽しい。
「全ては禁煙から始まった。」
ランニング、ジョギング、DIY、Youtube、掃除、整理整頓…。
煙草を失ったことと引き換えに新たな生活がはじまった。
全ての冒険は禁煙から始まる。
ビバ!禁煙をめぐる冒険。
素晴らしい完了の象徴であった煙草も末期的には僕を怠け者にした。
煙草を吸えば、何も完了していないのに完了したような気分になった。
それは良くない。
だからもう煙草は吸わないと思う。
そして今の生活。
全ては禁煙から始まっている。
しかし、煙草は忘れられない。
それでもなお、僕は愛煙家。
振り返ってみれば、これまで人生の節目に必ずうまい煙草があった。
一番うまかった煙草はどの1本だった?
これから書く話はものすごく長い割には大したオチもないのでここに来られる方がもしいらっしゃったら、お暇な時に読んでいただければうれしいですが...。

いろいろうまい煙草があったが、一番の1本は、
前の仕事(公立中学の理科教師)をやめた時の1本だった。
浮かんでくる光景は20年ほども前。
季節は今頃か少し前だ。
最初の春の匂いがした。
その日は離任式でちょっとした花束をもらった。
校門のところで式に出た人としばらく立ち話をした。
離任する人は、僕以外全員転勤だったと思う。
離任式は新年度4月の始業式前に行なわれる。
春休み中だから生徒も自由参加みたいな感じ。
やめるのは簡単だ。
誰も引き止めない。
引継ぎも依頼されない。
皆は一通り挨拶程度に話をした後、大した感慨もなく、三々五々車や徒歩で校門から出て行く。
転勤の人なら場合によってそのまま着任校に向かう。
僕は、車のドアを開けるためにポケットの鍵束を出した。
車の鍵や家の鍵や自転車の鍵やそんなものが一緒になった鍵束だ。
その中に当たり前のように、理科室の鍵と理科準備室の鍵があった。
- おっと、これは次の理科の先生に渡しておかないとな -
離任式の時点で僕の代わりの先生はすでに着任していた。(多分その人の前任校の離任式は別の日なのだ。)
次の先生と面識は無かったが、ついでに理科室の備品や消耗品の場所や状態についても説明してあげた方が親切だなと思った。
その人が望むなら休憩室でコーヒーでも飲んで、いろいろ話をしてもいいし。
僕はそれまでいつもしていたように、職員玄関から2階の職員室に向かった。
階段も廊下も自分の家のように見慣れている。
何の違和感も感慨も無い。
日常の行動。
まあ、鍵を渡したら一言二言しゃべって帰ろうかな。
そんなことを思いながら普通に歩き、職員室の引き戸を普通に開けた。
すると、教務主任の席から数年先輩の先生があわててやって来て僕に言った。
「いるかさん、今から会議なんで...。」
僕はニコニコして、
「先生、今年から教務主任ですか。今度の理科の先生はどこですか。」
と言ったが、教務主任の先生は困った様子で
「もう、会議始まるんだよ。何?」
と言った。
僕を職員室に入れたくないみたいだった。
僕は完全に外部の人間だからか。
まあそうだな。
少し前まで普通にこの部屋でしゃべってたんだけどな。
「理科室のね、鍵を渡そうと思ってね。」
と僕が言うと、
「あ、そう。じゃあオレが渡しとくよ。」
と教務主任さんが言った。
僕は咄嗟に、理科室の鍵だけを渡して
「じゃあ、お願いします。失礼します。」
と言った。
教務主任さんは、
「うん、わかった。それじゃあ。」
と言ってさっさと職員室の引き戸を閉めた。
引き戸が閉められる直前に、かつての僕の席に座っている男の先生の後姿がチラッと見えた。
同じような年齢かな。
現役バリバリの年齢だ。
背筋がしゃんとしている。
僕は階段を下りて職員玄関の方には行かず、左側にある理科準備室に向かった。
どうしてか?
理科準備室の鍵は渡さなかったのだ。
普通に鍵を開け、ドアを開ける。
真ん中に卓球台ほどもあろうかという巨大な実験台がある。
メラミン化粧版の天板が黒光りしている。
上には何も無い。
実験をするには何も置いていない机が必要だ。
実験がさかんに、頻繁に行なわれている理科室の机の上には何も置かれていてはいけない。
実験が終わった後、全ての物が完全に片付けられて在るべき所に再配置される。
整理整頓だ。
そのポリシーだけはしつこく守った。
人体模型、天体望遠鏡、まわりの棚には、薬品、ガラス器具、顕微鏡、標本、オシロスコープ、誘導コイル、クルックス管...高い天井までぎっしりと備品が鎮座している。
身辺整理で私物は全て処分した。
きれいに掃除した。
灰皿も捨てた。
自分の跡形は何もない。
奥の窓から陽の光が斜めの光線になって射し込み、床に窓枠を映している。なぜか花束を持っていた。
離任式で渡されたものだ。
手に持っていた花束を実験台の真ん中に置く。
ガラス器具の棚からシャーレを取り出して花束の横に置く。
シャーレを灰皿にすればいい。
ズボンの左のポケットからショートホープとジッポーを取り出す。
新しい箱だ。
赤いセロハンの帯を回す。
内箱を1cmほど引き出して銀紙を切る。
1本取り出して口にくわえ、スターリン・シルバーのジッポーを近づける。
蓋が開くか開かないかの瞬間に器用に石を擦って点火する。
ポッという小さな爆発音と共に大きな火が煙草の先に当たる。
最初の一服で火をつけるが、それも深く吸い込む。
煙草の香りにかすかなオイルの香りが混じる。
カチンという派手な音をさせてジッポーの蓋を閉める。
陽の光に向かってゆっくり長く煙を吐く。真っ直ぐの光線が煙で型取られる。
そのように、たっぷり5分以上かけて煙草を吸った。
僕はシャーレで煙草を消した。
フィルターギリギリまでうまい煙草だった。
その横に、理科準備室の鍵を置いた。花束も置いた。
そんなことは一度も無かったが最後に施錠せずに理科準備室を出た。
終わったなあ、と少し感じるものがあった。
もう一生、二度とここには来ないと感じた。
完了というような成就感のある終わりではない。
長いリーグ戦を締めくくるキックをはずし、肩を落としてノーサイドのホイッスルを聞くような、シケた感じだ。
終わりだ。
もう来る事もない。
やることも何も無い。
ただ、煙草だけがポケットにあった。
こいつは裏切らない。
車に乗って家に向かった。
途中、近所の喫茶店のアルバイトの募集の貼紙があったのを思い出し、訪ねて行った。
その喫茶店の店主は、スーツを着た僕を怪訝そうに見て、「おたくが?」と言った。
「はい、貼紙してあるんで...。」
と僕が言うと、業界用語(何か忘れた)を知っているか聞かれ、僕が知らないと答えると、店主はそのまま店の奥に引込んでしまった。
僕は10分ほど立って待っていたが相手にされていないとわかったので車にもどった。
その辺の公園で車を止め、中1の教科書に載っているハルジオンやタンポポやカタバミやその他にどんな雑草が生えているか観察し暇をつぶし昼頃家に帰った。
多分その日の夜だと思うが、配電盤についての文章を書いた。
下の文章だ。
 ★
配電盤について語る。
1973年のピンボール(村上春樹著)の中で、雨の日に僕と双子が古くなった配電盤を溜池に捨てに行くシーンがあった。
多分集合住宅の電話の配電盤だ。
配電盤というのは、さまざまな線が繋がりそれらの関係を司るものだ。
配電盤を中心に複雑な関係が構築されている。
しかし、配電盤が古くなったら交換する。
なぜなら、配電盤は他の所にもたくさんあって、信頼性の低い古い配電盤から交換していかないとシステム全体に悪影響を与えかねないからだ。
交換は簡単なことだ。
線を切る。
古い配電盤を取る。
新しい配電盤を置く。
線をつなぐ。
それでおしまいだ。
 しかし、古い配電盤は行き場を失う。
古い配電盤は死にかけていて、繋がれていた線もすべて切られてしまったのだ。
別の線を繋いでそれらの関係を新しく構築するには古くなりすぎたしシステムは古い配電盤なしで既にフルに機能しているのだ。
それでも古い配電盤を死なせたくない。
だからといってどうすればよいのだろう。
たしかに雨の日に溜池の底に葬るしかないのかも知れない。
 古い配電盤にも配電盤としてのプライドがあった。
駆け出しの頃は少し戸惑ったが、与えられた仕事を地道にこなし、複雑に入り組んだ回線の関係を熟知するようになり、慣れるにしたがって作業は速くなり、かすかな信号でも線と線を的確に結び、その仕事振りは職人技と言われるまでになった。
他の配電盤や繋がっている回線からも尊敬されるようになり、お中元やお歳暮までもらうようになった。
古い配電盤は自分の能力がシステムを維持するために不可欠であると考え、誇りを持って仕事をした。
自分が今、配電盤をやめてしまったら大変なことになる。
なぜならこれだけの仕事ができる配電盤は自分以外にないはずなのだから。
そんなふうに思いながら少しずつ老朽化していく体に鞭打って日ごとに複雑化していく線と線の関係を懸命に維持しつづけた。
交換は、唐突だった。
あっという間に自分に繋がっていた線がすべて切られた。
古い配電盤はあっけにとられた。
いとも簡単に線が切られた。
古い配電盤は慌てたけれども、次の瞬間冷静さを取り戻した。
新しい配電盤に引継ぎをしなければならない。
自分の今までの経験から学んだ多くのコツのようなものを新しい配電盤に伝えておかなければならない。
そうしないと新しい配電盤は戸惑うだろう。
ひいてはシステム全体にもトラブルが生じかねない。
最近になってやっとつかめたことだが、赤い回線からの信号は一呼吸置いてから他の回線に繋がないと時々パンクするんだ。
それ以外にも大事なことはいっぱいある。
だから、時間もないし、かいつまんで要領よく説明しようとした。
しかし、説明しようにも取り付けねじがはずされて古い配電盤は床に放り出されてしまっていた。
「一つだけどうしても伝えたいことがあるんだ。これは個人的なことなのだけれど、黄色の回線に頼まれていたことがあるんだ!」
と古い配電盤は叫んだのだが、既に新しい配電盤は古い配電盤の何十倍ものスピードで仕事をテキパキとこなし始めていたし、古い配電盤の話を聞いている暇もないようだった。
古い配電盤は溜池の底に沈んでいく自分の体が空っぽになってしまったように思えた。
溜池の底についたとき、自分に向かってくる信号はもう何も無いと感じた。
自分が繋ぐべき信号はこの先もう何も無いのだ。
古い配電盤は自分の体が自分のものとは思えなかった。
形はあっても何も無いと思った。

前の仕事に関して、僕の代わりをできる人はいくらでも居た。
僕がやめたところでシステムには何の影響も無い。
突然ではなく、きちんと手順を踏んでやめれば、誰も困らない。
全く。
それは、当然と言えば当然だ。
いい歳をしてそんなこともよくわかっていなかったなと苦笑した。
仕事の関係において、システムは僕にしかできないようなことは全く要求しなかった。
逆に僕にしかできないことはしない方が良いようだった。
人物とかの事を言っているのではない。
僕が世界に一人しか居ないのはわかっている。
仕事のことだ。
システムが求める、僕と同等以上の仕事ができる人は巨万と居る。
しかし、逆に僕からその仕事を取れば僕には何も残っていなかった。
陸に上がった河童?教員免許なんてあっても何の役にも立たない。
公務員は失業が想定外なので当然に失業保険は無い。
思いつきでアルバイトしようとしても甘いもんじゃない。
相手にもされない。
自分を何様だと思っている?
門前払いが関の山だ。
雑草の名前を覚えていても1円も稼げない。
そんなこと、やめて初めてわかってどうする?
現実はそういうことなのだ。
すでに、何も無いということと、二度ともどらないということ。
つまり終了したということを理科準備室の最後の煙草が教えてくれたと思う。
それは、終わりの1本だったし、旨い1本だったし、今でもかけがえのない1本だったと思っている。
誤解を恐れずに言うなら、教師としての僕が、煙草に引導を渡された形だ。
君には勤まらない。
静かに終わりを受け入れなさいと。
あの終わりがあったから、次のことをはじめた。
今の自分があるのはあの煙草があったからなのだ。
「何が言いたい?」
延々と煙草を賛美して「ビバ! 煙草。」とでも言うのか?
まさかそんなことを言うつもりはない。
僕は、禁煙当初から自らを煙草を吸わない愛煙家と称し、煙草を完全否定していない。
煙草と共に生きてきた過去を否定したくないからか?
そうとも言える。
しかしそれだけではない。
禁煙するということは煙草と別れる事、禁煙に成功するということは煙草を葬る事だと思う。
つまり煙草を死なせること。
できれば煙草には安らかに眠って欲しい。
だから僕は逆に、こう思うんだ。
こてんぱんにやっつけて煙草を殺してしまったら、煙草は怨念を抱えたまま成仏できずに化けて出て来るのではないか。
そうなったら今度こそ、太刀打ちできないのに決まっている。
そんな恐ろしいことはできない。
第一、これまで仲良く付き合い、事ある毎にお世話になっていた煙草に対して、ある日突然掌を返したように叩きのめして死なせてしまったら
罰(バチ)が当たるのではないか。
もっと煙草を丁寧に見送るべきではないのか?
今度は僕が煙草に引導を渡す番だ。煙草の魂を鎮(しず)めるために、煙草への感謝を込めて、
「これまで本当にありがとう。煙草よ、安らかに眠れ。」
そう言って雨の降る深い溜池の底に煙草を葬るのだ。
つまり僕は煙草の鎮魂のために、延々と日記を書き続ける。
僕は耳にタコができるくらいに
「禁煙を成功させるには、精神的な依存を克服しなければならないよ。」
と言われた。
煙草に対する憧れなどをいつまでも引きずっていると
「進歩が無い」
と言われた。
確かに僕は禁煙に関して、1年を過ぎた頃から特に進歩をした自覚がない。
ただ日数を延ばしているだけ。
精神的依存にいたっては初めから全く進歩していない。
つまり愛煙家。
でも禁煙日数を延ばすことはできるのだ。
今となってはつらくもない。
いまだにつらかったらおかしい。
何が言いたいかというと、煙草に関しては
「精神依存なんてどーでもいい。」
ということ。

ただ単に今吸わない。

それを繰り返せばいつまでも禁煙できるし、長く禁煙すればするほど楽になっていくし、禁煙がやめられなくなる。

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