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サンタに憧れ続けた私が、サンタになっていくこと

サンタクロースのこない家で育った。

「うちは仏教だからサンタさんは来ないのよ」
というのが母の言い分で、子どもなりに納得はしていた。

納得はしていたけれど、サンタさんには来て欲しかった。心の底から。

小6の頃、学校の前で配っていた聖書をもらってせっせと読んだのも、「塩狩峠」や「沈黙」を分からないなりに必死に読んだのも、
「キリスト教徒になればサンタさんが来てくれるかもしれない」という下心があったからだ。

あまり余裕がない家だったからだろう。
親から誕生日プレゼントをもらった記憶もなくて、綺麗な包装紙に大きなリボンがかかった「プレゼント」に、相当な憧れをもって生きてきた。


サンタがこない家で育ったせいで、かなり長いあいだサンタを信じてもいた。

毎年テレビで放送される、「今年もサンタが出発しました」というニュースのせいだ。
「うちには来ないけど、よそには来てるんだろうな」と思っていた。

「サンタさんはいません!パパとママでした!」みたいなハッキリとした種明かしがなされなかった漠然とした憧れは、子どもが生まれた今でさえ私のどこかに残っている。


去年、2歳になった息子にはじめてクリスマスプレゼントを用意した。

「うちにもサンタさん来なかったよ」という夫と、どこかぎこちなく準備をした。
プレゼントは、息子が欲しそうにしていたキックバイク。
朝起きて、まだ状況がよくわからない息子に「サンタさんきたね!」と横からワイワイ盛り上げた。

息子は突如現れたプレゼントにびっくりしながら、サンタさんが来てくれて嬉しい、というよりは両親がやたらとサンタサンタというので一緒に楽しくなってみた、という様子。

肝心のキックバイクも乗ってみると本人が怖がり、進めない息子に夫がいら立ち、反発した息子が「もう乗らない!」と泣く始末だった。


なんだか、うまくできなかったな。

幼い頃から熱望し焦がれていた一大イベントが終わった夜、私はしょっぱい気持ちで眠りについた。
空回りした徒労感は、アウェイの飲み会に参加した帰宅後ひとり反省会をするのにどこか似ていた。

実はこのnoteも、書きかけてアップできずに寝かされていた。
しょんぼりして、がっかりして、だけどそれを誰かに話すでもなく。余韻に浸ることはなく、そのまま慣れ親しんだ日本のお正月に気持ちを向けた。

今年、息子は3歳になった。
息子がプレゼントに選んだのは「都営バス」。西松屋で見かけて一目惚れしたのだ。

「レッカー車じゃなくてもいいの?」
「消防車もあるよ?救急車もあるよ?」
と何度確認しても都営バスの一点張り。ちなみに住んでいるのも都ではない。

(子どもが抱えるとなかなか存在感がある大きさではある。)


正直、これでいいのかなぁ、という気持ちもあった。
クリスマスか誕生日でないと買ってあげないような、たっかいオモチャでもいいんだよ。サンタさん、結構太っ腹なんだから。

とはいえ何度確認しても「とえいばす」というので、12月も中旬に入るころには準備をした。万が一、日本中から都営バスが売り切れたら目も当てられない。

サンタリベンジ。
本人が欲しいものが一番だ。私はただ、大興奮で部屋中よろこび回る息子が見たいだけなのだ……。


果たして、息子は無事「都営バス」を気に入ってくれた。

日曜日の朝、ニコニコしながら4つ用意した包みを開けていく。
息子の都営バスと、ピアノ絵本。
0歳の妹のおきあがりこぼしと、しかけ絵本。

ひとつずつ楽しんだ後は、ひたすら床にねそべってバスを走らせ、お出かけにも抱えていき、ご飯のときも一緒に食べた。
週明けの今朝も、保育園の教室の前まで抱えて行った。


ひとまずサンタ業は無事完了。
今年は何か怒るようなこともなく、平和に一日が終わっていった。

なのに、どうしてだろう。

私の心の中には今年もまた、不完全燃焼のような気持ちがくすぶっていた。

12月に入ってからサンタに手紙を書いたり、クリスマスソングをかけたり、「サンタさんたのしみだねぇ」と毎日のように刷り込んだ。

息子も「ママもいい子にしてないとサンタさん来ないんだよ!」なんて言ってきたりして、それなりに楽しみにはしていたみたいだけれど。なんだかんだ、今年もやっぱり「楽しみにさせて」しまった気がする。

ご飯も、クリスマス感が出るかと思ってケンタッキーのバーレルを用意してみたけれど、息子はいつもの私のから揚げのほうがよかった様子。
ケーキも生クリームのほうが好きそうだったなあ。

まだ日付感覚もあまりないから、アドベントカレンダーみたいなのがあったら良かったかな。

近所のおうちのクリスマスツリーを触りたがっていたから、いつかうちにも用意したいな。

ぽつりぽつりと反省点が胸中に浮かぶ。


どうしてこんなに「クリスマス」に求めてしまうのか。その答えはもうお察しの通り。
自分が30数年間うまく味わえなかったものを、半ば昔の自分のためにしたいのだろう。

12月に入ったら、ツリーを出して、飾りつけをして。
サンタさんに手紙を書いて、毎日楽しみにして。

24日の夜には、スペシャルなご飯をたくさん食べて、ドキドキしながら眠りにつく。

朝、ツリーの足元には大きなリボンのかかったプレゼントがいくつも置かれていて、とっても欲しかった何かが手に入る。


思えば、私はかぎばあさんにも随分憧れてきた。

鍵を忘れて家に入れない鍵っ子の前に突然現れ、持っている鍵の束でサクッと鍵を開けてくれたうえ、とっても美味しいご馳走をパパっと作ってくれる素敵な素敵なかぎばあさん。

見知らぬ第三者が突然現れて、実はずっと見守っていたのだと教えてくれる。
特別なプレゼントを用意してくれて、自分の気持ちを癒してくれる。

かぎばあさんもサンタクロースも、私にとってはそんな憧れが詰まった存在だった。



もしも自分の子供たちが、このままクリスマスやサンタクロースを「欲しいものがもらえる日」という単純な位置づけで捉え続け、
きらめくイルミネーションにも、浮足立っていく周りにも複雑な気持ちを抱えることなく、
そんな物語に特別な熱望も抱かず成長していったなら。

それはそれで、親としてはとても喜ばしいことなのかもしれない。



「来年はちゃんとご飯つくろうかな」

昨晩、あまり食べない息子を傍目に、大好物のケンタッキーフライドチキンを3本も食べながら私は思った。

「え、いいじゃないこれで。ケンタッキー好きでしょ?」
と夫は言ってくれたけれど。

クリスマスバーレルもまた私の中にあった憧れのひとつで、この場で一番バーレルを買いたかったのは自分だったのだと気づいてしまうと、もう来年も欲しいとは思えなかった。

「息子、サンタは親だって気づくの早いタイプかもしれないよね」
と夫が言う。

確かに息子はとても目ざとい。
大人同士の会話をしっかり聞いていて、ときに慌てるような質問をする。
適当にごまかそうとしても、自分が納得するまで「なに?」と追及してきたりもする。

「確かにね。ボロが出たらすぐにバレそうだね」

来年には、息子ももっとサンタクロースをしっかり認識するだろう。
小学校に上がるころには、早ければ気づいてしまうのかもしれない。

気づいた後も妹の前では黙ってもらうよう協力してもらうとしても、我が子たちがサンタクロースに胸を躍らせるクリスマスは、あと10回もないのかもしれない。そう思うと。


来年はもっともっと、クリスマスを我が家に最適化して楽しませてあげたい。

自分の中にあった「クリスマス」の様々な怨念に拘泥しているなんてもったいない。

息子と娘の好きなご飯でテーブルをいっぱいにして、12月をまるごともっと楽しみたい。

子どもたちが大人になってからも、気持ちの中に温かく、キラキラしたものが残るように。

たとえ一人で過ごすクリスマスを寂しく思う年があっても、そのさみしさに、嬉しい思い出が打ち勝つくらいに。

子供たちがいつか巣立って、クリスマスなんて何でもなくなってしまった後も、私の中にたくさんの楽しさが思い出されてくるように。



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