エモいのが苦手 - ロンドン封鎖日記 第2波 #3
バズる秘訣は共感!様々なアプローチで人々の「感情」に訴えて、様々な種類の「感動」を起こさせる事!
あるあるネタとかみんなが大好きな流行りネタ、泣ける・怒れるエモいストーリーを繰り出して「私も同感!私と同じ!」というリアクションを引き出せれば成功です。更に「みんなもそう思うでしょ?」てとこまでいければ、もうlikeとリプとRTの嵐でバズ大・成・功☆☆☆
実はそれは別に新しい事ではなく、太古の昔から人類が行ってきた当たり前のコミュニケーションでもあります。そしてそれが過多になると忖度やポピュリズムを引き起こします。
ロックダウン下で世界情勢ニュースとかを眺めつつ、最近はどこもそんなんばっかだなあと思い巡らせてたら、ひとつ気付いた事がありました。
どうやら僕はエモいのが苦手です。「共感覚/エンパシー☆」なんてのを主題に置いた漫画描いてるのにも関わらずです。比較的エモさん人口が多いと言われるnoteに書いているのにです。色々間違ってます。
感情的な僕ら
僕はコミュ障な部分もありますが、決して無感情で鈍感な人間ではありません(自分で言う)。人の感情の動きには敏感だし、割と常に洞察していて察知も早い方です。その前後をおもんばかる想像力だって経験だって人並以上に持っています。むしろ共感力の高い繊細さんなのです。なんせア〜ティストですから(自分で言うしかない)。
大勢で感情を共有できた時の連帯感の気持ちよさ、安心感や高揚感、心強さだって知っています。共感を否定するつもりなど毛頭ありません。なのにエモが苦手。では何が問題なんでしょうか。思うに僕は感情と同じだけ理性を大切にしているから、エモだけに傾倒したアクションが苦手なのです。
感情というのは初動が早いものです。「痛い・熱い」といった体の反射活動の直後にやってくるのが「ヤバい・怖い」といった感情です。そして数秒遅れで「大丈夫・大した事ない」といった理性がやってくる訳です。
つまりエモ段階でのリアクションは、「実態が何なのか」を理解する前の行動だという事です。それが連続し伝播すると往々にしてパニックを引き起こします。数ある感情の中でも特に恐怖と怒りの伝播は爆速で、コロナ禍のような状況ともなれば一瞬でトイレットペーパーが無くなったり、それについて大炎上したりします。※ちなみにInside Outの僕の推しキャラはSadnessです。
共感への欲求、所属・連帯で気持ちよくなりたい、肯定・承認されて安心したい、それは社会性生物にとって生命維持に関わる大切な能力です。合図も無く同時に一斉に飛び立つ鳩、乱れる事なく集団行動する羊や鰯。集団に属していたい、安全でいたいという欲求は僕らの防衛本能でもあり、ごく自然で単純なメカニズムなのです。理性の存在を無視すればの話ですが。
理性的な僕ら
鳩や羊や鰯と違って、僕ら人間には理性があります。それが物事を100億倍複雑にするのです。自分の、他者の、その集団としての感情と理性が絡まり合って、様々な混乱や衝突を生み出します。
鳩の社会に同調圧力や村八分的ないじめがあるのかよく知りませんが、人間社会で誰もが感情のままに行動すれば衝突だらけになる事を、僕らは理性で理解しています。だからエモ段階でのリアクションはできるだけ避け、数秒後の理性の到着を待つ訳です。それが人間社会で生きるための処世術でもあります。
※ちなみに余談ですが、人間はとても賢いので、混み入った案件の場合は一旦感情部分を切り離して、理性100%でMr.スポック並の論理思考を巡らせる事も可能です(多少の訓練は必要ですが)。ただそういうプロセスから生み出された理論は大抵倫理的にヤバいので、話す相手を選ばないとドン引きされます。僕のパートナーはエモ寄りなので、僕はちょいちょいサイコパス認定されます。※
しかしネット上では、その処世術が不要だと勘違いしたエモ反応が大暴れしています。理性的に考えれば「そんな訳ないじゃん」とすぐ解る事ですが、なんせ理性到着前のエモ反応なだけに、やらかす人は後をたたず、そしてそれが連鎖してゆきます。
更に今度はそこへ超理性的な人達がやってきて、そんな感情的な人達を操作して合理的に利用し始めます。
合理的な僕ら
僕も仕事でプロモのために、オーディエンスアナリティクスに則って、バズ狙いの流行りネタを投下して何度かプチバズゲットした事があります。トランプ当選の時もCambridge Analiticaがちょっとした問題にもなりましたが、最近のITビジネスでは独自のアナライズ機構を持っているのは極めて普通の事です。それはまさに「理(利)にかなった」行為であり、マーケティングにおいては最も基本的なプロセスで、別に悪いことでもありません。たとえステマであっても、それが誰も傷つける事なく誰かを幸せにできるのであれば素晴らしい事だと思います。
ただそれが僕自身を幸せにしたかというとかなりビミョーです。多少の達成感はあったとしても快感はない。虚しい。特に楽しくも嬉しくもありません。他者に合わせて作ったデザインが承認されても、自己肯定感に繋がらないのです。だってそういう風に作ったので、「上手くいって良かった」という感想にしかなりません。まあ社会人1年目とかだったら褒められて大はしゃぎしてたかもしれないけど。合理・打算的なバズは仕事としては成功でも、必ずしも僕自身を幸せにはしてくれない訳です。
そして、自分も他者も誰も幸せにしない、それどころか傷つける事で発生するバズが「炎上」です。まさにネガティブエナジーの塊。手段も選ばず、偽連帯・偽承認による即席の快感だけを見境なく追い求めるエモ反応の暗黒重力場・ブラックホールです。
誰かを攻撃し傷つけただけで実質誰も何も得ていない、それどころかむしろ自らの住環境すら悪くしていくマイナスの非合理性。更にそれすらも利用しようとする合理の権化達。頭から尻尾まで余す事なく不毛なエネルギー消費。鳩社会以下です。
万物は使い方によって希望にも凶器にもなり得る。そんな事は普通にアニメ見て育ってりゃ誰でも知ってます。そして万物が凶器になったら生き辛い事この上ないという事も知ってます。もう豆腐の角すら危険。ちょっと考えりゃわかるだろって事なんですが、ちょっとも考えないのでどうしようもない。
僕は暗黒面には堕ちたくないのです。シスのエモい囁きに惑わされたアナキンの後半生とか、文字通り全身炎上してて悲惨過ぎて見てられません。フォース=エネルギー+ツールは凶器ではなく希望、攻撃ではなく発展に使えと。そうしないと合理的に考えても壮大な損失です。
そんな訳で、理性や論理性を欠いて感情だけに訴えてくる、エモいものが僕は苦手です。
アレルギーな僕ら
僕の友人に、毎年酷い花粉症で苦しんでいる人がいます。体の過剰反応により自分が自分を攻撃する、所謂アレルギー症です。
奇しくもまさに今コロナ禍で注目されている、体内の免疫システム。侵入した異分子に対して免疫細胞が攻撃して治安維持を担う、重要な生命維持システムです。しかしそれが過剰反応すると免疫は通常細胞まで攻撃し始め、喘息から皮膚炎まで様々なアレルギー症状を引き起こします。更にそれが暴走すれば、サイトカインストームやアナフィラキシーショックなどの命に関わる劇症化に至ります。
安易なエモ反応の伝播や炎上は、社会という母体におけるまさにアレルギー症状にも見えます。それが酷くなれば過激なデモなどに発展し、それを鎮圧しようとする更なる過剰反応を呼びます。抗議活動が上手く運べば良いですが、流血沙汰から分断、泥沼の内戦に発展する場合もあります。
そして僕は妄想を始めます。この人間社会においてそもそも自分は免疫細胞なのか?社会の免疫といえば普通警察や司法機関なのでは?クリエイションを流通させて他者を楽しませるのが仕事であるア〜ティストな僕は、呼吸器系か循環器系、もしくは消化器系に関わる細胞に違いない、とか思う訳です(ケツ毛細胞とかでない事を祈る)。だとしたら免疫系気取りで他の細胞を攻撃してる場合じゃありません。それはアレルギー症に加担してしまう行為だし、社会が呼吸困難とかに陥ったら困るのは僕自身です。神経細胞に伝えて脳細胞に然るべき対応を求めるのが健康的なのでは…みたいな妄想を繰り広げながら、ロックダウンをやり過ごしている訳です。
シン・エモい僕ら
冒頭にも書きましたが、エモ反応の伝播は古代から続くコミュニケーションで、何も新しい事ではありません。単に媒介するメディアが時代によって変化しているだけです。そしてインターネットやSNSという新メディアは圧倒的な伝播力を持っているという事です。
人類は突如現れたこの超強力な新メディアの扱いについてまだ学習中な訳です。ネット史20年だけに限ってもその媒介体系は物凄い速さで変化してきているし、バズとか炎上(昔は2ch祭りとか呼ばれた)とかも新メディア学習過渡期における通過儀礼に過ぎず、いずれ人類はバランスポイントを見つけるのだと思います。※今の世界的なポピュリズムの流れは今後10〜20年は止められないだろうと言われていますが、できればもう少し早く学習できる事を祈ります。
そしてそうなった後。僕らはきっと、理性の後からやってくる真の感情、真のエモい共感「祝祭」を得られる筈です。それは理性的に統括された感情の爆発(なんか変な事言ってますか)、フェス体験なんかが近いでしょうか。強烈なエモ快感体験です。本来はそんな祝祭も太古の昔からずっと続く(そして失われつつある)コミュニケーションの一部だったのです。
誰かに媚びた発信では自己肯定を得られない。即席の偽連帯・承認でも満たされない。打算と忖度のコンテンツなんてつまらない。しかし、自分が本当に大好きなもの、大切だと思うもの、全身全霊をかけて本気で取り組んだ何かが、たった一人のどこかの誰かに届いた時の喜び。そんな真のエモ体験の可能性がネットには確かに存在するのです。バズ狙いやSEO対策が不要だなんて言いません。僕もハッシュタグ使います。誰かに届く確立を上げるためです。ただそこに大量のリソースを注ぎ込むより、みんな自分の本来の取り組みに注力してくれたら、もっと面白いものがたくさん生まれてくるのに。その先には真のエモ体験があるかもしれないし、それは合理を超えた真のバズに繋がってるかもしれません。
ネットがそういう場になれば、誰彼構わず叩いてる暇なんて無くなるし、ゴミ溜めと化したネットの海洋汚染も少しは浄化されるかもしれません。そして何より単純に、打算と忖度の予定調和ではない「面白空間」としてのネット本来の力が甦るかもしれません。
エモは大切です。でも僕らは鳩や羊じゃないので、理性も同じくらい大切なんです。
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いつの世も、アーティストという職業はファンやパトロンのサポートがなければ食っていけない茨道〜✨