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クラス分け

私はクラス分けでこんなにショックを受ける人間である、ということを私は初めて実感した。

UCLのファウンデーションコースでは、英語の授業は能力別のクラス分けをして、クラスごとに行われる。おそらくクラス替えはなく、通年のクラスである。今年は7クラスに分かれていて、私は上から6つ目、言い換えれば下から2番目のクラスだった。

クラス分けの基準がなんなのか、IELTSのスコアなのか、入試の点数なのかはわからない。それ以上に、私が本当に上から6番目のクラスなのかもわからない。IELTSのスコアでも、入試の点数でも上回っている人が、その人よりも低いスコア、点数の子よりも下位のクラスにいることはない気もする。だから、自分のクラスが全体でどの位置にいるのかは明確にはわからない。けれども、はっきりと言えることは、私は上位じゃないということだ。

自分が上位じゃないということにこんなにも衝撃を受けるとは思わなかった。ファウンデーションコースには自分よりも英語が出来る人たちがいるということは十分わかっていたし、自分が上位に入れないだろうということもわかってはいた。だけれども、真ん中くらいには食い込めるんじゃないかなという甘い期待を抱いていた私がいたことを私は否定できない。

基本いつでも一番上のクラスの人間だった。高校時代、確かに模試を受ければ私よりも上に何人もいたけれども、クラス分けをされたら上のクラスにいる人間だった。上下どちらのクラスにも東大、京大をはじめとする旧帝大への進学者はいるという環境の中で上のクラスに居続けた。あんまり自分が下位のクラスに居るということに慣れていなかったのかもしれない。慣れたくもないけれども。

分相応だし、自分の実力に合う場所にいるべきなこともわかっている。わかっているからこそ、自分が下位のクラスに居るということが単純に悔しいのだ。自分の状況に歯がゆさを感じるのだ。

下を見ても、上を見てもきりはないことはわかっている。だけれども、私は自分が到達できる集団までは到達したいし、その集団の中でも上位に立ちたい。自分の成績が上がるのかはわからないし、見当もつかないけれども、能力が低いなりに向上心を持ち続けたいと思うのだ。

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