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世界は私を中心に回ってない。

世界は私を中心に動いていない。この世は私のためにない。そんなことは知っている。理解している。けれども、思い通りにならないときの苛立ちと無力感、不確実なことしかないときの底が見えない漠然とした不安は人を絶望に落とし込む理由になると思う。

端的に言おう。成績が欲しい。人は言う。「人生、成績だけがすべてではない」と。それは頑張っている人にあなたがやっていること以上に価値があるものがあるから、あなたがやっていることは無駄だと言っているようなものと同じである。私は成績が欲しい。学士課程に進学させてくれ。

① 英語

UCLのファウンデーションコースから学部に進学する際に私の希望する学部はファウンデーションコースのAcademic Englishという科目でReading, Writing, Listening, Speakingで70%、総合成績で75%以上を得点しないといけない。現状、各技能では70%以上あるけれども、リスニングの試験があまりうまくいかなくて総合成績は73%くらいと基準以下になっている。Term3にあるテストが総合成績の80%を占めているから、今、点数がとれていなくても屁でもないということはわかっている。だけれども、Term3のテストで何点取れるかもわからないし、うまくいかないかもしれないし、不安でしかない。

② 選択科目の成績

私が希望する学部からは、2つある選択科目をどちらもAで卒業してねという条件を出されている。別に今現在、A以下の成績を取っているわけじゃないし、Term3でのテストや口頭試問などなどの試験が全体の成績の90%を占めるから、これも現時点では成績がほぼ出ていないに等しいのである。言い換えると、100点満点のテストのうちの10点を占めるテストが終わっただけで、90点分のテストは残っているのである。テストで失敗したらどうしよう、エッセイの得点があまりよくなかったらどうしようと考え始めると心臓がバクバクしてくるのである。

「私はなんでこんなに遠いところまで来ちゃったのかな」と思うことが最近よくある。馬鹿みたいに高い学費を税金と親から出してもらって、なんで苦労をしに来ているのかなと思う。普通に日本の大学に進学していたらこんなに苦しまなかったのかもしれないと思う。なんで私は毎日図書館に行って、毎日勉強しているのに、なんで、同じコースの他の子はインスタのストーリーに旅行の写真をあげて、楽しく笑っているのだろう。私が3時間かけて読んで、理解していくものを彼らは1時間でサラッと理解していく。私が3時間かけて書いて、校正して出すエッセイの評価よりも高い評価を彼らは1時間で片手間で終わらせていく。彼らがいつかの瞬間に努力していたのだろうということは理解している。だけれども、今現在、努力しても乗り越えられない壁を彼らは私に提供し続けている。努力したらできるようになるよ。努力に勝るものはないよ。いつか努力は実を結ぶよ。こういう言葉を真に受けて、努力でのし上がってきた私は、今、人生で初めて1年弱の努力ではどうしようもない壁を見ている。

困難は分割せよと言われる。困難が多すぎて、ウエディングケーキみたいな大きさで、切り分けてもホールケーキみたいな大きさにしかならない。ショートケーキを一口で食べられない私の口にホールケーキは大きすぎる。

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