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大英帝国を感じながら論文を読む

ファウンデーションコースに入学して3ヶ月、言い換えると英文を毎日読むようになって早3ヶ月。なんとなく英語の論文(アカデミックな文章の意味で)が読めるようになってきたなと思う。論文の構成を勉強していくにつれて、他人が書いた論文の構成も理解できるようになった。具体的に言えば、論文の型というものが分かるようになって、「今はこの部分だからこの点に注目、次はあれが来るはずだからあの部分を対比させとけばいいんだな」みたいなことが分かるようになった。文章を読むのが楽になった。幸。

依然として英文を読むのにかかる時間は、日本語の倍くらいの時間だけれども、次に何の話題が来るのかが予想できるようになってきたので、ちょっとまって、なんでこの話題なの?ということで体力と精神力を削られることはなくなった。

渡英して早5カ月である。留学してよかったと一番思ったことは、リソース量の違いだと思う。勿論、日本にも学会はあるし、日本語で論文を書く学者もたくさんいるが、英語はその比ではない。すごいニッチなもの、例えば、「1884年のロレーヌ地方における製鉄業でのドイツ帝国政府の独占率」とかそういうものではないのであれば、だいたい英語で資料が揃っている。日本語で論文を検索することもあるけれども、参考文献を見ると、英語の論文が入っていることが多々ある。フランス語で最初に書かれた論文でも、数か月後には英語版が発行されていたり、する(文法的におかしいのはわかっているけれども、もう一つの'たり'が見つけられなかった)。結局、大英帝国の残り香はアメリカの覇権を通して残り続けているんだなと感じた。大英帝国が大仏帝国であったのならば、世界の言葉は英語ではなくてフランス語であった可能性も十分にあるのだ。

トイレがしょっちゅう詰まって、道ががたがたな現在の英国でも、大英帝国の栄華はふとしたところに残っているのだなと日本との時差を計算しながらちょっとぼやいた。

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