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冒険のありか

世田谷で生まれ、町田市に暮らし、山野から小川、時には廃墟にまで冒険にでかけた少年がいた。昆虫採集の虜になった彼は、図鑑を読み解き、飼育の実績を重ね、やがてクラスで昆虫博士と呼ばれるようになった。

充実した自然体験は彼の中に多くのものを残したが、そんな暮らしは長続きしなかった。中学生の頃、開発の波が彼から冒険のフィールドを奪ったのだ。しかしその代わりに、造成された街は彼にゲームセンターを与えた。彼は昆虫の次にゲームの研究を始めた。彼はいわゆる「攻略本」を出版し、工夫をこらした自作ゲームを発表し、ゲームクリエイターとして徐々に名を馳せていった。

任天堂のゲーム開発で得た資金を元に、彼が世に送り出した作品は、世界の裏側でもその名が通るものとなった。発売の翌年に、この作品を原作とするアニメが放送され、その主人公は彼の名を冠すことになった。

主人公の名は、サトシという。

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子どもの頃の僕、いさくまにとって、ポケットモンスター、ポケモンは、手が届かない憧れの存在だった。ゲームを買うことも、買ってもらうことも許されない家庭だったし、大阪テレビも奈良テレビも映らない家だったので、アニメを観ることもできなかった。友だちはみなゲームボーイにソフトを挿し、あのポケモンはもう捕まえた?とか、ミュウを増やす裏ワザを正月にいとこから教わったとか、夏の映画は見に行くのかとか、そんな話題で賑やかに過ごしていた。いさくまは当時、ありがたいことに親しい友達に恵まれていたけれど、ポケモンの話題にだけは入れなかった。

子どものころは、今よりも架空と現実の境目が曖昧だったので、当時から生きものが好きな僕にとって、トカゲと(ポケモンの)ヒトカゲは似たような価値を持っていた。ポケモンのゲームを持っているかアニメを見ている友だちは、みんな僕の手の届かない生きものを育てて、慈しんでいる。それが羨ましかった。羨ましくて、友だちの家に行った時はいつもポケモンの攻略本を読ませてもらい、実機をプレイしている友だちに横からアドバイスをするポジションを得て、まれにだけど「ポケモンはかせ」と呼ばれるほどになった。ポケモンを持たない、ポケモンはかせだった(※)。

(※)教室の後ろのロッカーに両手両足を畳んで入って「ポケモンセンターでかいふくごっこ」という謎の遊びをする、変なはかせだったことを書き添えておく。

そんなポケモンはかせに転機が訪れたのは、小学4年生のころだった。真冬の大阪ドームで開かれた、最新のおもちゃやゲームソフトの展示会「次世代ワールドホビーフェア」に父親が連れて行ってくれ、任天堂のショップで当時発売されて間もない「ポケットモンスター クリスタルバージョン」を買ってくれたのだった。あまりにも突然、あまりにも急なことだったので、本当に目が点になった。うちにゲームボーイはなかったので、ニンテンドー64のコントローラーにソフトを挿して、遊んだ。オープニング画面は今でも覚えている。

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ポケットモンスターの物語は、ゲームでもアニメでも、10歳になった子どもがポケモンを譲り受けて冒険に出かけるシーンから始まる。偶然にも、僕が初めてポケモンの世界の冒険にでかけたのも10歳のころだった。だからこそ、アニメの主人公・サトシのスゴさがよく分かった。友だちの家のVHSで稀に目にする彼は、乗り物にも乗らず街から街へと歩き、知らない大人に平気で話しかけ、勝負をし、夜にはテントを張ってポケモンたちを労って寝床につく。同じ10歳には思えず、彼に憧れた。彼が勝負に負け、悔し涙を流すシーンでは、思わず自分も拳を握りしめた。

彼に憧れた同世代の人間は多いと思う。
ポケットモンスターの物語では、ゲームでもアニメでも、生命倫理的な話題を扱うことがしばしばあり、アニメの世界においてサトシはどの話題に対しても、主人公として真剣に向かい合ってきた。死にかけのポケモンを身を挺して救ったり、旅の仲間のポケモンが恋をしたら、その恋の成就のために仲間との別れを選んだり。その真摯さが、優しさが、多くの人の胸を打った。その結果、この25年間、彼はアニメ版ポケットモンスターの主人公として推され続けてきた。

長い月日を経てついに2023年の3月、サトシは主人公の役割を終えることになった。町田市の少年から始まった冒険の物語はいったん区切りを迎え、次の世代へと移り変わっていくことになる。画像は、ベストセラーのポケモンの指人形「ポケモンキッズ」シリーズの、サトシのピカチュウである。ピカチュウが持っているのは、サトシの帽子で2017年の劇場版のデザイン。妻と二人で観に行ってオイオイ泣いた思い出のある映画の、思い出のある帽子である(要するに、それくらい私たちの心底にサトシはぶっ刺さっているのである。)。

いさくまはサトシを知る前から、虫あみを持って一人で街中の公園を歩き回っていたので、彼を知る前から「危険を冒して好奇心を満たす」営み、つまり「冒険」の素晴らしさを知っているつもりだった。しかし、彼の旅は、世の中にはもっともっとワクワクすることが溢れていること、勇気と努力でもって危険を冒すという、前向きな姿勢の素晴らしさを教えてくれ、冒険という言葉の枠を広げてくれた。冒険とは、ワクワクすることのために困難を乗り越えること。大人になったいま、困難や不可能を目の前に立ちすくむことの多いいまこそ、彼の姿とともに、前向きな姿勢を貫く大切さを心に深く刻んでおきたい。

"旅は今日も続く。続くったら続く。"

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