ある相互フォロワーが亡くなって一年が経った話

人というのは忘れっぽいものだと再認識したのは、実家に帰って中学時代の卒業アルバムを見た時だった。
以前Facebookで自動で選出してくれる友人や同級生をフォローした・フォローされた際、確かに同級生だったはずなのにどんな人物だったのか思い出せない人がいた。
写真や本人の書いた文章を見れば思い出せると思い卒業アルバムを掘り出して確認したのだが、やはり思い出せなかった。
これは普遍的なことのようで、浦沢直樹の漫画「20世紀少年」でもメインテーマとして扱われている。
なお、この話のオチは、どうやら私自身も、他の同級生からすると思い出せない側の人物に入るらしい、というところなのだが…。

数年間顔を合わせた人物でもそうなるのだから、TwitterなどのSNSであれば尚更で、確かに親しくメッセージのやり取りをしたはずなのに、いつの間にかアカウントを消してしまった相手のことは、そのやり取りは思い出せても、名前やアイコンは忘却の彼方へと消えてしまう。

存在した事自体を忘れてしまうのだから、何か感慨が残るかといえば残らないのであるが、それでも、明確に「亡くなった」ために消え去った人物がいて、その事を思い出させられるとハッとさせられることがある。
ワンピースの名言「人は いつ死ぬと思う…?…人に 忘れられた時さ…!!!」という言葉を引用するのであれば、思い出させられるその時まで、その人は本当の意味で死んでいたということか。

本題だが、私には「まつもと千春」さんという相互フォロワーがいた。

実は私は10年ほど前、当時スマホの普及とともに勃興していた「スマホ漫画」を掲載するWebコミックサイトに漫画を連載していた時期があった。
その頃の出来事は述懐すると長くなるので端折るが、まつもと千春さんとはその時に知り合った。
彼女はおそらく私より10~20歳程度年上で、時折自作の漫画をWebサイトやTwitterに公開していた方であった。なぜ年齢が推測できるかというと、かつて描いていたという漫画が絵柄、内容的にコテコテの90年代同人誌スタイルだからであった。

今となっては懐かしすぎる90年代~2000年代初期スタイルのWebサイト。失礼な意味ではないが今風ではないパロディ漫画は趣味で描いているようで、それとは別に、何かしらの実録漫画雑誌に寄稿していたようなのだが、それはいわゆる「毒親」ドキュメンタリーであった。
そう、彼女は小さい頃母親やその親族に激しい虐待を受けていたようで、その記憶を実録漫画にしたためることでわずかでも収入を得ていたらしい。

お世辞にも人気のある作家ではなかったろうし、Twitterでも当時の恨みつらみを書くことが多かったが、それでも彼女は前向きに生きていた。かく言う私も人気作家というわけではなかったので、当時同じような発展途上の状況にあり、人気作を描いたり新しいことを始めていつか成功しよう!と共に研鑽していた人々がいて、その中のひとりがまつもと千春さんであった。
彼女とは好きな漫画のネタが合致したり、誕生日が同じということもありメッセージを送りあっていたが、特に彼女のことをよく覚えていたのは、私がVR業界で活動するようになってもメッセージを送ってきてくれたからであろう。

不思議かつ悲しいことに、ネット上のみならずリアルでも時折顔を合わせいつかの成功を誓い合っていたような人物の大多数は、いざ本当に私が会社を立ち上げて事業をスタートさせると、何一つ言葉を告げることなく、あるいはこっそり相互フォローを外してどこかへと消えてしまった。だからこそ、おめでとう、や頑張って、の言葉を送ってくれたごく少ない人物のことは特に記憶し深く感謝しているのだが、その一人がまつもと千春さんである。

そんな彼女が癌を患ったことを最初に書いたのは2020年の3月であった。

正確には、判明したのは2019年のクリスマスらしい。酒は飲まないし喫煙も、暴飲暴食もせず、癌とは無縁な健康状態を送り続けてきたという。
不幸な人生を送ってきて、まだまだこれから人生の幸せを見つけられるであろうその時に大病を抱える、その悲しみは察するにあまりあるが、私はそこまで心配していなかった。普通にメッセージのやり取りが出来ている以上、入院と治療の成果は出ており、経過には問題ないのだろうと、深刻に考えてはいなかった。

先に書くが、彼女は昨年、2022年の4月14日に病状が悪化し亡くなっている。発覚からわずか2年であった。

恥ずかしいことに、私は彼女が亡くなったことにしばらく気づけなかった。
最後にやり取りをしたのは2021年のはじめごろで、その頃はいつもと変わらない、闘病と、虐待への恨みつらみの話題が時折続いていたのを見かけていた。
そうして2022年の半ば、そう言えば最近まつもと千春さんをTLで見かけていないな、どうしているんだろうなと本人のTwitterを見たところ、亡くなっていた事に気づいたのが実情だった。
忘れていた人を、思い出した時にはもう既に遅かった、という出来事であった。

最後のツイートには「まつもと千春と一緒にいた時間と空間はとても楽しく幸せでした(家族より)」と綴られていた。

ツイートを見る限り母親とは絶縁しており、また結婚はしていなかったようである。時折父親が話題に登場することがあったが、父親とは関係を築けていたのだろうか。色々なことを考えるが、何もかも想像の域を出ない。

しかし、先にこれから人生の幸せを見つけられるだろうに…と書いたが、彼女の人生は、最後に綴られていたように幸せなものだったろうと考えている。そう思いたいだけと言われればそうかもしれない。
虐待の漫画で描かれる過去こそ目を覆うようなものだったが、90年代パロディ漫画は、内容や本人の話を聞く限り、90~2000年代の同人文化最盛期を楽しんだ感じが伝わってくるものだった。
そして最後に彼女を看取ってTwitterに別れのメッセージを書く家族がいたということは…それが誰であろうと…彼女が孤独ではなかった事を示している。

願わくば、もしまつもと千春さんの死期が近いことに気づけていれば、私からも何か、少しでも最後の時間を幸せにする一助が出来たのかもしれないと思うが、今となってはどうしようもない。

人間の脳の容量が何TBなのかは諸説あるし、個人差もあるだろうが、全てを記憶し続けることは出来ないだろう。
現在はSNSやスマホなど電子媒体へのログ、攻殻機動隊風にカッコよく言うなら「外部記憶装置」があるし、その情報量はVRであれば更に増えるのだが、結局はそれらのログを残したところで参照し意味を見出すには本人の記憶が必要であり、それがなければ情報の山でしかない。

しかし人間が前に進めるのは全てを記憶しないからこそという考え方もある。だからいずれはまつもと千春さんの記憶も私の中から消えてしまう日が来るのかもしれない。
だが、まつもと千春さんが亡くなってから一周忌となる今日は、彼女のことを思い出しておこうと思い、この文章を書いた次第である。



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