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"フェミ"という侮蔑用語

楽しみにしていた2巻が発売された。霧、閉鎖的な学園、自分そっくりの人間、ほくろが2つある多数の登場人物と散りばめられた謎が今後どういう形を取るのだろうかと期待して次巻を待つ。舞台は近未来っぽいのでSFなんだろうが、僕個人としてはミステリ味強めな感じがしている…。面白ければ何でも読みます。

巻末収載されているインタビューからも明白だが、本作はフェミニズムの要素を強めに押し出している作風であると思う。女性として生まれ、女性として生きることは多大な労力を払い日々摩耗することだ、という今の社会に対する怒りがストレートに描かれている。タイトルの「ジーンブライド」のジーンはひょっとすると性染色体とか性別決定遺伝子(人間でいうところのSRY)なんかの意味も含まれていそうだなと感じている。

1巻では男性による直接的な加害と被害がしばしば登場したが、2巻では女性自身が内面化してしまった男性社会規範とその実践による間接的な被害が主人公の後悔として表現されていた。
女性は男性から性的な目で見られるもの、性的に扱われる対象である。性的なからかいを受けても些細なことなら何でもない、みんなそうなのだから。自分だけではない。だから笑って忘れてしまうのが一番いい。いちいち気にしていたらやっていられない。そんな女性自身の性被害に対する認識の矮小化が見事に表されていると感じた。
自分は被害を受けたと加害者を糾弾しないことには何も解決しない。笑って流したところで体験した被害は忘れられない。そんな癒えない傷跡を主人公は抱えて生き、そして戦うことを決意したのだと思う。

決意した主人公の話なので、当然ある種手厳しい内容にはなる。そうするとワラワラとわいてくるのが「フェミがー」である。1巻発売直後のamazonのレビューにも大量発生していて何とも哀愁が漂っていた。
男性中心社会に迎合できない、なぜならそれは女性の(多面的な)搾取の上に成り立っているからである、という主張をすると昨今は早々に「フェミ」という罵倒が飛んでくる時代である。男性だって辛いんだとか女性の方が男性を虐げているだとか主張するならそれはそれで男性側が取組んで問題提起していくことであって、女性に対する抑圧を払拭しようという意見に言ってもあまり意味はないんじゃないか。
「フェミ」も「スイーツ」のアップデート用語なだけだろうが、この日本の幼稚な嘲笑文化はいい加減うんざりしている。

どちらにしろ、作家としてはなかなかハードな反応が予想されうる内容で連載をスタートした高野先生の志を僕は応援しているし、本作に救われる読者もたくさんいることは間違いないので頑張って欲しいなと思う。

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