見出し画像

都市空間とヒップホップの出現

そろそろアメリカに戻る時期が近づいてきて、大学で書いたエッセイなどを振り返っていました。その中でふと目に止まったのが、去年に『ヒップホップの文化と宗教』という宗教学の授業で書いた、「ヒップホップと都市空間」についてのエッセイです。
この授業は、アフリカ系アメリカ人で自身もヒップホップのアーティストである大学のJames Logan教授のもと、ヒップホップという音楽・グラフィティ・ブレイクダンスを含む総合芸術の文化が、どのような歴史的・社会的な背景のもとで生まれ、人々にとってどのような精神・宗教的な役割を担ったのかを考えるという授業でした。

全く気候変動には関係がない記事ですが、人々はどれほど存在する空間に影響を受け、そこから文化が生まれるのか、ということを考えていたことから、「ヒップホップはどのような社会的・物理的空間によって生まれたのか」という問いを深めてみることにしました。

抑圧され、荒廃した空間に追いやられた人々がどのようにして、ヒップホップというカルチャーを生んだのかということを、授業で読んだ文献を元に自分で論を立ててみたエッセイです。

自分自身はその経験をしたものではなく、苦しみを生き抜いた方々の証言を読ませていただいた上での、自分の想像を元に書いているので、不完全な文章であること、この文章には到底表しきれない現実があることを踏まえて読んでいただけると幸いです。

<以下、エッセイの本文>
空間がヒップホップを創る。ヒップホップはアイデンティティを創造する。
物理的・社会経済的空間はどのようにしてヒップホップの出現と発展を可能にしたか
原題:Space Creates Hip Hop. Hip Hop Creates Identity. How Physical and Socioeconomic Space Enabled Emergence and Development of Hip Hop.

舗装されていない道を歩いていると、強い小便の臭いがして息が止まる。街は灰色と茶色だった。それらは、崩壊した倉庫、焼け落ちたアパート、腐敗で満たされた剥き出しの庭の色だった。割れた眼鏡がそこら中に落ちている。そういうものだから、なぜそこにあるのか、不思議にも思わないのだろう。ただ通りを冷やかしていただけの人たちが、一瞬にして警官が出てきて、理由もなく連れて行かれる。

私はこの描写で、まだアンダーグラウンド・カルチャーであったヒップホップが勃興した1970年代のサウスブロンクスに生きた人々の身体的、空間的な経験を描こうとした。『フィジカル・グラフィティ:ヒップホップダンスの歴史』の中で、ホルヘ "ポップマスター "パボンは、「1970年代初頭、今日ヒップホップとして知られる名もなき文化がニューヨークのゲットーで形成されていた」(パボン)、と述べている。『Hip Hop Evolution』によると、史上初のヒップホップ・パーティーは1973年8月11日、DJクール・ハークによってサウスブロンクスの1520 Sedgwick Ave.で開催された。それ以降、ヒップホップは音楽的・芸術的表現を取り入れたアンダーグラウンド・ムーブメントから発展し、音楽業界のメインストリームの一翼を担うようになったのである。本論では、ヒップホップ文化の出現を可能にした、1970年代のアフリカ系アメリカ人を取り巻く物理的・建築的な「空間」を探ってみたい。Grandmaster Flash, Furious Fiveの "The Message "の文脈で、物理的・空間的背景の意義に関わることにする。

空間はそこに住む人々の生活体験に影響を与え、最終的にはその空間における社会的な動きや文化の生産を形成している。コミュニティの社会経済的・文化的側面と密接に結びついた空間的・物理的条件は、人々がアイデンティティを形成する方法に影響を与える。アルトゥーロ・エスコバルは、『多元的な世界のためのデザイン』の中で、フィンランドの建築家ユハニ・パラズマを紹介している。

「建築物はそれ自体が目的ではない。建物は、人間の現実体験を条件づけ、変化させ......枠組みを作り、構造化し、繋げ、切り分けたり統合したり、体験を可能にすることもあれば、禁止することもある」

Escobar 39

この言葉は、建物の構造や建築にとどまらず、道路、空き地、トンネル、公園、地下鉄を含むより広い都市空間へと拡大することができる。都市全体をパラズマの言う "ビルディング / 建物 "と見なすことができるのである。したがって、エスコバルが「あらゆる意味のある建物は、同時に世界とは何かや、人の人生についての意味を持っている」(エスコバル39)と言うように、都市環境がどのように組織化されているかによって、世界とそこに住む人々の人生が形作られるのである。(W)rapped Space: The Architecture of Hip Hop)」において、クレイグ・ウィルキンスは、「空間を通しての動きとその体験の記憶(movement through the world)が、空間的なコミュニケーションに用いる言語を構築する」と論じている(Wilkins 8)。したがって、空間は音楽、文化、芸術的実践の創造に介入しており、それらはすべて「空間的なコミュニケーションのために用いる言語(a language [they use to spatially communicate])」とみなすことができるのである。 ウィルキンスはさらにこう説明する。

[空間は)実践された場所である。したがって,都市計画によって幾何学的に定義された通りは,歩く人々によって空間に変容する.この相互作用は,ある時間,場所,社会形成に固有であると同時に,歴史的であり,記憶や過去を持っているのである.空間のような音楽は静的であるはずがなく、特定の意味の伝達のためにユーザーによって適応される動的なものである

ウィルキンス 9

したがって、空間が文化や人々のアイデンティティを作り出し、人々が空間を変化させるという相互のプロセスが存在する。ニューヨークやロサンゼルスでは、このような空間と人々の相互作用によって、今日のヒップホップという文化が生まれ、発展してきたのである。

都市空間が相互作用によってコミュニティや人々のアイデンティティを形成し、また空間そのものを再形成することについて、グランドマスター・フラッシュとフューリアス・ファイブの「The Message」における空間の表現を通して、ヒップホップの出現につながった都市空間の物理的、社会経済的、精神的側面を観察してみたい。サウス・ブロンクスのような都市空間の物理的条件は、コミュニティの形成に大きな影響を与えている。また、「Unstrange Bedfellows: ヒップホップと宗教」(Joseph Winters)の中で、彼はこう説明している。

脱工業化とまともな給料を払う製造業の仕事の喪失、社会サービスに対する政府資金の縮小、比較的安定したコミュニティを破壊する都市再生計画、利益追求型の企業による手頃な価格の住宅の簒奪など、これらの対象をアメリカ生活の周縁にとどめているいくつかの社会要因が連動している。

Winters 75

脱工業化によって白人中産階級が都市中心から郊外へと大きく流出し、都市空間には「放棄され荒廃した建物群」が残り、サウスブロンクスは外部から見ると「荒れ地」になっている(Winters 75)。しかし、ウィンターズが「廃墟や崩壊の壊れた空間は、これらの廃墟や破片が芸術的に再利用され、異なる形で解釈されたとき、文化の変容の場になりうる」(ウィンターズ76)と言うように、空き倉庫などの崩壊や廃墟の状態は、アフリカ系アメリカ人コミュニティのメンバーによって再利用されハックされる可能性を持った余白として開かれているのである。また、アパートに集団で住むことで、コミュニティに近接性が生まれ、人々が集まり、空間を共有することが容易になった。このような空虚でハック可能な物理的・建築的空間は、アフリカ系の若者が落書きによって「自らの縄張りを主張し、公共施設に落書きをしなければ含まれることのないアイデンティティを刻む」ことを可能にし、「街灯の電気にカスタマイズしたその場限りのターンテーブルとスピーカーを取り付けることでストリートパーティー」を開催するDJとなって、「何もなかったところにオープンエアなコミュニティ」を作り出す(Winters 76)ことを可能にした。こうして、ヒップホップは「都市生活の経験を再現し、再想像し、サンプリング、態度、ダンス、スタイル、効果音を通して都市空間を象徴的に流用する」(Winters 76)文化として誕生したのである。

Grandmaster Flash, Furious Fiveは、「The Message」の楽曲とミュージックビデオの中で、ヒップホップ誕生を取り巻く都市空間の状況を提示している。また、ヒップホップが流行した後も続く、都市のゲットーにおける厳しい経済格差や荒廃の中にいる人々の生活体験が語られている。Hip Hop Evolution "では、サル・アバティエロが「サウスブロンクスでは、人々がつける仕事はなく、...(25〜30%の)失業率があった」(サル・アバティエロ)という文脈を伝えている。曲の冒頭で、メルル・メルは次のようにラップしている。

割れたガラスだらけで、階段で小便している奴らがいる。
匂いにも騒音にも耐えられない。
引っ越しする金もない、仕方ないんだ
玄関にはネズミ、裏にはゴキブリ
路地ではジャンキーがバットを持っている
逃げようとしたが 遠くには行けなかった
レッカー車の男が俺の車を差し押さえたからだ

Grandmaster Flash, Furious Five

「貧困と行政の怠慢は、近隣に暴力と不潔さを与え、さらに引っ越せないという無力感も与えている。何ブロックも何ブロックも廃屋があった」(Sal Abbatiello)というように、廃墟と化した状態は、人々の世界の見方や振る舞いに影響を与えている。 さらに、歌詞は次のように続く。

ゲットーで育ち、二流の暮らしをする。
君の目は深い憎しみの歌を歌うだろう
おまえが遊び、滞在する場所は
まるで大きな路地のようだ

Grandmaster Flash, Furious Five

「ゲットーで」育った経験が、二流の生活に閉じ込め、自分たちのいる社会に対して「深い憎しみ」を強く残すのである。教育を受けることができた子供たちは、「先生が嫌な奴だから」「学校に行きたくない」と言い、質の高い教育を受けることができない状況を提示する(Grandmaster Flash, Furious Five)。その結果、彼らは「高校を中退」し、「失業して、何もかもが空っぽ」、まるで「狂った女、ゴミの山で食べる袋の中に住んでいる」(Grandmaster Flash, Furious Five)ような状態になる。深刻な貧困とインフラの欠如は、物理的な都市空間とコミュニティを荒廃させた。

しかし、ヒップホップはそのような混沌の中で、ゲットーの若者たちが曲の中で言及された空間を取り戻し、発展してきたのである。"The Message"とそのミュージックビデオで言及され、映し出された「公園」「路地」「スクラップヤード」は、アフリカ系アメリカ人の若者にとって、ハッキングされるべき空間として提示された本質的な空間である。ウィルキンスが指摘するように、公園は「ヒップホップダンスのためのステージング空間を提供し、グラフィティ・アートワーク(タギング)のための壁面空間を提示し、公園内の『通りと角』に沿って携帯用売り子ブースを提供し、ヒップホップ・コミュニティのフリーマーケットとして機能する」(ウィルキンス 11)のである。ジャンク・マシンの山でいっぱいのスクラップヤードや路地は、実際、最初のDJたちがサウンドシステムを構築するためのメカニック・パーツを入手する場所だった。ヒップホップ文化生産の初期のパイオニアたちは、「その過程で空間を再活用して、異なる名前を与え、黒人であるということの意味を可視化し」、こうして「アフリカ系アメリカ人の人々が、自分たちの空間の中で、自分自身を肯定的に見ることができる場所を育んだ」(ウィルキンス 15)のである。
そのような環境で生まれたヒップホップ・ミュージックは、さらに、「空間における音がアイデンティティを生み出す」(ウィルキンス8)ことから、空間を再形成し、再生させる機能を果たしていたのである。物理的な空間が空虚であっても、そこにいる人々は音で空間を支配することによって、その空間を描き、主張することができるのである。ディアスポラの人々にとって、ヒップホップ・ミュージックは、社会に対する「身体的・精神的反応の両方に影響を与える無意識の存在方法」であると同時に、「アフリカ中心の生命力の認識と賞賛」(ウィルキンス10)にもなっているのだ。したがって、物理的・社会学的な都市空間が人々の経験を形成し、ヒップホップを生み出す動機となっただけでなく、そうした空間から生み出された音楽が実際に空間を描き、新しいアイデンティティを作り出したのである。 "The Message "はさらに、アフリカ系アメリカ人のディアスポラの空間的・社会経済的状況を痛烈に巻き込んで、ヒップホップの新しいアイデンティティを切り開いたのである。"The Message "は、ヒップホップがいかに「政治、...痛み、...怒りについて非常に明確になりうるか」(メル・メル)という可能性を示し、ケヴィン・パウエルのようにゲットーの中にいた若者たちに語りかけるものであった。パウエルは、この曲が「衝撃的で......解決策も......希望も与えてくれなかった」と振り返るが、「これが私たちが生きている場所だ」(ケヴィン・パウエル)というシンプルなメッセージは与えてくれたのだ。"The Message"は、都市のゲットー空間についての歌が、体系的な人種差別と社会的不平等を批判し、痛烈に問いかけるヒップホップに、いかに新しいアイデンティティを与えたかを実証している。

結論として、衰退と荒廃という物理的空間は、ラッパー、DJ、グラフィティ・アーティストといった初期のパイオニアたちがそうした空間をハックすることによって、空っぽで見捨てられた空間を切り開き、ヒップホップの出現を可能にしたのである。ヒップホップ・ミュージックは、荒廃した空間を音楽で彩り、こうしてゲットーを、アフリカ系の人々が完全な主体性をもって自分たち自身をポジティブに捉え肯定することのできる場所へと再生させたのである。"The Message"が示したように、空間を語るという行為は、ヒップホップ文化を、アフリカ系の人々を服従させようとする不公正な社会体制への批判を体現するものへと高めた。ヒップホップは本来、人々がヒップホップを実践する空間に根ざしている。空間がヒップホップを生み、ヒップホップが新しい空間を生み出すように、ヒップホップは空間的に流動的で常に変化し続けるのだ。

出展: 

Escobar, Arturo. Design for the Pluriverse. Duke University Press, Durham and London, 2018. 
“From the Underground to the Mainstream,” Hip Hop Evolution, Wheeler, Darby et.al, Season 1, Episode 2, HBO Canada, 2016. 
Grandmaster Flash, Furious Five. Grandmaster Flash & The Furious Five - The Message (Official Video). 1982. Youtube, https://www.youtube.com/watch?v=gYMkEMCHtJ4.
Pabon, Jorge “Popmaster Fabel.” “Physical Graffiti: the History of Hip-Hop Dance.” That’s the Joint: The Hip-HOp Studies Reader. Second Edition. New York: Routledge, 2012.
Wilkins, Craig L. “(W)Rapped Space: The Architecture of Hip Hop.” Journal of Architectural Education (1984-), vol. 54, no. 1, 2000, pp. 7–19.
Winters, Joseph. “Unstrange Bedfellows: Hip Hop and Religion.” The Hip-Hop and Religion Reader. New York: Routledge, 2015.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?