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1000万年後のプラスチックになる自分

「アイヌ、仏教、アート、哲学」の4文字を見て、即決で応募した、Deep Care Labが主催するWeのがっこうの第1回目に参加しました。Noteでも読んでいた通り、とても優しさに溢れる人々が沢山いて、オリエンテーションから凄く嬉しさでいっぱいになりました。

Deep Care Labとは?「Weのがっこう」とは?

(もう超惚れてしまった文章なので、よければ是非読んで見てください。)


今日のテーマは「私たちのWell Beingを考える」。このプログラムのモジュールである「自然」「道具・モノ」「先祖・過去」「未来・子供達」というテーマをベースに、議論が進みました。

事前に配られた質問カードに書いてあったのが、「あなたの周りのモノはあなたに何をしてくれていますか。逆にあなたはモノに何をしていますか。」

この問いをベースに考えて、議論の中で出てきたことは、以下のような感じでした。

モノ→自分

- ものは自分の能力を拡大したり、自分の拡張した一部になりうる。
- 生きてる世界の分かり方を構成している
- 行動範囲を広げてくれる。

自分→モノ

- 命を吹き込む
- ケアをする
- 実際、あまり大切にできていない
- モノの生存を支配している。

こんなことを踏まえて、議論の中では、

全てのものに対して感謝や繋がりを考えていると思考が「わー!!」ってなってしまってキリがなくなってしまうんじゃないか。

自分たちはモノを使っているけれども、その機能が観念化して当たり前になり、素材やそれを構成するものを意識できなくなっているのではないか。

そうしたことを踏まえて、「生き物を感じられるか」ということは一つ重要なテーマなのかと思いました。


僕は最近埋立場に行った時に自分が沢山のプラスチックの山の上に立っていると気づきました。

その時に、僕たちはプラスチックは人工物の塊として捉えているけれど、太古の時代には全て動物や植物など命を持った存在としていたものだったと思い出ました。そう考えると人工物に思っていたものが、例えばPCのキーボードやリモコン、スマホケースのカバーだって全部何億年前の生き物の塊。そう捉え直すと、周囲のモノへの愛着も増すんじゃないかと思うようになりました。

同時に、当時の生き物は何億年という時を超えて、今自分がPCのキーボードになるとは思っていなかったはず。ということは、私たち人間も死んで数千万年くらい経ったら、掘り起こされてその時代の子孫やまた別の生き物にとっての何かの資源として使われたり、燃やされて大気に放り出されるということもありうるなと思ったりしました。

果たしてその思考が、今の自分をどこに連れて行くのか、どう行動を変えるのかは分からないけど、将来を考えたり、死後の自分たちを再定義することや、子孫との関係性がどうありたいかを考えるきっかけにもなりそうだなと思います。

そして他のグループの方の共有の中で、「境界線」をどうするかによって自然や、生き物との関係性、などは変わってくる。自然と人間の境界線をどこに引くか。デジタルとアナログの境界線をどこにするか。そう行ったことを考えるとより世界は柔軟性を持っているように考えられるなと。

その「境界線」というワードから出発して膨らんだ思考も記録しておきます。

ウェルビーングを考える上で、境界線によって仕切られた色んな壁を取っ払い繋がって行くことがもしかしたら必要なのか?という問いを抱きました。今日の世界において自然と人間が区切られているという認識は西洋文化によって生み出されました。世界に存在するあらゆるものも、元をたどると言葉というツールによって「カオス」の中から「ここからここは、この言葉で呼ぶ」と切り取られた概念や存在でしかない。仮定的に一度その境界線を全て取っ払ってしまったら、全てのものは同一の「よく分からない(分けることのできない)カオス」に戻って行くように感じます。果たしてどうやってそんな認識を得るのかは分からないけど、その根本的なレベルにおいて他のものと繋がっていた自分自身が存在しているということは認識できる。それが自然の中において、全てのもの、全ての存在と繋がっているという感覚を取り戻すヒントになるのではないかと思うのです。

そんな話を振り返りの時間にしていたら、同じグループにいた僧侶の参加者の方が「それは禅の考え方と一緒ですね」と言ってくれました。そうか、禅の考えは知らなかったけど根本的に繋がっているという感覚は宗教性の中にもあるんだ!と嬉しくなりました。

今後のプログラムでは、アーティストの大小島真木さん、アイヌ語研究者の中川裕さん、僧侶の松本紹圭さん、哲学者の戸谷洋志さんから学ぶ予定なので、また感想を更新したいと思います。




余談ですが、

とても驚いたのが参加者の構成で16人中、僧侶の方、神主をされている方、UX/UIデザイナーだったり、保育関連の方が2人もいたり。Well Beingという言葉に惹かれて参加したり、次の時代の社会や個人のあり方を考えていたりと様々。保育を学んでいる参加者の方が、「保育は未来そのものと仕事をしている職業だから」と言っていて、そうかそういう捉え方があったのかと衝撃を受けました。今後が楽しみです。

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