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アフォリズム

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自分に対する戒めと、あと格言になり損ねたつぶやき集です。
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5類の功罪。功は世の中からコロナ禍の陰鬱さが薄れたこと。罪は日曜日お昼どきをピンポイントに狙い撃った狡猾な訪問販売の男のインターフォンが復活したこと。功はマスク外せるのは笑顔の美しい美人だけ。罪は無表情なぶさいくはマスク外せない息苦しさよ。コロナ禍以前に戻らないコロナ禍後の世界。

変なこだわりは捨てた方がいい。変なこだわりは変なこだわりでしかないから。作品が、どうすればもっと良くなるか、作品を遠目に見て作品をより良くする、ただそれだけに尽くせばいい。だから書き手の変なこだわりは捨てた方がいい。作品は書き手のためにあるべきではなく、読み手のためにあるべきだ。

その人を知りたければ、その人が嫌いな人をその人のどこを嫌うか教えてもらえばよい。知りたいその人の表の顔でなく裏の顔を知れるから。裏の顔はつまりその人の真実のその人なのだ。その人を知りたくなければ、その人が好きな人をその人のどこを好くか教えてもらえばよい。追いつかないその人だから。

都内某所にある虚栄をはった文壇バーに高性能時限爆弾が仕掛けられた。権威と過去の著作、ほとんど水のオン・ザ・ロックに酔った、酔われた自称文豪たちの多くが命を落とした。だが、誰も困らなかった。彼らの作品の多くは世間に読まれず、仲間内の評価に見合わずその文芸価値は極めて低かったからだ。

遠まわしにあいまいに、直接的でなく間接的に、結論を述べず冗長に述べて、回りくどく近道を行かず、簡潔というか複雑に、それをそれとは言わず外堀を埋めるだけ、頭の回転トルクを落として力強くタイヤを回して、説明せずに省略して余白を想わせ、イメージを味わう。でなければ小説を書かないだろう。

時短であれこれぎゅうぎゅうに詰めて巡るよりも、旅館和室の広縁でアサヒ注いだ小グラス片手にはだけた浴衣姿、のんびり田舎風景眺めて一日すごせたら幸せだろう。それは小説もそうで、あまり贅沢にいろいろ詰めこんだら目が脳が疲弊するだけで、省略というか贅肉は削ぐのがよい。じっくり味わいたい。

勧めませんが、僕の小説の読み方。小説は後ろから読みます。夏目漱石の『草枕』じゃないですが、優れた小説はどこから読まれても破綻しない強度がある。三島由紀夫の『夏子の冒険』のように物語を追うのもよいが、高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』のように詩を味わうのもよい。勧めませんが。

才能があるってのは、才能がないってことだ。才能がないってのは、才能があるってことだ。絵描きの才能があるってのは、飛び込み営業の才能がないってことだ。飛び込み営業の才能があるってのは、絵描きの才能がないってことだ。科学者の才能があるってのは、小説家の才能がないってことだ。逆も然り。

睡眠の質を改善し、疲労感を軽減する機能性表示食品なんだって、と妻が言って、その、睡眠の質を改善し、疲労感を軽減する機能性表示食品をぐびぐび飲むんだが、飲んだ後に寝る前に妻は、豆をミルで挽いて、ことこと淹れたまっ黒なコーヒーをずるずる飲んでしまう。眠れない。妻の鼾に僕は、眠れない。

いい小説とは。笑える小説だと思う。伊坂幸太郎が云ったように。きれいごとだけじゃない、悲しいだけじゃない。真面目だけじゃない、不真面目な笑える小説がいい小説だ。巷には真面目な小説があふれ返っている。真面目な顔をして真面目なお話を真面目に書いた小説。不真面目さがいいのに。笑えるのに。

二刀流。毛先の堅いのと柔らかいの。細いのと太いの。ずぼらな性格でせっかちな僕でも二刀流デビューしたら二刀遣いで振らざるを得ない。二刀であれば一刀よりも、やっかいなあいつをやっつけやすい。毎日だから。一刀よりも二刀の方が心強い。歯と歯の間に潜むプラークは二刀構えの僕をひっそり窺う。

想像の余地を残すこと。どんなものでもそうだが、説明しすぎるとつまらない。せっかく作品の世界観に浸りたいのに、役者主体のオーバーリアクションや過剰な説明論調に興醒めする。親切心ではない。無表情に寡黙に語ればいい。視聴者や読み手の自由に解釈する楽しみを作り手のエゴで奪ってはならない。

鉛筆を握って書くこと。鉛筆削りで先端を削って準備して、A4の横罫レポート用紙に横罫を無視して、勢いのまま言葉を走らせるのだ。誤字脱字を気にせず、手が動くままに頭の中のイメージを書き写し、見えたまま聞こえたままを描写するのだ。どんな結末が登場人物たちに待っているのか。僕は知らない。

ホワイトデー。義理チョコをぎりぎりチョコをたくさん頂き、ちょこちょこチョコを片付け、目処がたった今日この頃。お返しだ。ホワットデー。なんの日だ。お返しする日だ。なにを。義理を。ぎりぎりを。ちょこっとチョコのお返しをちょこちょこ返すのだ。チョコ負債をけっこう抱え、今年もでこが痛い。