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雑文(63)「スイカゲーム」

 交差点で信号待ちしてる時だった。
 歩行者の目線は一点に注がれ、例に漏れず僕の目線も注がれた。
 歩行者用信号が青に変わる。
 歩行者が歩き出すが目線は一点に注いだままで僕も歩き出したが目線はそこに注いでいた。
 困惑した顔だった。
 それはスイカだった。
 スイカを抱えていた。
 見事なスイカだった。
 だから歩行者の目線は僕の目線はそこに注がれていたのだ。
 横断歩道を渡り、すれ違う時に見たそれは遠近法を無視した大きさで、スイカを抱える女性は背中を向けて僕のいた歩道へ歩いて行く。
 僕は。
 渡るはずだった横断歩道を渡らずに踵を返し、僕のいた歩道へ戻る。というか、女性の背中を追った。
 スイカを抱えた女性は横断歩道を渡ると数歩歩き、向こうから来る歩行者を避け、駅前バス停のベンチに腰をおろした。
 僕は。
「見事なスイカですね」と声を掛けていた。なぜ声を掛けたのか? それがあまりに見事なスイカだったから? そんな理由で? 僕の頬は赤らんだ。
 座ったまま僕を見上げた女性が困惑げに言う。「よく言われます」
「とても重そうだ」気付いたら僕は女性の横に座っていた。なぜ断りもなしに座ったのか? それがあまりに見事なスイカだから? そんな理由で? とにかく僕は座って女性の反応を待った。頬はさらに赤くなる。
「誰もわたしの苦労なんかわかりませんよ。とても重たいんです。すこし歩くだけで息が上がってしまう。肩だってずっと凝ってるし、それはね、眺める分には見事なスイカでしょうが、わたしからしたら、別にわたしが希望したわけじゃないから、こんなスイカ」
「想像はできます」僕はスイカ見ながら言った。
 女性の声がすこし高くなる。「簡単に言わないでください。想像と実際はまったく違う。知らない人から好奇な視線を感じる気持ち悪さはわからないでしょう?」
「わからない」正直に僕は言う。
「お譲りしましょうか?」思わない提案に僕の目は口は開いたままだ。「どうですか?」
 僕はすこし考えて首を縦に振った。無意識だった。
「ほんとうに?」女性がすこし僕に近付く。女性の生温かい吐息と匂いが僕の顔をやさしく包み込んだ。僕はまた肯いた。
 スイカを受け取り、女性は身軽になるとすこし笑み、腰を上げ、足早に去っていった。お礼も言わず、お礼も言えず。スイカを渡した女性は去ってしまった。
 僕はスイカを抱えて、その見事なスイカに目を奪われていたが、腰を上げようとしたが上がらず、腰に力を入れたらなんとか立ち上がれた。
 肩にそのスイカの重さが加わる。数歩歩けばその見事なスイカに憎悪を抱いた。交差点で信号待ちを待ち、横断歩道を渡す。歩行者の誰とも知らない視線を感じるにつれ、僕は吐き気を覚える。スイカは変わらず僕の肩に永続な重さを提供し、僕は横断歩道を渡ると息が上がり、その育ち切った見事なスイカの重さに膝が小刻みに震える。
 ずっと抱えてきた女性の気持ちがすこしわかって涙ぐんだが、誰も僕の苦痛はわからず、向こうから来る歩行者は僕の抱えたスイカに視線を注ぎ、通りすぎて行くだけだった。
 見事なスイカだな。
 僕の苦痛を知らず暢気に思う思念を僕は背中に感じながら泣きそうになる。
 立ち止まった僕を避ける歩行者の視線は変わらず僕の抱えたスイカに注がれていた。

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