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雑文(90)「サバイバル高校生」

「違えよ」
 アサクラユイは、窓を背にして立つイノウエサトシに、半ばあきれて、そう言った。
 イノウエサトシは、言わなくていいのに言ってしまう、それが、アサクラユイを逆なでするとは知らずに、こう言った。
「だから出たら、出たらいい」
「おまっ」と、アサクラユイは、イノウエサトシの術中に、いや天然にか、はまるのは否って表情に変わり、これ以上の面倒は勘弁してくれって表情に変わると、イノウエサトシを無視し、窓の外を眺めるマツシマユカリの後ろ姿に目をやり、イノウエサトシと違った、柔らかな口調で声をかけた。「ユカリ、代わり映えしない景色だよな」
 マツシマユカリは、声をかけたアサクラユイに振り向かず、窓に映ったアサクラユイの困惑顔に、窓越しに話した。「中学生の時に行ったプラネタリウムを思い出すよ、ユイ」
 マツシマユカリの背後に近付いたアサクラユイが、マツシマユカリが眺める外の同じ景色を眺めながら、アサクラユイは、窓に映ったマツシマユカリのうっとり顔に、窓越しに話す。「だな。流星群。まっ、異空間だから、似たようなもんだよな」笑った。
 イノウエサトシが横を向き、マツシマユカリ、アサクラユイと横顔を見ると、言う。「だから出たらいいんだって」
 アサクラユイが、イノウエサトシをにらみ、言う。「見てなかったのかよ、お前は。イノウエ、見てただろ? 担任のサイトウ、どうなったんだっけ?」
 イノウエサトシは、アサクラユイの言葉にはっとし、硬直した。
「様子見るって恰好つけてさ、ドア開いて廊下左右を見たら、どうなったんだよ? そうか。あれから何ヶ月経ったかわからないから、お前忘れたんだよ、私たちがいま地獄ピンチなこと、緊急事態宣言中のこと、知らないんだろ?」
 イノウエサトシは、アサクラユイに圧倒され、押し黙った。
「あーあ」と、アサクラユイが、教室の無機質な白の天井を眺める。「私たちが一体何したって言うんだよ。悪いことなんかしてねえのによ、何でこんな目に遭わなくちゃならねえんだよ、ったく」
 イノウエサトシは、頭の整理が付いたのか、口を開いた。「緊急事態宣言は出てない」
 はあ? って表情をイノウエサトシに向けたアサクラユイは、「私が出したんだよ。お前、馬鹿かよ。誰が出せるんだよ、この緊急事態な時によ。違うか? イノウエ」
「国が」イノウエサトシは、言う前から震えている。
 国? って表情をイノウエサトシに向けたアサクラユイが、快活に笑った。「脱税の汚職が露見して、内閣総理大臣を含めた国会議員八○人が三条河原にさらし首になっただろうがよ。お前、新聞読まねえのかよ、まー、読まねえよな、お前は」
 マツシマユカリが、窓際の席に座った。イノウエサトシの視線の移動から、アサクラユイはわかった。
 アサクラユイは、イノウエサトシに深めの息を吐き、マツシマユカリの座った席の前の席の椅子に、背もたれを腕で抱くように、前後ろ逆に座って、マツシマユカリを見た。「何してんだ?」
 マツシマユカリは、顔を上げて、アサクラユイに言う。「日記だよ。後々誰かが読んだ時に、私たちの状況がわかった方がいいかなって、そう思ったんだよ」
「賢いな、ユカリは。誰かと違って」そう言ってアサクラユイは一瞬、イノウエサトシをにらんだが、すぐにマツシマユカリに視線を戻した。アサクラユイからは上下逆だが、開いた日記帳に、アサクラユイは目をやった。「可愛い字だな。小さくてなんというか、私は好きだよ、ユカリの字」
「ありがと」マツシマユカリは、照れくさそうに、アサクラユイから目線を外し、日記帳に目を落とし、左手に持つシャープペンシルのグリップを強く握った。
「でも、先生可哀想だった。こんな時先生居てくれたら、どうすればいいのかって、相談できたのに」
「大人だけだ。居ても居なくても変わりねえよ。幸か不幸か、これも少子高齢化のお陰か、クラスメイトが二人、いやイノウエ入れたら三人か、少なかったからよかったよ。多かったら多かったで、たぶんグループつくって、もっと殺伐してたに違いない。よかったよ、少数精鋭で。イノウエは除くが」
 イノウエサトシは、背後の会話が聞こえないように、窓の外に流れる異空間の景色を眺めている。無論しっかり聞こえているから、イノウエサトシの瞳に若干の潤んだ涙をたたえて、無口に、いや下唇を前歯で噛んで、背後の会話に耳をそばだてていた。
「サイトウの頭部は今頃、異空間のどこを漂っているんだろうな」アサクラユイが、素朴な疑問を口にするように、物騒な発想を展開した。「イノウエの奴、それを忘れてさ、ドアを開けて、廊下があるって思って飛び込みたいんだとよ。バラバラになって異空間を漂いたいんだって。正気じゃないよ、イノウエは」わざと声を張って、イノウエサトシに、はっきり聞こえるように、アサクラユイは、そう言った。
「そう言えば」マツシマユカリが、思い出したように、言う。「昔何かで読んだんだけど、漫画だっけ、『漂流教室』ってタイトルだったかな、それがとてもいまの私のたちの状況に似ててさ」
「ほう」アサクラユイは思わずうなった。「それで、それで」言えば前屈みになっている。
「内容はほとんど忘れたから状況が似てるとしか憶えていないんだけどさ。最後はなんか、凄い結末だった気がするよ」
「そうか」残念って表情になったアサクラユイが、笑う。「ユカリが面白いって言うなら、私も読みたいな」
「家に帰れたら、お父さんの書斎の棚にたしかあったと思うから、ユイに貸してあげるよ」
「ありがとな。誰かと違って、ユカリは気が利くなあ」と言って、アサクラユイはちらっと無表情にイノウエサトシの背中を見、すぐにマツシマユカリに視線を戻して、笑った。
「お腹空いたな」と同時に、アサクラユイとマツシマユカリの、ついでにイノウエサトシの腹が低く鳴った。
「まだ、あったっけ」アサクラユイは席を立ち、教室の後ろに向かった。窓際の角にある用具品入れのロッカを開けた。視線を落とし、バケツの中をのぞいた。
 マツシマユカリの座る席の前の席に座り直したアサクラユイが、マツシマユカリに、窓際で現実逃避に忙しいイノウエサトシにも聞こえるように、はっきりした口調で、区切って言う。「やべえな。残り僅かだ。もって、そうだな、数日といった所かな。いよいよだな、私たち」
「残ったのは?」マツシマユカリは、素朴な疑問を口にした。
「右のふくらはぎだけ。サイトウの奴が肥えてて脂肪蓄えていたら、よかったんだけど」
「そだね」マツシマユカリは笑った。アサクラユイも笑った。イノウエサトシも窓越しに笑った。

 各自の机を横長に並べ、最期の晩さんを終えた、最期の夜更けだ諦めた、三人が各々腹を括った真夜中だった。
 異空間を移動する、いや流される教室が止まった。正しく表現すれば窓の外を流れる景色が止まった。だから教室が相対的に止まったと、三人は判断した。
「出てもいいのかな?」ドアの前に立つマツシマユカリが、恐る恐る背後にいるアサクラユイに、たずねる。
「どのみち私たちは餓死するから、希望に賭けようぜ」と、アサクラユイが、やっぱと言って、マツシマユカリと先頭を代わった。「最初に新鮮な空気をユカリに吸わしたかったけど、バラバラになったら私、どうしたらいいのか、きっと泣いちゃうから、私が行くよ」
「ユイ、ごめんね」
「私が出て、安全だとわかったら、ユカリついて来いな。イノウエも、ついでに」
 イノウエサトシは影薄く、小さく返事した。
 アサクラユイがドアを引き、廊下に一歩、踏み出した。数歩進み、アサクラユイは、上を見上げていた。アサクラユイからの、安全だ、という声かけはなかったが、少なくとも異空間でバラバラになっていないから、マツシマユカリは生唾を飲み込んで、ドアの外へ一歩、踏み出して数歩歩いた。続いて恐る恐る、イノウエサトシもドアの外へ一歩踏み出し、数歩歩いた。
 三人は、アサクラユイを先頭に縦に列を成し、アサクラユイは、うわごとのように独りごちた。
「大きな顔だ。大きな顔が私たちを見ている。まぶしくてよく見えない。ここはどこなんだ。あんたは誰なんだ。私たちをどうする気なんだ」
 マツシマユカリも、アサクラユイと同じく見上げ、身体を震わせていた。イノウエサトシも同じくだ、身体を震わせ、とても大きな瞳を眺めていた。
 マツシマユカリが、怖じ気を隠すように、大きな顔にまた叫んだ。
「あんたは誰なんだっ」

 貴方は。アサクラユイ、マツシマユカリ、イノウエサトシを眺めるだけで、何も言わない、あるいは何か言った。

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