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雑文(22)「秋をあきらめて」

 うだるような暑さと、陳腐な表現で形容したいうだるような暑さの日、わたしはひとり電車に乗ってハワイアンハンバーガーを求めていた。
 電車に揺られながらチーズバーガーとクラフトコーラを頼もうと、揺るぎない意志を持って、わたしの口は完全にハンバーガー口だった。
 想像すらだけで口の中は肉汁でいっぱいで、ハンバーガーにかぶり付くわたしを思い浮かべては生唾を飲んで、ストローでコーラを吸っていた。
 駅に着くと、わたしの足は決まったルートを覚えていたので、ランチどきのハンバーガー店に向かう。わざわざ電車を乗り継いで来るだけの価値がそこにあるのだ。絶品のハワイアンハンバーガーが、テレビのコマーシャルで流れる嘘っぱちのハワイアンハンバーガーとちがう、本物がそこにあるのだ。
 店が近づくにつれ肉の焼ける、わたしの胃袋をきゅうきゅう鳴らすなんとも旨そうな匂いが漂ってきて、わたしは店のとびらを押して店内に入る。
「何名様でしょうか?」
 カウンターの中に立つ女性店員が明るくそう訊ねた。
 わたしを人差し指を立て、ひとり、と、答え、女性店員が奥の店内を見渡し、わたしに振り向くと、「少々店内でお待ちいただけますか?」と言って、カウンターから出て、わたしにメニューを手渡す。「きょうのおすすめは数量限定のロコモコ丼になります」裏返し、「こちらがハンバーガーのメニューになります。ご注文がお決まりになりましたら、お声かけください」
 にっこり笑うと女性店員は持ち場のカウンター内に戻り、シェフ兼オーナーの男性に注文の件でなにやら話しはじめた。
 わたしの心は決まっていた。ハンバーガーだ。ハンバーガーを食べに来た。チーズバーガー、それとクラフトコーラだ。わたしは本格的なハワイアンハンバーガーを食べに来たのだ。コマーシャルで最近流れるハンバーガーチェーン店の偽物じゃなくて本物を。
 シェフ兼オーナーの指示で夫婦のすわる4人掛け席を半分に割って席をつくるとわたしを案内し、わたしはせっかちだから案内されるのと同時に注文を通した。むろん。チーズバーガーとクラフトコーラだ。
 それにしても暑い。
 店内はクーラーがかかっていたが、それでも暑い。汗が自然と額から滲み、頬を伝って顎先より落ちた。汗はテーブルの上にテーブルの色よりも一段階濃い丸い小さな点を描いた。
 丸い点を隠すように、頭上から、お待たせしました。チーズバーガーとクラフトコーラになります。と、さっきの女性店員が商品の載ったトレイを置き、籠に入ったバーガーホルダーを見て、よろしければお使いくださいと言って、微笑むと持ち場のカウンター内に戻っていった。
 チーズバーガーとクラフトコーラである。
 わたしは生唾を飲んだ。目の前に本物がある。テレビのコマーシャルで嫌々こっちこそ本物だと言い張る大手バーガーチェーンとちがう、本物がそこにあった。
 わたしは付け合わせのポテトをフォークで刺して口に運んで咀嚼する。バーガーを両手で包み込むように持って、大口を開けてかぶり付いた。一口かじってバーガーを置き、コーラをストローで吸って、ポテトを食べる。また、わたしはバーガーを両手で掴んで、大口を開けてかじった。後は、同じことをくり返す。バーガーを食べる動作をわたしはただくり返すだけだ。バーガーがわたしがかじった分、減っていく。ポテトもコーラも、食べた分、吸った分、減っている。
 ナプキンで手先を拭い、席を立ち、女性店員と会計を済ませると、カウンター前を通り抜け、シェフ兼オーナーが厨房の中から、お暑い中、ありがとうございました、と、声をかけ、わたしは店のとびらを引いて外に出た。
 あいかわらずの、うだるような暑さだ。わたしは店に来る前より暑く感じた。暑さで眩暈がした。よろよろと、白い湯気のゆらゆら立つアスファルトの上を、わたしは力強く歩きはじめる。
 九月だと云うのに、暑いな。
 わたしの頭の中では、夏をあきらめて、ではなくて、秋をあきらめて、が、くり返しくり返し、壊れたラジオのように流れていた。
 壊れたラジオ、いや、壊れたレディオ。
 こんな陳腐な表現で形容したいだなんて、わたしは空を見上げ、ぜんぶこの暑さのせいだ、と、雲ひとつないあおぞらに責任転嫁した。
 秋をあきらめて。
 わたしはきゅっと唇を結ぶとまた力強く踏み出しはじめた。

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