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疲れぬ体

疲れやすくなった。
年齢のせいだ、と友人には笑われるが、とは言ってもまだ33歳。経産婦ではあるけれど、こんな速度で身体が年を取るとは思えない。確かに長く眠れなくなったし、初めての白髪が生えたし、夜中に尿意で起きる日も増えた。わかりやすく加齢の影響を感じるけれど、いやしかし、もっとエネルギッシュな人間でいたい。そう、わたしはエネルギッシュな自分が好きなのだ。

フッカル、と褒められることがある。フットワークが軽い。略してフッ軽。軽さでおなじみのわたしのフットワークが最近かなり重い。コロナで人と出会えなくなったのも大きいけれど、関東にいた頃は月に一度は参加していたワークショップや勉強会にも福岡に来た今は年に一度参加するかしないか、になってしまった。湘南新宿ライン、あるいは埼京線で東京に気軽に行けた頃、わたしはエネルギッシュだった。双子を夫にあずけ、丸一日出かけることもよくあった。今はコロナもあるし、地域柄なのか気になるイベントもそう多くない。既知の友人と出かけることはあっても、知り合いが増えるような会に行くことはあまりない。かといって、全国誰でも参加できるオンラインはどうにもそのコミュニケーションの公明正大さが性に合わず、なかなか申し込めない。ワークショップや勉強会が終わったあとのだらけた空気の中、なんとなく気になる人に話しかけて友達になれた日々はずいぶん遠く、安直だけどその変化が今の自分のなんだか進んでない感じ、と関係あるように思えて仕方ない。

感染症のせいで家族以外との偶発的な繋がりを断絶された人は、かなり多いだろう。さらに、家族なのか家族じゃないのかわからない人との関係をこれからどうすればいいのかわからなくて悩んだ人も、とても多いだろう。偶然にも異性と結婚し子どもがいるわたしは、一般的なものさしでいう”家族”と同居していて、だから物理的に一人ぼっちを強いられることはなかったけれど、それでもあの頃、何かが確実に足りなかった。

コロナが始まってすぐ、2020年の4月。どのニュースを見ても「自宅で過ごしましょう」と言われてしまっていた時期、どうしても会いたい友人に思いつきで会いに行った。20時の高速道路をスイスイ抜けて、突き動かされるように東へ走った。友人の住むマンション郡の下、小さな公園でわたしたちはごわつきに慣れない不織布のマスクをつけて、10mの距離を保って喋った。20時半の公園の遊具は妙につやつやして、彩度が高い。わたしたちは友だちになって15年経っていた。どうでもいいことをたくさん話した。今でも覚えている。友人が、紅茶を飲めるようになったんだ、と報告してきたのだ。
「最近気づいたんだけど」
「うん」
「紅茶さ、砂糖とミルクが入ってなかったら飲めるわ」
「まじ」
「うん、発見した」
「それすごい発見」
「今日もペットボトルの無糖の紅茶飲んだ」
「紅茶大嫌いて言ってたのに」
「ね」
「すげーわ」
「うん」

こんなどうでもいい大発見を、必死になって話した。通行人が来たら会話をやめた。去ったらまたすぐに喋りだした。10mは遠くて近い。わたしが何かでたまらずに声をあげて笑うと、友人が「ちょっとうるさいわよ」と笑った。立ち並ぶ四角いマンションの間をわたしの引き笑いが通り抜けた。
どうしてわたしたちは離れていなきゃいけないのか、そのときはまだはっきりとは理解していなかった。けれど相手をなるべく危険にさらさず、しかしノーリスクでないことを承知できる、本当に会いたい人にだけ会っていたあの頃。太いコミュニケーションはより太く、細いコミュニケーションはより細くなって、場合によっては切れた。あの日友人に会いに行ったような衝動が今あるかと言われると、あまりない。

これが年齢なのだろうか。白髪が生えたわたしにはもう、あの日の勢いはないんだろうか。家に押し込められて、誰にも会うなと言われ、外ではマスクをし、23時のスーパーでゾンビみたいに買い物をして、家庭での役割を色濃く塗られてしまった日から、わたしはひとりの人でなく、仕事をしながらほぼすべての家事をする、つまり母親になってしまった。翌日のことを考えずに行動できなくなった自分が、ずいぶんつまらない。翌朝の子どもの朝食のことばかり考える自分が、心底好きじゃない。

風向きを変えたい。そう思った。
そしたら、今年の9月も10月も、思いの外たくさんの予定が入った。通話したり出かけたり食事したり。みんなも風向きを変えたいときなのかもしれない。もう我慢に飽きたのかもしれない。そういうときになんとはなしに声がかかるのは、うれしい。

もうすぐ夫の誕生日が来て、友人と岩盤浴に行く日があって、そして旅行にも行く。もう全然、疲れてる場合じゃなかった。最近買った”疲れない体”を作る本を、急ぎ足で読み始めている。疲れてる、場合じゃないのだ。

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