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なぜ「俺の考えた最強の引継ぎ書」は不評なのか-「読まれる」引継ぎの作り方


つい先日、私の友人が飛んだ。都内から新潟に行くことが決まったのだ。昨年末のとあるコンペに負けて心底落ち込んでいた彼に、春の新潟行きが舞い込んだのだ。「役職は上がるんだ」と彼ははにかむが、完全に飛ばされたなと思ったのは内緒だ。しかも後任は未定だそうだ。彼の新潟での出会いに幸在らんことを。


さて、離職、離任、そして引継ぎのシーズンである。業務引継において、前任者から渡される大量の資料に絶望した経験はないだろうか。

「これを読めばわかるから」と言われた「資料の説明書」。考えるだけでもうんざりする情報量。仮に推している上長であっても「推してるけどくっっっっそ読みにくいなこいつの文章!!」となるケースはままある。これは相手の文章力の問題なのだろうか?

断定するのはちょっと待ってほしい。そもそも、自分の書いた文章は相手に伝わってるのか?その上長に自分もなってやしないか?

あなたの引継ぎ書、大丈夫?


論理的思考と感情的思考、「それってあなたの感想ですよね?」的な引継ぎにいちいちイライラせず、さらにイライラさせないための引継ぎを作るため以下を読んでほしい。

そもそも引継ぎ資料って役に立ったことある?

結論、ほとんどない。なぜなら多くの引継ぎ資料はアリバイ作りだからである。

多くの引継ぎ資料は全く役に立たない。真面目に書いているつもりでも、おそらく書いた側の意図は全く伝わっていないし、読む側もそれをくみ取る気持ちがない。なぜか。「どこに何が書いてあるかわからないから」である。

書いた側からすると「そんなわけがない、順序だてて丁寧に書いたはずだ」と思うだろうが、その順序はあなた基準のものさしであり、そもそも引継ぎを頭から終わりまで丁寧に読む人間がどれだけいるだろうか。あなたの熱量はそのままただのプレッシャーになっているのだ。コスパタイパで語られる現在、文章を全て網羅的に読む人間などほとんどいない。世間は140字のストーリーか、わかりやすい画像を求めている。文字好きの物好き以外にとって文に価値はないのだ。そう、そもそも誰もその長文を読んでいないのだ。だから伝わっていない。役に立たない。その膨大な引継ぎ書は「私はこんなに仕事をやってました」アピールのアリバイ作りでしかないのだ。せっかく書いたのにね。しょうがないね。


ではどうやったら効果的な引継ぎ書を作成できるのか。多くの企業で発生している、極めて一般的な俺の考えた最強の引継ぎを紐解きながら、一つ一つ整理していこう。

「俺の考えた最強の引継ぎ」とは?

それは端的に言えば「雑多な文章」である。そんなことはない、章立てしているし、項目ごとにしっかり色分けしてある、と反論があるかもしれないが、それだ。章立てするほどなのそれ?


SDGsのポスターを見てほしい。シンプルに見えて、よく見ると項目が多すぎてうんざりするのが伝わると思う。だから浸透しないし、一部はわかったふりをする。

分類すれば雑多ではない、は引継ぎにおいて大間違いだ。雑多だと思う印象はその項目の多さによるものだからだ。効果的な引継ぎにはシンプルさが求められる。削るところをとにかく削った方が伝わりやすい、というより読んでもらえるようになるのだ。引継ぎを読んでもらうスタートラインに立つために、まずは内容を精査し削ってほしい。

でも削るところなんてない、私の仕事のすべてはここまで削り込んでようやく説明できるのだ-。その思いはわかる。で、それが重い。引継ぎは歴史書ではない。あくまで次の人に業務を円滑にしてもらうための道具だ。前線でヘロドトスを開く人間は愚か者だろう。ここまで記せば「どこを削ればいいか」は朧げにわかってくるはずだ。

具体的に見ていこう。

引継ぎって何するの?

私自身子育てを通して気づくことだが、人間は自分で準備をしないと何が何だかわからない。あれをしてね、これをしてね、着替えはこの袋よ、タイツは脱いじゃ駄目よ、と家を出る前に言ったとしても、着替えどこ???タイツ脱いじゃったよ???となるわけである。目的意識は外付けでは生まれないのだ。つまり、仕事の引継の肝はフレームを承継することにある。雑多で読みにくい「神引継ぎ」の正体は、外枠でじゅうぶんなものに「中身を詰め込みすぎた」ことに他ならない。フレームは削ってはならない。

必要なところだけ残すには?

詰め込みすぎた中身の正体は何か?それはお気持ち表明、レアケース、これらを内包した思い出話だ。とにかく、お気持ち表明とレアケースは補足説明だとしても省くべきだ。なぜなら後任での再現性がほとんどないからだ。業務引継ぎとはあなたの仕事ぶりを再現することにほかならないが、二度と同じことが起こることはない。もしあったとしても引き継ぐ必要はない。それは後任の能力次第だからだ。


あなたが話したい事、あなた自身が経験したこと、思い出、教訓、すべて引き継ぐ必要はない。というより、(ゲーム的な表現になるが)経験値は別のキャラに引き継げない。あなたが自分のプレイデータを残したいのは人情だが、それは自叙伝とか飲み会とかTwitterでやるべきだ。引き継ぎ書には全く不要な部分なのだ。そう捉えると、ご自身の神引継ぎからそぎ落とすべき項目が見えてくる。簡便なフローチャートのみが残るはずだ。これが正しい引継ぎの姿だ。


なお、レアケースとインシデントの切り分けは必要だ。会社にとって、インシデントは教訓として引き継ぐ必要があるので、切り分けに困ったら上の判断を仰ごう。

鍵は「再現性」

納得いただけない諸兄はこう思っているはずだ。「**会社のxx社長は月末は気難しいんだ」「~~部長はこのお菓子が好きだ」…そうした情報はこの引継ぎにおいて必須であると。

ここで、先程も提示した再現性という話が出てくる。行動科学における再現性とは「リピート」ではなく「同じようにできる」ことを指す。すべての引継ぎはあなたの仕事をそのまま行うよう仕向ける魔法の杖ではなく、別の人が何かを行うための地図でしかないのだ。


人間関係は極めて属人的だ。属人的とは「その人に特化したもの」や「その人にしかできないもの」という意味だ。引き継ぐことのできない唯一無二性とも言い換えられる。つまり、あなたにとって気難しい相手は、後任とうまくやるかもしれないし、うまくやらないかもしれない。わからないのだから引き継ぎようがない。故にパーソナルな情報は引継ぐ必要はない。人間関係というもの自体がレアケースに該当すると考えるのが懸命ある。

ここまで読んで、いや何がなんでも引き継ぎたいのだ、と強く思った人間は自分の道しるべを汚したくないのだろう。気持ちはわかるがそのプライドも引き継げない。一方、あなたの仕事が後進に汚されることもない。落ち着いてほしい。

引継ぎで大事なことは?

その仕事をうまくやるかどうかなんて、後任次第だと思うことだ。これは、諦めの気持ちを持つわけではなく「後任を縛りすぎない」ことが大事だということだ。引き継がれる人間に取って、情報が多すぎる状況はとてもしんどい。型にはめられ自分の仕事ができなくなってしまうからだ。

型にはめる必要のある人材が後任に配置されたらどうするか?というのも杞憂だ。まずあなたの責任になることはほとんどないし、そうでないならそのときに考えたらよろしい。それにその場合、責任は異動させた人事にあることを覚えておくべきだ。

もし後任から相談されたら、そのときに答えてあげたらよろしい。相談が受けられない環境に出向くなら、しょうがないと割り切ればよろしい。その時に効果を発揮するのが、素晴らしい引継ぎ書なのだから。ここが割り切れなければ、完成するのは読む側がうんざりする「アリバイ作り」の「神引き継ぎ」になるだろう。

これらの心構えと目的意識を持った上で、諸兄がわかりやすい引継ぎ書を作成してくれることを望む。

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