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noteを始めて1年

というわけで、早いもので1年である!実は1年前の11月18日が初の記事投稿日なのだが、ここのところドラマ欠乏時間(注:“仕事”と呼ぶ人もいる)が長くて、イケメン栄養失調になっている。残りわずか3話とか5話というドラマがあるのだが、どうも時間が取れない。
なのでドラマの記事がなかなか書けないため、一周年記念記事を書くことにした。

文通少女だった頃

3ヶ月目記念の記事ではホームページやブログやっていた頃のことを書いたが、私の『コミュニケーション史』としては、もっと遡ると「文通」がある。そう、便箋に書いて、封筒に入れて、切手を貼って出す、あの手紙のやりとりのことである。

今、世界でどのくらいの人が文通をしているだろうか?”文通”なんて言葉を知らない世代もいたりして。
小学校高学年から高校にかけて、私は文通を趣味としていた。遠い昔のことで、もうあまり記憶がはっきりしていないのであるが、小中の頃は、学校や郵便局でやっていた(?)ペンフレンドクラブみたいなものを通して、高校になってからは趣味を通して、ペンフレンドを探して、文通をしていた。

シンガポールやタイの女の子たちと

小学生の頃は、確か日本国内のペンフレンドしかいなかったように思うが、中学生になって英語を勉強し始めると、「海外文通のための英語」みたいな本を買ってきて、そこに載っている例文をそのまま写したりしながらも、5〜6人の子達と英語で文通していたように思う。

中でも頻繁にやりとりしていたのは、と言っても、郵送するのに数日かかっているため、1ヶ月に1〜2通だったんじゃないだろうか、シンガポール人のポーリーンちゃんと、タイ人のチャナワトルちゃん(みたいな名前だったような気がする、汗)だった。
二人の書くアルファベット文字がとても綺麗で、おまけに英語も達者。私が一人で辞書や本を見て、ヒイコラいいながらやっとの事で1枚書くと、彼女たちは綺麗な字でさらっと書いた3枚ぐらいの返信をくれる。大変だったが、色々と勉強になったし、楽しかった。

ポーリーンちゃんとは高校ぐらいから疎遠になってしまったが、チャナワトルちゃんとは頻繁ではなくなったものの、20代前半ぐらいまで続いていた。彼女はバンコクで大学を卒業し、確か歯科医になったはずである。どうしてるかなぁ。

趣味の世界へ、『BLACK BEAT』

歳が思いっきりバレるが(笑)、私の中学時代にマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』が大ヒットした。「ビリージーン」のMVですっかりマイケルの虜になってしまった私は、もう彼一筋。今で言う「推し」だが、マイケルが私の推し第1号である!

マイケル、およびジャクソン5のレコードを聴きまくり、と言っても当時は中学生でお金もなかったので、もっぱらレンタルレコードにお小遣いを注ぎ込んでいた。レンタルレコード店や、当時確か日本で2番目にオープンしたタワーレコードで見た、マイケル以外のブラックミュージック(注:当時はアフロアメリカンのアーティストは全てこのカテゴリーに入っていた)も聴くようになっていった。

当時はもちろんインターネットなんてないので、色々な情報を求めるうちに見つけたのが、アメリカの雑誌「BLACK BEAT」である。

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(写真=twitterより、Photo credit to the owner)

懐かしい〜!これは1984年11月号だそうで、持っていたが、もちろんもう全て処分してしまったので、画像はネットより転載。この表紙に出てる名前を全部知ってる方、歳がバレます(笑)。
当時地元の小さい書店で洋書を扱っているところがあり、そこでほぼ毎月買うようになった。確か550円。高かったー。

マイケルはもちろん、片っぱしから興味のあるアーティスト記事を英語で読んだりしていたが(流し読みね)、今私が外国ドラマを英語字幕で観るのを苦に感じないのは、マイケル愛がベースにあったからかもしれない。

JKには強烈だったアメリカ人たち

そしてもちろん、このBLACK BEATにも”ペンパルコーナー”があった。まだ中学生だったか、高校生になってからか、正確には覚えていないのだが(私は中高一貫の女子校に通っていたので、高校受験をしていない)、周りにはブラックミュージックが好きな友達が一人もいなかった。
みんなデュランデュランなどのブリティッシュ系か、オフコースやアルフィーなどのニューミュージックに夢中だったので、誰か友達が欲しい!と思って、ペンパルコーナーに自分のデータを送って募集したのである。

数ヶ月後、3通、5通、10通と、アメリカから手紙が届くようになった。
実は雑誌にペンパル募集希望の手紙を送ったあと、BLACK BEATが入手できない月が何ヶ月か続いていて、その間にどうも私の名前がペンパルコーナーに掲載されたようだったのだ。
しかし封筒を開けると。。。

こんな写真や!

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(*イメージです。写真=Gigazineより)

こんな写真が!

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(*イメージです。注:これはザック・エフロンで、もちろんこんなカッコ良くはなかった! 
写真=25ansより)

なんと、手紙だけでなく、みんな写真も同封してきていたのであった。普通に身分証明書用みたいなものが多かったが、私が男か女か記載されていなかったようで、中には上のような、なんだかセクシーショットの写真もあり、女子高生だった私には衝撃的だった!

しかも、ある日私が学校に行っている日中には、なんとタクシーで横須賀ベースからうちに来ちゃった人までいた!(私の地元は横浜)
母はドアを開けたらいきなり若い黒人男性が立っており、腰を抜かしそうになったらしい。帰宅したら偉く怒られた。(私のせいじゃない〜)
いやぁ、アメリカ人強烈すぎ。。。
(*この軍人さんには、英語のできるマンションの管理人さんが言ってくれて、帰ってもらったらしい。)

日本人の方からも手紙が

確か全部で130通ほどBLACK BEATのペンパルコーナーを通じて、手紙が届いたように記憶している。もちろんほとんどアフロアメリカンだったが、ドイツ人の女の子、そして日本人男性数人からもいただいた。
よく覚えていないのだが、日本人男性の一人か二人とはお会いしてお茶したような。。。その方達も、前にペンパルコーナーに名前が載って、えらいことになったような話をしていたような気がする。すみません、もうあまりにも昔で記憶が。。。(大汗)。

結局同年代の女の子を数人選び、返事を書いて文通をすることにした。何人かには断りの手紙を書いた気もするが、とにかくすごい量で、切手代もバカにならなかったし。
比較的続いていたのは、もう名前も忘れてしまったのだが、シカゴ、ニューヨーク、オレゴン州の女の子たち、そして上記のドイツのベルリンの女の子だったような気がする。

とまあ、こんな感じで中高時代の私は文通少女だったのである。
note一周年記念に久しぶりに思い出してみた。

今日の〆の曲は当時のヒット曲で、お気に入りの一曲、S.O.S.Bandの「The Finest」♪ まだまだ歌の歌詞を聞き取ることなんてできず(今もできるわけではない)、これはレコードにも歌詞が載っていなかったのだが、シカゴの女の子が手紙に全部の歌詞を書いてきてくれた、思い出の曲である。彼女の手書きの歌詞を読みながらレコード聴いたなぁ。
こてこてのJam&Lewisサウンド、「懐かしい〜!」って方、他にもいるかな?

見出し画像は今回もウガンダ。
こちらが一周年記念、第二弾記事。


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