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その生徒指導上の問題は本人・保護者の責任か?

保護者面談について2回書いてきた。
学校教育では、こうした計画的に保護者の方に学校に来ていただくだけでなく、子供が何らかの問題行動を起こした時に、その解決のために来校をお願いする場合がある。

さて、その<問題行動>に関して、以下の疑問がある。

教師が何もしなかったことによって起きた問題の責任は誰にあるのか。
それは、問題行動を起こした本人や保護者の責任なのだろうか。

一般的に教師は、問題が起きたら指導を開始する。
問題が起きてなければ、アクションは起こさない。

「積極的な生徒指導」が求められてはいるが、子供に何の兆候も無いのであれば、動くことはない。
それが当たり前であると一般的に見なされるに違いない。
まして、職務怠慢であるなどの非難や批判を受けることはないだろう。

では、例えば次のような場合はどうか。

A児が、特定の級友に対して意地悪を繰り返している様子が見られた。
いじめに発展する恐れもある。

X教諭は、早速本人へ指導を行った。

だが、問題は改善しない。

そこで、A児の保護者に来校をしてもらい、「事実」を伝え、家庭での指導も依頼した。

その結果、A児の問題行動は見られなくなった。

こうした出来事は、学校では珍しくはない。
場合によっては、「被害」を受けた相手の子供の保護者にも来校してもらい、加害側の子供・保護者が謝罪することもある。

さて、それで「一件落着」すれば、この例で言うと、X教諭は適切な指導を行ったことになる。

しかしである。
ここで疑問が湧く。

もしも、X教諭がもっと親和的人間関係を築く学級づくりをしていたら、A児はこんなことをしただろうか。

あるいは、X教諭が、いじめに繋がるかもしれないような「級友への意地悪」に対して<厳しい>態度を示す教師だったら、どうだっただろうか。
もしかしたらその指導方法によって、X教諭は、少しばかり学級の子供たちから煙たがられたかもしれない。
だが、A児が「意地悪」を繰り返さなかったことの確率が上がる。

しかし、X教諭はそういう指導をしていなかった。

していなかっただけで、学級経営あるいは、級友へのかかわり方に関する指導に落ち度があったとは言い難い。

だが、もし、A児の行動を事前に防ぐような指導をしていたならば、A児の「問題」は起きなかったかもしれないのだ。
A児が<汚点>を残し、保護者が親としての教育力を問われることはなかったかもしれないのである。

しかし、X教諭はそういう指導をしていなかった。
そして、問題が起きた。
X教諭は適切に対応した。

X教諭は、それにより逆に保護者や同僚からの信頼や評価を高めたかもしれない。

だがこれは、X教諭によるマッチポンプとは言えないのか。

実は、X教諭によって問題が起こり、X教諭が自らそれを収めたのではないのか。

これは、思考実験ではない。
学校教育の現場で起きている「事実」である。

そして、実は、これと類似した構図が、授業場面で見られる

明らかに指導力不足によって子供の学力が低下しているというなら、それは問題だが、分かりやすい。

しかし、例えばある国語の読解の授業で、Y教諭が大変熱心な指導を行った。
その結果、Y教諭の読ませたい<読み>を子供たちが実現した。

Y教諭の「お手柄」である。

だが、その授業の目標が不適切で、教材分析が不十分なものだったら、この読解指導は、「成功」だったのか

Y教諭にとって「目標」と「結果」が一致していればいるほど、<恐ろしく><哀しい>「事実」が、そこにあることになる。


私は、この「ヒント帳」で、保護者面談では、「事実」だけでなく「事実」に「評価」を加えて保護者に伝えるべきだと書いた。

だが、その「評価」は、実は教師である自分自身の「評価」でもあることを急いで付け加えておく。