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卒業式を子供が創る(2)

前回の「リフレク帳 167」の続き、以前に実践した「子供と創る『卒業』」の紹介である。

前回は、この卒業単元の「理念」と「方法論」をお伝えした。そして、次の実行委員会での取組を中心にして子供たちが学習活動を行ったということを説明した。

卒業アルバム実行委員会/卒業文集実行委員会/卒業制作実行委員会/卒業愛校活動実行委員会/卒業式実行委員会:概ね次の小実行委員会に分かれた…会場小実行委員会/作法小実行委員会/音楽、合唱小実行委員会/送別の言葉小実行委員会/卒業のしおり小実行委員会

今回のリフレク帳 168では、それぞれの実行委員会での具体的な活動内容をお伝えする。

1 「卒業とは何か」を考え合う

各実行委員会が内容を計画・立案し実行する上でその柱となったのは、子供たちの「卒業」に対する概念である。
11月から12月、ほぼ一か月かけて「卒業式実行委員会」による原案を元に、学級・学年で討議を繰り返し、「小学校を卒業するとはどういうことか」について考え合った。

ある年に子供たちが出した結論は、概ね次のような言葉だった。
・小学校六年間の学習・生活のまとめをし、確実に力を付けること。
・自分たちが受け継ぎ、発展させてきた(つもりの)伝統を次の六年生に引き継ぐこと。
・六年間の成長を支えてくれた仲間、家族、先生たちに感謝の気持ちをもつとともに、未来に向かって目当てや希望をもってはばたくこと。

話合いの方法として、「卒業」を表すキーワード、例えば「まとめる」「引き継ぐ」「感謝」「希望」などをまず出し合い、次にそれらを用いて文章化していくことが多かった。
結果としてどのような「目標概念」ができあがるかということより、子供たちが小学校を卒業するということに対して真剣に向き合い、自分たちなりの「答え」を出す、その話合いのプロセスに意味があると私は考えていた。

2 各実行委員会の活動内容

◯卒業アルバム実行委員会

上記のように決定した「卒業」概念を基準にして、それぞれの実行委員会は当該の内容を計画・立案・実行していくのが基本なのだが、この卒業アルバム実行委員会と次の卒業文集実行委員会に限っては、撮影や印刷・製本のスケジュール上、11月以前に活動を開始しなければならないため、「卒業」について考え合う以前の段階で動き出す必要があった。
だからといって、夏の始まりには撮影を開始する卒業アルバムのスケジュールに合わせて「卒業とは何か」について考え合うのは、早すぎるのである。
そのことを補う意味もあって、両方の実行委員会では業者と子供たちとの日程についての打ち合わせの場を設定した。子供たちが、活動の開始時期が他の実行委員会よりも早い理由を納得したり、「卒業を創る」ことへの意識を高めたりするためである。
また、前年度までの卒業アルバムや卒業文集を参考資料として見ることで、それぞれを制作する目的や理由について子供たちの理解を助けることができていたように思う。

さて、卒業アルバム実行委員の主な仕事は、卒業アルバム名、表紙の色や材質の決定、クラスページの写真の選定であった。
もちろん、これらの全てを子供たちだけで決めたわけではない。教師も「補助」をした。特にクラスページの写真については、写っている子供にできる限り偏りがないように教師がチェックすることは不可欠であった。「先生が最後に責任をもって点検した」という事実を残しておくことは、完成した時にアルバム実行委員が不平や不満を絶対に言われないようにするために必要なのである。

◯卒業文集実行委員会

この実行委員会も、卒業文集名や表紙の色、材質を決めたが、言うまでもなくそれ以上に力を注いだのは、全体の構成と割り付け、校長を始めとする各教師への原稿依頼であり、それらのページの編集、執筆である。
原稿作成に当たっては、表紙も含めて、学年ページやクラスページの内容を企画し、各学級・学年での話合いを通過させ、その上で執筆に臨んだのだった。

◯卒業制作実行委員会

卒業制作実行委員の活動は、年によって異なった。各個人が行う卒業制作、例えば「オルゴール」や「写真立て」などの製作における表現方法・技法を研究して皆に伝えたこともあれば、学年全体で取り組んだ共同制作の中心となったこともあった。

ある年の共同制作では、「六年間の思い出」をテーマに120cm✕90cmのコンパネ3枚(3学級だったので)による3枚パネル屏風の集団版画を製作した。
卒業制作実行委員がテーマを考え、学年全体の賛同を得てから、学級ごとに下絵を描き、彫り、刷った。下絵のアイデアは学年全体から募集した。
卒業式当日には、完成したパネルが会場である体育館の卒業証書授与の場所の背景を飾り、また配布されたしおりの表紙絵にもなった。
そして式後には校内に「卒業記念」として一年間限定で展示する作業を行った。そこまでが、この実行委員会の活動であった。

◯卒業愛校活動実行委員会

これは、日頃から「愛校活動」と称して毎朝校内の清掃をしていた学校での取組であった。卒業に際してその「愛校活動のスペシャル版」として特別教室にワックスを掛けたり、汚れの気になる場所を重点的に清掃したりした。その計画を立て、六年生全体で取り組むための段取りから準備、片付けまでの責任を果たしたのが、この実行委員会であった。

こうした取組について、授業時間の不足が心配になる方もいらっしゃるかもしれない。
だが、そうはならない。例えば上記の集団版画の共同制作は図工の時間に行うのであり、この「卒業愛校活動」も何回かに分けて清掃時間を使って分担して行うのだ。その時は、自分たちの教室清掃はゴミ拾い程度で済ませることで、子供にとっての負担感も減少する。

◯卒業式実行委員会

さて、卒業式実行委員会である。基本的にどの小実行委員会も、前年度までの卒業式のビデオを見て参考にした。中には、自分たちのオリジナリティを出すことに意気込んでいた子供も少なからず見られたが、それ以上に、彼らと教師が大切にしたことは、なぜその式次第なのか、なぜその形態なのか、なぜその作法なのか等を突き詰めることであった。

・会場小実行委員会
会場小実行委員会は、式場である体育館の中をどのようにレイアウトするかを考えたのだが、入退場の通り道も含めて、自分たちの「晴れ姿」を保護者や地域の人、教師にどこでどのように見てもらいたいかということが、その判断の基準だった。

本番当日の式場の設営は、一般的には在校生と教師が行う場合が多いと思うが、ある年は六年生が自分たちで行った。「自分たちの式場は自分たちで作る」との考えに拠るものだった。

式場正面の大きな横看板も、子供たち自ら準備をした年もあった。
横長のパネルに紙を巻き付け(一年前に六送会で経験済みだからできるのである)、地域の書写コンクールでいくつもの賞を獲得してきた子供が代表になってその腕を振るった。

・作法小実行委員会
この実行委員会の子供たちが、歩き方や礼の仕方、証書のもらい方などを考え、全体練習で皆に提案した。

卒業式というと、作法に最も気を使うという教師が多いのではないか。
それこそ「晴れ姿」となるようなきちんとした作法で行わせたいという思いからだろう。だがこれまで、その気持ちが強すぎて、上手にできない子を叱責したり、練習を何時間も行ったりすることがなかったか。

私は、それをやめたいと思っていた。
卒業する「主役」が、なぜ叱られなくてはならないのか。
なぜ繰り返し練習して「上手」にできないといけないのか。
もちろん、本番で動き方がわからなくなり恥をかく子供をつくってはいけない。だが、「上手」である必要はないはずだ。

それよりも、何のための「作法」なのか、つまり、「卒業すること」「卒業式の態度」の意味をその子供がどう考えているのかということの方が大切なのではないのか。

だから、実行委員を中心にして皆で考えるのだ。
理解し、納得し、その動きで卒業証書を受け取るのである。
一つひとつの動作の意味を理解し納得した子供は、叱られなくてもちゃんとやる。
何度もやらなくても覚えられる。
自信のない子は、休み時間に自分から練習する。友達同士で練習し合う。
その結果として恥をかくような失敗をすることは、なくなるのである。

・音楽、合唱小実行委員会
卒業式の「音楽」は大きく二種類に分けられる。
入退場時や証書授与時のBGMと、式歌を含めて式中に歌う歌である。
音楽、合唱小実行委員会では、入退場時のBGMと式中の歌の選曲をまず行った。教師、子供がともに候補曲を持ち寄り、六年生の総意で決定していく、その中心となって活動した。

ちなみに、ある年、わざと退場時の曲は決めずにおき、「卒業生退場」の司会の声とともに、何人かの教師がステージ裏にそっと隠しておいた楽器を急ぎ取り出して、生演奏で子供たちの退場を見送ったことがあった。もちろん、子供たちは大喜びであった。
また子供たちに内緒で、一人に一輪ずつ花を用意し体育館の出口で担任から渡すサプライズを仕組んだこともあった。
「厳粛な式」かもしれないが、それぐらいの遊び心があってもいいのではないか。

さて、音楽、合唱小実行委員は、歌については音楽指導担当の教師とともに練習日程を組んだり、練習時には伴奏や<指導・助言>をしたりした。本番の指揮者と伴奏者はオーディションで決められたが、惜しくも指揮者、伴奏者にはなれなかった子供たちも、各学級での合唱練習の場で、指揮者、伴奏者と音楽、合唱小実行委員とを兼任し、<指導・助言>も行うなど活躍したのだった。

・送別の言葉小実行委員会
私の勤務していた地域の小学校では、卒業生が「別れの言葉」を伝え、在校生代表の五年生が「送る言葉」を述べるという「呼び掛け形式」が通例であった。
送別の言葉小実行委員会は、その卒業生の「別れの言葉」のシナリオを作り、皆への<指導・助言>を行った(もちろん、教師も「指導・助言」をした)。また、個人で語る言葉役のオーディションにも積極的に参加した。

「別れの言葉」のシナリオ作りでは、「誰に、どんな思いを伝えたいか」を決め、皆から「伝えたい言葉」を募って原稿を作成した。そして、各学級による「推敲」を経て完成させた。
シナリオ作成段階での教師の役割は、全体構成の助言を行うことと、表したい思いを言葉に変換する候補を例示することが主であった。

・卒業のしおり小実行委員会
「卒業のしおり」とは、「六年間のあゆみ」、つまり「学事概要」を記載して伝えることが主なねらいの物である。
その列記してある六年間の主要な出来事に、コメントを括弧書きで付け加えることが、この卒業のしおり小実行委員会の活動内容であった。
無味乾燥な出来事の羅列にしないで、「思い出」を生き生きと読む人に伝えたいということが、この活動への子供たちの思いであった。
記入できる文字数に限りがあるため、文面や言葉によっては上記の「別れの言葉」以上に一文字にもこだわることの求められる活動であった。

3 他者と「創る」卒業式に!

以上が、各実行委員会の主な活動内容である。
子供が「創る」卒業という意味がいくらかはお伝えできただろうか。

ところで、私は急いで次のことを付け加えなくてはならない。

いくら「子供が主役」で「子供が創る」卒業式であっても、そこに参加する、例えば教師を「自分たちの思いを実現するための『道具』」にしてしまうこと、子供たちにそのように捉えさせてしまうことを、絶対にしてはいけないということである。

子供たちの思いは尊重しつつも、これまで子供たちと過ごし子供たちを育んできた教師の「卒業」や子供たちに対するに願いや思いもまた尊重されなくてはならない。

例えば子供たちが考えた作法に対して、「それは違う」と感じる教師がいたならば、その声は大切にされなくてはいけない。
「子供たちの思いだから」という理由で閉じてしまうのではなく、対話を開くことこそが、「未来を生きる力」なのである。
他者は、自分の目的を達成するための「道具」ではない。
そこを誤ったとき、その卒業式は、「子供が創る」という名のドグマに陥る。