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子供が<自由>な読書を取り戻すために

前回の「リフレク帳147」では、石原千秋氏の『国語教科書の思想』(ちくま新書,2005)や『読者はどこにいるのか 読者論入門』(河出文庫,2021)を参照しながら、教師が無自覚に国語の教科書教材を使うことの危険性を述べました。
教科書には明示的な編集意図があるだけでなく、実はそこに「隠された思想」が存在するのです。
ですから、教師は教科書教材を用いる際に、そこに潜んでいる「思想」を注意深く批評しながら教材化することが求められているのです。

さて、読むことに対するこうした国家の「見える意図・見えざる意図」は、実は「自由」と思われている「放課後の読書」、つまり子供が自分で選書をし、「読みたい本を読む」読書にも働いていると考えられます。

再度、先の『読者はどこにいるのか 読者論入門』(河出文庫,2021)を見てみます。
石原千秋氏は永瀬重敏氏の指摘(『雑誌と読者の近代』日本エディタースクール出版部, 1997)を引きながら、明治40年前後になると国家が「学生生徒の読書内容、特に課外読書の監視」をするようになったことを述べています。
石原氏によれば、明治40年前後、印刷技術の発達や国民の読み書き能力の向上などの条件が揃い、大衆が「近代読者」になり、そのために国家は、近代読者としての国民の読書を統制する必要に迫られたのです。「発禁」処分の乱発と重ねることで、国家の意図が見えてきます。

しかしこれは明治期の話であって、現在、特に教育の場における「自由読書」ではそんな規制は存在しないと、お考えでしょうか。

残念ながらそんなことはないのです。
もし、子供たちが「読書の時間」に漫画を読んでいたら注意をするという教師がいるはずです。
仮に、「いや、漫画は許す」という教師であっても、例えば子供が「性」を売り物している小説や雑誌を読んでいたら、それを見逃したりはしないでしょう。
またそれは、「学校という場にふさわしくないからだ」という理由だけではないはずです。
たとえ家庭内でも子供がそうした類のものを読むことに対する指導は、保健学習(特に中学校)において求められる指導事項の一つです。

「性」に関する読書指導が極端な例だとしても、やはり学校・教師は子供に「読ませたい本」や「あまり読むことを進めたくない本」が必ずあるはずで、そしてそれは教育として誤りではないと考えます。

しかし、いやだからこそ、その学校・教師の選書の判断に対して自らを、そして相互に注意深く「省察・監視」をする必要があるはずです。
少し前に、ある地域の教育委員会が、中沢啓治氏の『はだしのゲン』を図書室に置くことに対して閲覧制限を要請したことを覚えていらっしゃる方も少なくないでしょう。

以上を踏まえた上で、国語における子供の「自由読書指導」について考えてみたいと思います。
最近は、教科書の教材文を主教材として、関連した図書を並行読書させる指導が多く見られるようになりました。
ねらいとする言葉の力を育む上でも、また子供が本に親しむ機会を増やす上でも、意義のある指導方法だと思います。比べ読みや重ね読みに発展させることもできるでしょう。

また、定期的に学級全員で図書室に赴いたり、日頃から子供に「本を持つ」ことを推奨したりして(「ブックウォーク」と言います)、子供たちの読書の機会を増やそうと努力をしている教師もいます。

さらに、ペーパーテストや作業学習などが早く終了した子供に対して、その「すきま時間」に本を読ませることも昔からよく行われてきました。

このように「自由読書」の場面を並べてみると、比べ読みや重ね読みを前提とした並行読書の場合は、選書の規制が強いものといえます。

それに対して図書室での読書指導や「すきま時間」の読書は、自由度が高いものではあります。
しかしその中でも、図書室での自らの選書による読書に比べて、「すきま時間」の読書は選書の自由は保証されてはいますが、読むことそのものについての強制度が高く「無理強い」をしている印象が拭えません。
図書室での、多様で多くの本に囲まれた中から「(少し)わくわく」しながら本を選んで読むことに比べると、いかにも「暇なら本でも読んでいなさい」といったあまり意欲の湧いてこないメッセージを教師から暗に発せられたと感じる子も少なくないでしょう。

そこで私は、そんな「すきま時間」の読書であっても、子供が目的意識をもって本を選ぶことができるように、下のような「読書目当てカード」を子供にもたせていました。


読書目当てカード

子供の「自由読書」にあっても、一定の「規制をかける」のが、学校・教師であることは、上に見ました。
それは避けられないことですが、その枠の中ではあっても、子供に「自由な読書」をさせるための方法として、この「読書目当てカード」を持たせました。
もちろん、自己調整力を育むことにも繋がると考えます。

例示したカードは、2年生用です。使い方を説明します。
このカードの場合は、基本的に一か月に一枚ずつ配付しました。
「どんなジャンル・どんな目的」で本を読むのか、1枚で三つまで「目当て」を立てることができるようになっています。
並行読書をさせる場合にも、このカードを使用させました。
一つの「目当て」について一冊読むごとに丸印を塗らせます。
一か月が経過する前にすべての目当てを達成した子には、2枚め、つまり四つめ以降の目当てを立てて取り組ませました。

こうしたカードを持たせることで、「すきま時間」の読書に対して子供が受け身でなくります。
また、図書室に行ってもなかなか本が選べないという子が選びやすくもなります。
休み時間に図書室に行く回数が増加する子供も増えます。

「目当てに書いた種類以外の本を読んではいけませんか」と聞いてくる子もいます。
もちろん、いいのです。

決めた「目当て」は、本選びの際の「目安」です。
子供によっては、迷ったときの「お守り」のようなものです。

読書の際にこうして「目的をもって本を選ぶ」という経験を積み重ねていくことが、その後のその子供の<自由>な読書につながると思うのです。

そのときに重要なのは、この「読書目当てカード」を相互交流することだと考えます。
どんな「目当て」を設定し、どんな図書を選んでいるのかを定期的に交流し合うことで、教師が子供の読書傾向を把握するだけで終わらず、個々の子供が自らの本の選び方を見直す機会になります。
さらに、自分たちの学級集団における読書の意味を変革していくことも期待できます。

そんな協働的な学習のツールの視点からも、この「読書目当てカード」を捉えていただければと思います。

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