石田 智也

言いたいことはだいたい言い落します。 読んでくれたらうれしいです。

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最近の記事

『羅生門』

画像引用:角川映画『羅生門 デジタル完全版』より 『羅生門』を観る。 緊張のせいか、終わってみると椅子に座った体がガチガチに強張っていた。 それほど神経症的な映画だと思う。 サリンジャーの小説みたいなヒステリーへと導かれる予感。 テーマはやはり名誉(尊厳)と倫理か。 登場人物で「高笑い」をするのは三人。 多襄丸と女と冒頭でやってくる男。 これらの高笑い三人に共通するのは、崩壊した尊厳である。 高笑いは心の底から笑っているのではなく、笑っていないとやってられない計算づくの

    • 韓国映画『チェイサー』

      画像引用:映画.com 映画『チェイサー』(2008)より いいよね、韓国映画。 今回はNetflixにあった『チェイサー』。 キム・ユンソクが人を脅すと、後のシーンにも怒りのテンションが持続する。 不思議である。 救いのないパターンの『アジョシ』かな。 ストーリーは違うけれど。 刑事の誤謬とでも言おうか。 犯人や証拠はすぐそこにある。 追跡者はその対象(犯人)を追うために最後まで取り逃がしてしまう話。 捕まえるためには犯人自身を追うのではなく、犯人が追うものを、見てい

      • 映画『アナコンダ2』

        画像引用:『アナコンダ2|ソニーピクチャーズ公式』より 『アナコンダ2』からの教訓を3つ。 ①人生にショートカットはあるけれど、その道にはアナコンダみたいな獰猛で餓えた獣のような存在が跋扈しているよ。 ②だから遠回りでも安全第一。 ③頼りになるのは「俺の責任だ」と言い切れる人と生き残りたい意志をはっきり打ち出す人。 僕はこういう人類普遍の叡智には敬意をもって接することにしている。 渡る世間に鬼はないなんて言うけれど、それは欲を出さなければというお話。 これがハリウッド映

        • 映画『ダンケルク』

          画像引用:映画.com『ダンケルク フォトギャラリー』より ノーランには珍しく時間軸の往来が少ない映画である。 「私はどんな風に生きてもこんな風に振る舞い、決断しただろう」と深く確信する際に人間はもっともノーブル(noble)になることができる。 僕はノーランがあれほど時間の不可逆性の揚棄にこだわるのは、その確信を描きたかったからだと思う。 僕の想像に過ぎないのだけど。 『ダンケルク』では戦争という極限状態でも(というか、だからこそ)尊く振る舞える人間とそうでない人間を

        『羅生門』

          大友克洋『MEMORIES』

          画像引用:画像引用:STUDIO4℃より 大友克洋原作のアニメ映画『MEMORIES』を観る。 3つの短編から成る映画である。 さすが大友克洋、この人のストーリーテリングは恐ろしく開放的であり、いささか突飛な言い方をすると、どこの星から電波を拾っているのだろうと思う。 これらの短編は想定される年代も世界像もバラバラなのであるがテーマは同じである。人間の邪悪さについての物語なのだ。 1本目の『MEMORIES』に関しては、SOSを発信したオペラ歌手の幽霊(あるいは残存思念、

          大友克洋『MEMORIES』

          映画『スチームボーイ』

          画像引用:『STEAMBOY』より 『AKIRA』と同構造の説話。 力(アキラ=スチームボール)を巡る話。 どうやら大友克洋は「力の適切な運用方法」に興味があるみたい。 『AKIRA』の場合、アキラを原子力と読み替えると話がスッキリする。 原子力もアキラも「危険だけれど有益なもの」。 制御できると奢った人間には必ず厄災がもたらされ、最後には爆発する。 AKIRAでは、ラストで金田くんが「アキラはまだ俺たちのなかに生きているぞ」と言って物語は終わっていく。 この台詞は「アキ

          映画『スチームボーイ』

          パラサイト 半地下の家族

          画像引用:映画『パラサイト 半地下の家族』オフィシャルサイトより 現代韓国の偶像劇。 きっと匂うとはそういうことなんだ。 それは「友だちの家のカルピスが薄い」みたいなことだと思う。 日本語にも「お里が知れる」とか言葉があるけれど、こういう言葉って生命力を萎えさせる何かがある。 韓国は珍しいくらいの競争社会であり、アメリカ発のグローバリズムと親和性が高い。 その一例として超学歴主義があげられる。 名門大学を出なければ就職すら危うく、学力で人間の格付けがされる国。 グロー

          パラサイト 半地下の家族