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なぜ選挙前にたすきをかけてゴミ拾いする人はダサいのか

犬の散歩がてら偽善ゴミ拾いをしている。
ゴミ拾いの楽しさを伝えるべく、活動はこちらのnoteのほか、X(旧Twitter)でたまにその様子を投稿している。

そうすると、Xのアルゴリズムで、全国各地のゴミ拾い有志の活動がタイムラインに流れてくるようになる。ランニングやコスプレをしながら、通勤や登山の途中にと、そのスタイルもさまざま。

そして、そのなかで、よく見かけるようになったのが、選挙前に自分の名前が大きく書かれたたすきをかけてゴミ拾いをしている人たちの姿だ。

なんだ、この強烈な違和感。

ゴミ拾いとは利他の心だと思っている。
特に見返りを求めず、強いていえば、自分たちの暮らす地域がきれいになり、皆が過ごしやすくなればぐらいの私欲で、人知れずやっている人が多いと思う。少なくとも、私がゴミ拾いをしている感覚ではそうだ。

しかし、利他の行為のはずが、選挙活動のたすきをかけて活動することで、自分の当選という私欲が全面に出てしまう。これがダサさを感じさせてしまう正体だ。

そして見かけた側も、私欲が見え見えなので、純粋にありがとうという感謝の気持ちを抱きづらいという事実を知るべきだろう。もちろん、やらないよりは、やることで地域はきれいになるので、その行為自体は否定しない。

ただ、一つ言えるのは、ゴミをポイ捨てする人は、他人に迷惑をかけることを想像できず、自分の眼の前の快適さだけしか考えていないので、もっとダサいということだ。




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