見出し画像

不足の思いをそのままにしない

改めて心の動きを見つめてみると、案外、不足の思いになっていることが多いことに気付きます。

例えば朝起きた時、「あぁ、もう朝かぁ」とフッと思うかもしれません。

それって不足の思いです。

喜んでいませんから。

歯を磨くことを適当にしているのは、無意識に「面倒だな」ということになっているのでしょう。

これも、喜んでしていないので、不足の思いです。

もしかするとあらゆる場面で不足の思いで関わっているかもしれません。

毎日のさ細な関りで、「喜び」のような体験はあるのかなぁ?と。

体験の積み重ねが一日だとすると、不足の多い、喜びの体験が少ない一日になっていて、心身共に「疲れたぁ」となっているのかもしれませんね。

これはもったいない生き方です。

人生は楽しいのが本当だからです。

不足心。

見方を変えてみると、不足の思いは幸せへの気付きであり、「授かりもの」です。

人生の流れに適応できる人間力があり、適応できる喜びを得ることができる人間なのに、適応しないという強情な生き方、無理な生き方になっていることを、「不足の思い」で気付かせていただいているのです。

不足は「足らず」ですから、適応するのには「不足しているところがある」という気付きですね。

不足になったとき、そのまま流さないで、「不足しているところがあるんだな」と、思いを致して、心を込めて関わること。

私は、「はい!喜んで!感謝します!」と唱えて、関わる努力を続けています。

すると、決意と覚悟がついてくる感じになります。

「ネガティブな不足」が、「ポジティブな不足」に変わることを体験できます。

どんなさ細な関りでも、不足を思っていると気付いたら、「はい喜んで!」と唱えて、切り替えれば良い訳です。

不足部分の自覚が授かって、創意工夫の力が発揮されて、実践する意欲が湧いてきますよ。

不足を不足で終わらせないこと。

この努力を続けていくと、不足の思いが出たら、「あっ!」と切り替えて心を向けて関わる努力ができるようになり、喜びに取れるあなたになっていくこと間違いなしです。

不足は幸せへの「神の恵み」ですね。

続きは教会で!