「世界」がまとまるには?
ネットしか見ない私ですけど、「どうなっちゃってるの?」と、驚くというか、信じられないというか、ただただ不信感になることが多いと思っているのです。
大きなことだけでなく小さなことでも、世界中に「争い」が起こっていることは、ちょっと調べれば誰でも分かりますよね
こんなに進歩して便利になり、思想的に自由に生きられる現代なのに、まとまらないし、ますます混迷の世の中に。
大きな争いについつい目が行きがちですけど、実は目の前の一番身近な関係だって「争い」が起こっていたり、危機的状況だったりしている訳です。
国と国との「争い」は、あまりにも大きすぎて、個人ではどうすることもできません。
でも、身近な「世界」なら、まとまるチャンスはあるかもしれません。
夫婦や親子のような身近で小さな世界なら期待できそうです。
そう思うのですが、現実はなかなか手ごわい訳です。
そんな期待を「相手側」にしても、残念な結果になることが多いです。
「相手側」も、あなたに対して同じような期待をしているから。
なので、
よく頑張って平行線で行くしかない訳です。
「我慢しかない」、とか、「仕方が無い」という感じでしょうか。
我慢はしたくないので、やっぱり、「力」と「お金」だと、ほとんどの人が思っているのでしょう。
だから、「力」と「お金」を得る努力をし続ける訳です。
そして得られると、行使し始めますね。
で、
力関係が崩れると、一気に関係が破綻することになるかもしれません。
破綻しても困らないように、日々、お互いが力を付けていくのですから、実は最初からまとまっていない関係だった訳です。
そもそも、人の幸せってなんだったのでしょうか。
「人の幸せとはどういうことなのか?」という、人の目指す人生の目的が、「それぞれ違うのが当たり前」ということになっているから、最初から最後までまとまらず、良くて平行線なのかもしれないなと私は思うのです。
幸せを求めるから「争い」になるというのは悩ましいことです。
まとまらない関係になっていると自覚できたときは、「目指す幸せが間違っているかもしれない」と、自分の姿を客観できると良いと思うのです。
私自身はというと、
「人生は芸術である、楽しかるべきである」というのが良いなぁと思って努力を続けているのです。
幸せへの努力ですから幸福感がいっぱいだし、幸せな生き方なので幸せです。
そして、ふっと気付くと「まとまる」ことに。
続きは教会で!