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韓国文学読書記録【6】20240122-0128

相変わらずファン・ジョンウンを読んでいます。X(Twitter)のポストはうまく埋め込めないことがあるので、テキストをコピーすることにしました。

1月22日

✅13pages
📖 I'll Go On by Hwang Jungeun
『続けてみます』ファン・ジョンウン/著、オ・ヨンア/訳(晶文社)
📄P8-48
第23回大山文学賞を受賞した長編。

大人になって建設会社で働くソラが、子供のころをふりかえる。ソラと妹のナナの父は、工場で巨大な歯車に巻き込まれて死んだ。母のエジャは生きる意欲を失い、ソラとナナを連れて半地下の家に引っ越す。半地下には二つの貸し部屋があった。姉妹は隣の部屋に住むナギという少年と出会う。

父の法事を執り行う息子がいないという理由で、事故の補償金は父方の親族が受け取ったとさらっと書いてあって、うわあとなった。絶望した母の言葉、ナギとの鮮烈な出会いの場面が印象に残る。

D-506(ジミンさんが帰ってくるまで)https://x.com/ishiichiko/status/1749390918728507733?s=20

続けてみます

1月23日

✅13pages
📖 I'll Go On by Hwang Jungeun
『続けてみます』ファン・ジョンウン/著、オ・ヨンア/訳(晶文社)
📄P48-101
昨日の続き。ソラが語り手の章を読み終わった。

弁当にまつわる考察。エジャは子供たちをネグレクト気味で、ソラとナナはお腹を空かせていた。ナギの母のスンジャさんが姉妹に弁当を作ってくれた。スンジャといえば『年年歳歳』を思い出すけど、スンジャのスンは旬らしい。

現在のソラとナナ、ナギのことが語られる。いちごを食べられないナギ。

ソラは〈ソラとして一生を終えるつもりだ〉〈絶滅するの〉〈ソラ、という名の部族として〉と思っている。自分ひとりでも部族という考え方を教えてくれたのはナギ。ナナという部族は絶滅しない(かもしれない)。

父の死が母の人生を壊し、ふたりの娘にも影響を与えている。

D-505
https://x.com/ishiichiko/status/1749797418252837152?s=20

続けてみます

1月24日

✅13pages
📖 I'll Go On by Hwang Jungeun
『続けてみます』ファン・ジョンウン/著、オ・ヨンア/訳(晶文社)
📄P104-142
昨日の続き。語り手がナナに替わる。

ナナの語りは敬体で一人称は「あたし」。(ソラは常体で「わたし」)ナナの語りは少し幼い感じがする。幼いけど辛辣。

ときどき自分で自分のことをナナと呼びます。自意識の強い人にかぎって自分のことを名前で呼ぶのよと、上から目線で指摘されることもあるけれど、その程度の自意識を指摘してくるような自意識も相当なものだというのがナナの考えです。

続けてみます

というくだりで笑ってしまった。〈続けてみます〉という言葉が出てくる。ナギの他に、いちごを食べない男がもうひとり。

ナナとソラが銭湯で垢すりをするところがよかった。

D-504
https://x.com/ishiichiko/status/1750158327898857573?s=20

続けてみます


1月25日

✅13pages
📖 I'll Go On by Hwang Jungeun
『続けてみます』ファン・ジョンウン/著、オ・ヨンア/訳(晶文社)
📄P142-189
昨日の続き。ナナがソラの質問に〈答えてみます〉というところから。

ナナが語る子供のころの思い出。ナギと黒い金魚のエピソードは、後に起こる出来事の伏線になっている。〈人の痛みなんて考えない化け物〉にならないように覚えておかなければならないこと。

〈愛に満ち、愛を失った〉エジャのようになってしまうことを、ナナは警戒している。ソラとナナとナギが毎年恒例の行事(キムチとキムチ入り餃子を作って食べる)をする場面がいい。韓国餃子(マンドゥ)が食べたくなる。

一筋縄ではいかない家族の描き方が、既成概念に対する抵抗になっていると思った。

D-503
https://x.com/ishiichiko/status/1750455529309442382?s=20

続けてみます

1月26日

✅13pages
📖 I'll Go On by Hwang Jungeun
『続けてみます』ファン・ジョンウン/著、オ・ヨンア/訳(晶文社)
📄P192-273
読了。分類できない関係を描いた小説が好きな人にぜひ読んでほしい。

語り手がナギに替わる。一人称は「俺」。ごくたまに吸う煙草の匂いが、13歳のときに出会った「お前」の記憶を呼び起こす。いろんな伏線が回収される感じ。

ナギの母スンジャさんは戦争で避難する途中に家族を失い、6歳のとき奥地に住むおじいさんに預けられた。途中で伯母に引き取られたけど、今もそのおじいさんの墓参りをするという話も印象的だった。軍事境界線の近くにある墓。

エジャの状態を壊れたのではなく〈自分の苦痛を完成させ〉たと表現してるところもすごい。

最終章の語り手はナナ。タイトルはエジャの呪いめいた言葉に対するアンサーなんだと思う。めちゃくちゃよかった。

D-502
https://x.com/ishiichiko/status/1750813456650121478?s=20

続けてみます

1月27日

✅13pages
📖 The Age of Gentle Violence by Jeong Yi hyun
『優しい暴力の時代』チョン・イヒョン/著、斎藤真理子/訳(河出書房新社)
📄P8-34
2月6日に文庫化される短編集。「ミス・チョと亀と僕」を読む。猫と「僕」と老女と亀の不思議な関係を描く。

富裕層の老人が住む施設で働く「僕」は、ある日、ミス・チョ女史が亡くなったことを知らされる。ミス・チョは「僕」の父の昔の恋人だった。

ミス・チョの名前はウンジャ。「子」のつく名前はある世代の女性によく見られるという記述がある。「僕」の父のミス・チョに対する仕打ちがまさに優しい暴力。

亀の描写がとてもよい。特に〈最善を尽くしてそこに寝ている〉というくだりが好き。最善を尽くして寝たい。

D-501
https://x.com/ishiichiko/status/1751220340070785203?s=20

優しい暴力の時代

1月28日

✅13pages
📖 The Age of Gentle Violence by Jeong Yi hyun
『優しい暴力の時代』チョン・イヒョン/著、斎藤真理子/訳(河出書房新社)
📄P36-68
「何でもないこと」は、ある日突然、赤ちゃんの保護者の保護者になったふたりの女性の話。

ジウォンの16歳の娘が修学旅行から帰宅後、腹痛で倒れた。慌てて病院に連れて行くと出産。妊娠に気づかなかったジウォンはパニックに陥る。一方、ミヨンは息子が修学旅行で不在のあいだに恋人を家に泊めたのだが……。

何でもなくないことを、何でもないことにしようとする母親たちのエゴのぶつかりあい。ミヨンの家で起こった出来事と明るくて暗いラストシーンがつながる。

D-500
https://x.com/ishiichiko/status/1751621009852317992?s=20

優しい暴力の時代

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