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韓国文学読書記録【4】20240108-0114

成人式の当日は大学のレポートを書いていた記憶があります。振り袖よりパソコンがほしいとか言っていた。チラシに載ってる振り袖はやたらギラギラした色柄が多くて気に入るものがなかったし、とんでもなく高価だったので。

いろいろ進んでないけど、がんばれ今年のわたし。

8月の雨の日、ウンギョさんはムジェさんとユゴンさん(いつも宝くじの束を持ってヨさんの修理屋に金を借りに訪れる人)と一緒に飲み屋へ行く。ユゴンさんも影法師の話をする。怖い。

ウンギョさんとムジェさんが藤棚の下に座って話すくだりは好き。

帯には「恋物語」と書いてある。しかし、ウンギョさんとムジェさんの恋の進行はあまりにもゆっくりだ。かなり最初のほうでムジェさんはウンギョさんに〈好きです〉と言うのに、なんと89ページでやっと電話番号を聞く。教えたけどなかなか電話はかかってこない。その悠揚迫らざる感じが、もどかしいというよりおかしみがあって心地いい。

ある日、ウンギョさんが家でコップを拭いていると停電になる。

この小説がどうして「美しい」と言われているのかわかる気がした「停電」の章。読み終わるのがもったいないので少しずつ読もうと思う。

ビルの再開発が進み、建物が撤去され、人がどんどんいなくなっていく。ウンギョさんとムジェさんがスラムという言葉について語り合う場面が印象に残る。

ムジェさんとウンギョさんが夜の公園で一緒にバトミントンをするくだりが最高。終盤の海を眺めるところもいい。

著者あとがきにあるように世界は暴力にあふれているし、影法師の不穏な気配もあるけれども、ふたりが一緒にいると心強い。静かで優しくて、そこはかとなくユーモラスでもある会話を読んでいるだけで。


都会に住む「私」はオジェに誘われて田舎の唐辛子畑に唐辛子を摘みに行く。唐辛子畑の主人は、オジェのお母さんの〈新しいおばさん〉だった。

〈新しいおばさん〉の半生には、朝鮮戦争の影が。〈新しいおばさん〉は、弟と老母と一緒に暮らしていた。しかし、土地の権利を持つ弟が死に、家を失うかもしれないという状況にある。「私」たちは放置されている作物を好きなだけ持って行っていいと言われる。

なぜこの話が「上京」というタイトルなのか不思議に思いながら読んでいたんだけど、オジェが唐辛子畑に来た理由を語るくだりで納得した。都会の人も田舎の人も、野菜もウサギも寄る辺ない。

「ヤンの未来」を読む。古い団地の書店で働く「私」が、ある事件の目撃者になる話。

「私」の母親はがん闘病中で、父親が介護していて、家が貧しいので「私」は中高生時代からずっと働いている。書店はなかでもマシな職場だったが……。

救いがなさすぎて感情の行き場がなくなる。暴力をまえになすすべもない人たちの世界。

英語タイトルは”Book For Jimin”のタグをはじめた海外のARMYに訊かれたので調べて書いているんだけども、英語圏で翻訳されていない場合は正確なものがわからない。主に参考にしているのは、Digital Library of Korean Literatureというサイト。『誰でもない』は”No one”になっていた。でも、日本語訳の本をよく見たら”Nobody Is”だった。晶文社は英語タイトルもクレジットに記載する決まりがあるのかもしれない。というわけで、これからは”Nobody Is”と書く。

チェヒの両親は失郷民(解放後の南北対立と朝鮮戦争によって北から南へ避難し、故郷を失った人)で、友達に裏切られたために多額の借金を背負った。それでも家族仲良く支え合って生きてきたが、父親が大病を患ったことをきっかけに、両親の関係が悪化していた。

「上流には猛禽類」って不思議なタイトルだけれども、その由来がわかる場面があまりにも無慈悲で居心地悪くて、ちょっと笑ってしまった。ファン・ジョンウンは暗黒ホームドラマの名手。あと、人間以外の生き物も存在感がある。「上京」はうさぎ、「ヤンの未来」はねこ、「上流には猛禽類」はクモ。

「私」がチェヒの母親の少女時代を想像するくだりが好き。

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