意識

幼少期より、自然界、精神世界に深い興味を持つ。その後、成人しOSHOと不可思議な出会い…

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幼少期より、自然界、精神世界に深い興味を持つ。その後、成人しOSHOと不可思議な出会いが起こる。その記録の物語です。楽しんで頂けると嬉しいです。

最近の記事

OSHOの特異なアプローチ

OSHOは複合的に答えを導き出す。核心の問題だけではなく、他の問題点も同時進行で浮上するようなアプローチだ。私のその他の出来事も更に深く眠っている場合、(私の場合、ほとんどがそうだが・・・)メインの問題と共に他の問題点も浮上させられていく。恐らく同時に出てきた問題も今しかない、というタイミングで出てきたのだろう。それらを同時に刈り取らされるのだ。面と向かい合わされるのだ。 複数の問題を一挙に見せられると、叫び出したい時もあるが、OSHOはそんな時でも、決して手をゆるめる事はな

    • 12 夫の死とOSHOとの再会

      けっして、私の事を過去形で語ってはならない! 私が退院をしてから、夫の癌の進行は思いのほか早く、3ヶ月後に無二の親友と呼んでもいい夫が亡くなった。 夫亡き後、何をする気力も失せ、かつてはやりがいを感じていた仕事も辞め、10年住んでいた夫と2人で購入したマンションも治療費の相殺の為、売却せざるを得なくなり、別の場所へ引っ越しなど、一番辛い時にそれまで大切にしていたものを、手放す事を余儀なくされた。 そんな中でのOSHOとの新たな出会いは、どれほど私の心の支えになった事だろう

      • 11 今すぐ幸せになれ!

        OSHOの講話の中での話だ。 古代インドの当時の王ジャナクが、覚者アシュタヴァクラに教えを請いに来ている場面がある。 13歳の覚者:アシュタヴァクラが、王との対話の最後に「今すぐ、幸せになれ!」という言葉を何度も言うシーンが出てくる。 そのセリフがまさに、その時の状況の私にぴったりきた。 ・・・私はその頃、勤務先をクビになったばかりだった。 私は、直近の2年の間に10回転職をし、内5回はクビになっていた。 残りは私自身から申し出て、勤務先を辞めたのだ。 この時期の仕事は、

        • 10 薬局での出来事

          私はかなり短気だ。 時々、爆発してしまう。 1年位前の事だ。その時、皮膚に何か不調の箇所が出来、薬局へ急いで行った時の事だ。 店内の掲示物を見ても、目当ての薬が見つけられなくて、近くの若い女性スタッフを呼びとめた。 アルバイトらしいそのスタッフは、「薬剤師を呼んで参りますので、ここでお待ちください。」 と言ったきり、戻って来ない。その場所でしばらく待っていたが、中々先ほどの女性スタッフや薬剤師らしい人はやってこない。20分待ち続けていた。もう、限界だと思い、店内を歩き、先ほ

        OSHOの特異なアプローチ

          8瞑想と食事

          最近、本棚の一冊の和尚の本が気になり手に取ってみた。ぱらりとめくった箇所を読み進めていくと、食事をする時の意識の持ち方が書いてあり、小さなテーブルの上にその本を置いた。 日々の食事の時に和尚が推奨している事を、やってみようかと思ったのだ。 まだ試してはいなかったが、それから3日程が経った。 程なくして東京のOSHOのセンターからニューズレターが送られてきた。 1か月に1度、これまでに出版された数百冊の本の中から、抜粋された記事が送付されてくるのだが、そのニューズレターとキッ

          8瞑想と食事

          7 自動書記

          私のOSHOとのコンタクト方法は、常識という視点から見るとかなり変わっていると思う。 自動書記という方法を使ったのだ。  OSHO自身の本の中で自動書記の事柄にもふれており、多くの人々は試していないだけで、その能力をもった人はかなりいるという事だった。  私にとって、親友と呼んでもいい夫の死後、生きているのが辛く、立ち直れないんじゃないかという位、虚脱勘が激しくて、亡くなった夫と幽霊でもいいから何とかコンタクトを取りたいと思い、OSHOの本の中に何かヒントがある気がして、ペ

          7 自動書記

          6 聖なるものの中に・・・その2

          東京のセンターにしばらく通う内に、OSHOの弟子になりたいと本気で考え始めていた。 実は一回目の申し込みの際には、センターのスタッフから却下されたのだった。 「君はまだ、駄目だ!」・・・だが、そう言われても諦める事が出来ずに再度アプローチしようと決めた。絶対、OSHOの弟子になる・・・と。 けれど私は頭でっかちの人間だ。 確かにOSHOの弟子になるには相応しくない。 諦めの悪い私は、私らしくとても単純な子供っぽい発想で、私のように妄想でいっぱいの頭を、空っぽにするには、思いき

          6 聖なるものの中に・・・その2

          5 聖なるものでないもの・・・その1

                  聖なるものの中に、聖なるものを見つけるのではなく、            聖なるものでないと思っているものの中に、                         聖なるものを見つけた時、               愛の扉が開く

          5 聖なるものでないもの・・・その1

          9 きっぱりと一人で行け! 

          OSHOのダンマパダというタイトルの本の中に、ある言葉を見つけた。 「旅人が、ともに行く師や友人を見つけられないのなら、 きっぱりと独りで行け! 愚か者を仲間とするよりは」 友とは何だろう?・・・としばらく考えていた時期だった。 20年位前の事だ。その時期、親しくしていた一人の友人がいた。 双方に子供がおり、子供達にはその子らしく、自由に羽ばたかせてあげたいという共通の思いがあった。共にキャンプにもよく出かけた。 母の様な雰囲気を持つその友人に、私は深い信頼を寄せていた。

          9 きっぱりと一人で行け! 

          4深いくつろぎ

          世界中が敵になったとしても、私が味方だよ。私が味方という事は、宇宙が味方だという事だ。 私は25才の時に、書店でOSHOの本を手に取り、OSHOの存在を初めて知った訳だが、実は、肉体を持ったOSHOに出会った事は一度もない。 書店での出会いから、5年程はOSHOはまだ、存命していた。会いたいと思えば、会えたはずなのに、肝心なその時には、OSHOに会いたいという思いは起こらなかった。周りの友人達はOSHOに会いにインドに行く人がかなりおり、帰ってきた友人達からOSHOの話を聞

          4深いくつろぎ

          3 ある年の冬・・・

          その時・・・私は病に倒れ、生死を、さ迷っていた。 いくつかの偶然が重なって、奇跡的に助かった命だという事が、後になって解ったのだった。 私はその頃、公私共に多忙を極めていた。 派遣会社に勤務していた為、年末年始は、派遣の請負先企業へのご挨拶やら、人材の補充等で一年の最も忙しいピークが到来していた。 その時期、私にとって一番の気がかりは何といっても、夫にその少し前に癌が見つかった事だった。 彼の癌を見てくれる病院の選定、病院への同行、夫の体と心のケア。           

          3 ある年の冬・・・

          2 ある日のOSHOメッセージ

          君は、今は形なき私に飛び込んだ。 意思を持たないように見える宇宙に、飛び込んだようなものだ。 人は子供の頃から沢山の魂達に支えられて生きている。 それを感じていたかい? この空気、太陽、緑の木々、子供達の無邪気さ・・・ 様々なものに支えられて、私達は生きている。 当たり前過ぎて、わからなくなってしまっているんだ。 奇跡のはずなのに、いつもあると思ってしまう。 それを感じて、今日、空をあおいでごらん! 空気を思い切り吸ってごらん! 子供達の声を聞いてごらん?(最近、気がついてき

          2 ある日のOSHOメッセージ

          1 ある時・・・

          メッセージは降りてきた   君はこれから   今生の宿題と来生の準備を同時に進行させていく  君は生きる事も困難な中   死ぬこともできず  生きていく   生き抜いていく       そして宿題を終えて生を終える                   味わい深い人生になるはずだ                ・・・と。                                         2019年11月4日 11時34分

          1 ある時・・・