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6 聖なるものの中に・・・その2

東京のセンターにしばらく通う内に、OSHOの弟子になりたいと本気で考え始めていた。
実は一回目の申し込みの際には、センターのスタッフから却下されたのだった。
「君はまだ、駄目だ!」・・・だが、そう言われても諦める事が出来ずに再度アプローチしようと決めた。絶対、OSHOの弟子になる・・・と。
けれど私は頭でっかちの人間だ。
確かにOSHOの弟子になるには相応しくない。
諦めの悪い私は、私らしくとても単純な子供っぽい発想で、私のように妄想でいっぱいの頭を、空っぽにするには、思いきりダンスをすれば、思考がSTOPするのではないかと考えた。
そして1週間位、毎日、時間があると家の中で必死で踊った記憶がある。そして1週間後、再度、センターの門を叩いた。「OSHOの弟子になりたい!」と、そしてダンスの効果があったかどうかは定かではないが、とりあえず許可が降りたのだ。なぜなのかは今もってよくわからない。
そしてOSHOのいるインドへと私のプロフィールが送られたようだった。

和尚の弟子になりたい場合、和尚の存命中は日本のセンターへその旨、伝えると日本のセンターから、和尚のいるインドのセンターへ私のプロフィールが送られ、後日インドからOSHOのつけてくれた私の新しい名前が東京のセンターへ返送されてくる事になっていた。
それが日本のセンターへ届くと、様々な場所から弟子達が集まってきてくれて、皆の前で新しい名前とその名前の由来と、それからOSHOからのメッセージが読み上げられるのだ。
最後は歌とダンスで弟子達から祝福される事になる。
私の場合は、最初にスムーズに進まなかったので、喜びもひとしおだった。
弟子になる場合には、恐らくOSOHOの存命中は遠隔で和尚が一人一人リーディングをし、その人の一生のテーマとなる名前をつけていたのではないかと思う。貰った名前は例えていえば、坊さんになった時の法名の様なものと言えるかもしれない

これは、余談だが、弟子になった人の中には、和尚らしく風変りな弟子のなり方をした人もいた。
ある日、一人の男が 人通りの少ない一本道を歩いていると、道の真ん中に一冊の本が落ちているのを見つけたと言う。その本を通り過ぎる事が出来ずに、男は本を拾い、家に持ち帰った。
OSHOの本だったという。その本を読み、感銘を受け、そのまま弟子になったという話も聞いた事がある。
OSHOには、そういう逸話が結構ある。私も内容は違うが、そういうような事が起こったのだ。
なんとも不可解としかいいようがない出来事が・・・。
全く想像ができない状態で、突然に事が起こるので、一瞬、思考がストップする「えっ!何?」
それもすぐに理解できる事ばかりではなく、10年以上経って、理解するという風な、意表をつくものもあった。時が来て、理解する事ができる内容だ。
OSHOという魂は・・・。ユニークな接触の仕方を仕掛けてくる???

私の話に戻すと、弟子になった場合には、名前と一緒に、和尚からのメッセージも添えられてくる。
その時、和尚から私に届いたメッセージは・・・・・・

「聖なるものの中に、聖なるものを見つけるのではなく、聖なるものでないと思っているものの中に、
聖なるものを見つけた時、愛の扉が開く」

・・・というものだった。
その時の私には正直あまりピンとこなかったという記憶がある。

・・・そして時代は巡り、30年という歳月が駆け足で過ぎてゆき
和尚のメッセージの状況に出会わずに(いや、何度も出会っていたかも知れないが、鈍感な私は気づかずにきた・・・。)
時間が通り過ぎていった。途中瞑想から10年程、離れていた事もある。
それから30年たった2020年11月、その意味を私なりに理解する、出来事に出会った。

その時、私はスーパーマーケットの陳列と補充の仕事をしていた。チェーン店で、かなり繁盛しており、開店の時間までに発注された商品を、2時間で店頭に並べなくてはいけない。時間との勝負の仕事に誰もがガツガツとわき目も振らず必死で、そして焦って余裕なく仕事をしていた様に思う。
その中に問題の彼はいた。社員として勤務する彼は、私の教育担当も兼ねており、とても短気な性格だった。
勤務し始めた直後からぶつかっていた。アルバイトで勤務する人達の中には彼とぶつかって、辞めて行った人が何人かいると仲間からこっそり教えて貰った。
彼は自分の納得のいかない仕事をされると、お客様がいようがお構いなしに、怒鳴るのだ。
さすがにそれはまずいだろうと思うが、誰にも止められないのだ。
そんな中、勤め始めてすぐの頃、その彼の仕事を見せて欲しい、参考にさせて貰いたいからと私は彼に依頼していたが、ずっとのびのびになっていた。
依頼した私が忘れかけた頃、その彼が仕事中の私の所に、突然やってきて「今、オレの仕事を見せてやるから!後で声をかけるから、それまで君は自分の仕事をするように!」
と指示を出し、彼は私の担当する20メートル程のエリアの商品の陳列をし始めた。
彼のダイナミックで素早い動きを、私は自分の仕事をしながら横目で彼の仕事ぶりをチラチラ見ていた。彼は、商品に対する接し方から私とは違っていた。
何ていうか、商品を並べている彼と商品がダイナミックに一体になっている様子が伝わってきたのだった。他の誰とも違う、彼と商品とのスピーディな不思議なリズム感。
いつも怒鳴っている彼とは、明らかに別人の様に見えた。
30分程たって、彼から陳列された商品の前に来るように呼ばれた。

私は整然と並べられた商品群の前に立たされた・・・。
左右前後の長い陳列棚が、小さな美術館の様になっていた。
・・・息を飲んだ。数えきれない程の香辛料の瓶が綺麗に並べられ、多種類のコーヒーのペットボトルがまるで私を見ているように向きが整えられ、見慣れている袋麺は同じ文様で光り輝いていた。
いつもだと無造作に商品を突っ込み、とりあえずの商品の保管場所にしていた2・5m程の高さの上部の台も、お客様目線できれいに整えられていた。まるで商品がオブジェの様に見えた。
ふとある思考がゆっくりと私の中を通り過ぎていった。
「こんなに美しい仕事をする人に悪い人はいない!少し位わがままでも、
我慢しよう!!!こんなに素晴らしい仕事をするんだもの!しょうがない!それが彼なのだ」・・と。
お願いして写メも撮らせて貰った。今も私の携帯には彼の作り出した芸術作品が納まっている。

その時に和尚からのメッセージを思い出したのだ。
「・・・・・聖なるものでない、と思っているものの中に、聖なるものを見つけた時、愛の扉が開く」
愛の扉が開いたかどうかは分からないが、私の人生にとって、とても重要な出来事に出会った、
大事にしなくてはいけないもの、という認識がある。
大声で怒鳴っている彼と商品と大切に接している彼・・・。
その出来事は私のハートの核に根を張りつつある・・・表面で物事を見てはいけない。
和尚!あなたは30年後の私が見えたのですか?
和尚はいつも物事の本質を貫いていく。
そして私は深いため息が出るのだ、、、また、してやられた和尚に、と。
その後、問題の彼とは、相変わらず、ぶつかり、よく怒鳴られたけれど、
私がよけいな感情が湧いてこなくなったのだ・・・。
怒られたら、そうかそうなんだ、と彼の言葉がストンと胃の腑に落ち、私は淡々と話を聞いている。
こういう事は初めての事だ。憎まれ口をお互いたたきながら、私は結構楽しく仕事をしていた。
彼がどう捉えていたか、私には解らない。
でも、それでいいのだ。私自身が納得していたのだから。

そんな事があって、私なりに充実して仕事をしているつもりだったが、問題の彼の、更に上の上司から私はクビを告げられる事になる。仕事が遅いという理由で・・。
いや、少しずつだが、早くなっているんだけどと、思ったけれど、抵抗するのを止めて受け入れた。この場所での私の宿題は終わったんだと思えたから。
けれど、年令もそこそこいっているし、コロナ渦で仕事がない時期に次の職場が見つかるかなと
不安に思っていた時、和尚からのメッセージが来た。
「今度、勤務する所は思慮深い人達が多い所だ。だが、そう長くは勤務しないはずだ」というのが降りてきた。
それを聞いて、私は近所のスーパーマーケットへ片っ端から電話をかけた。
クビになった所は、大手チェーン店だった事もあり、即戦力として使えると思ったのだろう、
一か所だけ私を採用してくれる所も見つかった。

その頃、とても早いテンポで状況が変わっていくので、毎日がジェットコースターに乗っている様な気がしていた。


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