物について、
資本主義の世の中に生まれ育ってきたので、
物が欲しい時に『お金』を当たり前のように使って物を買う。
でも、本当に今、
手にしている物がその価値に値するのか、疑問に思う事がある。
例えば衣服、
高級ブランドの服とカジュアルブランドの服の差は何なのか?
施された意匠、デザイン、素材、、、
そのブランドを選ぶ事で、自分がお洒落である事が証明されて、その服を手にする事ができる余裕がある事を示す事ができるなどなど、
もちろん、技術や嗜好が施された一級品もある、
しかしその物でさえ、希少価値などで価値を感じる人はいると思う。
物の価値は、多くの人がそれにそれ相応の価値があると認めた時に決まる。
大事なことは、
その物を手にする時、欲しいと思った時に、
その価値観を素直に肯定できているのかという事、
他の人がいいと思ってるから私も欲しいというのは、
人の価値観に振り回される事に繋がると思う。
(振り回されたいのかもしれないけれど)
それに、
物はいつか無くなるもの。
あまり執着しない方がいいと思う。
死んでも持っていけないし。
これは物、つまりはお金もそうかもしれない。
これだけ、豊かな国なのに、
まだ豊かになろうとする国と人々、、、。
毎日、着れる服があって、屋根があるところに寝れて、一食以上のご飯が食べれて(しかも白米!)、明日食べるご飯の心配をしなくてもいい生活ができている時点でこの上ない幸せなのに。
さらに言えば、
僕の仕事である、料理、レストランも娯楽に過ぎない。
二極化する飲食業界、
大衆のためのお店と高単価のお店、
その中間は少しずつ姿を消し、溝が深まっていく。
大切な事は自分の心の目を養って、
他人の価値観に振り回されずに、
価値を見出す力、
料理も見た目や発信力、高級食材、ブランド力だけじゃない、
本当に身に沁みて美味しい物を作れるようになれたのなら、僕は本当に良い心持ちで生きれる気がするので、今日も良い物を見出せるように精進したいと思います。
物に、
執着せず、
物に、
振り回されずに、、、。
物、
僕の場合は、包丁、
包丁は僕の仕事の手助けをいつもしてくれる。
研ぐのでどんどん細くなって、
小さくなっていく、
いつかは手放す日が来るかもしれないけれど、
その日まで大切に使いたい。
物、
時として自分を豊かにし、導いてくれる。
だから、
大切な物を必要分だけ、持って生きる事、
感謝を忘れずに。
いつもありがとう、
いつもそばにいてくれる物たち。
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