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折本龍則「眞子内親王殿下の御成婚が示す教訓」(『維新と興亜』第9号、令和3年10月)

 この度の眞子内親王殿下のご成婚に関し、ネットを始めとして殿下への度を越したバッシングが氾濫しているのは見るに堪えない。殿下や皇室を慮っての忠言と、皇室を貶める悪意に基づいた誹謗中傷は区別して考えるべきであり、後者は取り締まるべきである。眞子殿下や皇族方は国民からの批判に対して反論することができない。それを良いことに、一般人であれば名誉棄損罪や侮辱罪で訴えられるような罵詈雑言までもが放置されている現状に対して、政府は真剣に対策を検討すべきだ。
 一九四七年に廃止された「不敬罪」では、刑法第七十六条において「皇族ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ二月以上四年以下ノ懲役ニ處ス」と規定されていた。しかし何を以て「不敬の行為」とするのかは多分に解釈の余地があり、政府による言論弾圧や思想統制の危険性を孕むものであったのも事実である。しかし、これを一般人における名誉棄損罪や侮辱罪に適用範囲を限定すれば問題はないはずだ。現行法においても、「天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣」の代わりに内閣総理大臣が告訴権を有すると規定されているが、内親王は対象外とされている。政府は皇族方の尊厳を守るために立法措置を検討すべきだ。
 とはいえ、私は今回のご成婚を祝福する気にはとてもなれない。小室氏の出自や品行、金銭問題など次から次へ報じられる数々の疑惑を見ても、氏の抱える闇は深すぎるし、その様ないかがわしい人物と周囲の反対をおして結婚される眞子殿下のお振舞は、国民の皇室への信頼を失墜させ、皇室の権威を著しく損なうものだ。いまさらどうにもできないが、今回の一件を苦い教訓として今後の対策を講じる必要がある。
 第一に、現行の皇室典範は、立后および皇族男子の婚姻に関しては皇室会議の議を経ることになっているが、内親王に関しては「その意思に基づき」皇室会議の議を経ることになっており、自由意思が優先される。これは、内親王は婚姻によって皇室を離脱するためであるが、今回明らかになったように、皇籍を離れても元皇族の肩書で皇室の権威を損なう可能性もあることから、内親王も含めて皇室会議の議を経る必要があるのではないか。第二に、今回の眞子殿下に小室氏の様な「悪い虫」が付いてしまったのは、殿下が前例に反してICU(国際基督教大学)のような一般の大学に入学し、氏素性の知れぬ国民と無分別に交流したからである。やはり戦前の学習院の様な、皇族専用の教育機関を整備する必要があるのではないか。第三に、秋篠宮皇嗣殿下は、昨年の会見で初めて眞子殿下の結婚を認められたが、その理由として現行憲法で「両性の合意」に基づく婚姻が規定されていることを挙げられた。本来、皇室典範は皇室の家法であり憲法から独立していたが、戦後は国会の議決に基づく下位規範とされ、憲法が依拠する近代個人主義原則の影響を免れなくなったのである。したがって、より根本的には、皇室典範を皇室に奉還し、そのために皇位を主権者たる「国民の総意」に基づくと規定する現行憲法そのものを廃棄する以外にない。
 皮肉なことに、今回のご成婚によって小室氏が世の女系論者の幻想を見事に打ち砕いた「功績」は大きい。女系天皇を認めるという事は、小室氏の子に皇位継承資格を認めるということであり、もしその子が現実に皇位を継承した瞬間、我が国は易姓革命が起きて万世一系の皇統は小室王朝に切り替わることを意味する。それでも尚、女系天皇論を主張する者は、もはや皇室の廃絶を企んでいるとしか思えない。これは女性天皇や女性宮家についても同じで、今回は皇籍を離れる内親王だからまだ良かったものの、もし女性天皇や女性宮家が小室氏の様な野心家に籠絡されご結婚されたら、今度こそ取り返しのつかないことになる(だから歴史上の女性天皇は全て独身であられた)。政府は男系男子による皇位継承策を急がねばならない。
 以上述べたような、皇室に対する意見を口にすると直ぐに「不敬」だと言われるが、皇室を敬うことは皇室を絶対無謬のものとして崇めることではない。必要とあらば時に諌言をも辞さないのが、真の忠臣の態度であり、宮内庁始め皇室守護に任じる政府国民の責務であると信じる。

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