本当に今日は「何もない日」だったのか
ネットを開けば「近所の寿司屋が爆発した」とか「付き合ってた彼女が男だった」とか「寝過ごしたら見たこともない無人駅に着いた」とか。
誰も彼もどうしてこうも楽しそうな日々なんだろう。
と。
自分だって「よーし今日こそ万バズ狙っておもろい日記かいちゃうぞー☆」と一日、いやここ数週間を振り返るのだけれども、何もない。
そうなんだ。
俺の生活には何もないんだ。
四十手前の底辺クリエイターの一日なんて投げ銭一円の価値も無い。
なんて、思うけど。
例えばエッセイとか。
エッセイ書ける人とか本当に凄い。阿佐ヶ谷姉妹のエッセイとか本当に面白い。
けど、別にエッセイの中で阿佐ヶ谷姉妹は「ドバイで二ヶ月絶食したり」とか「新連載前に読み切り200ページ2本」書いたりなんてしてない。
「こたつの中で足が当たる」とか
「同じギャラなのに貯金額が違う」とか。
文字にするととっても普通。
なのに面白い。コンテンツになっている。
あぁ、なるほど。
「面白い出来事」を書いているのは無くて、普通の出来事を「面白い見方」をしているんだなと。
そう考えれば何もない一日も「実は面白かった一日」なのかもしれない。
昔、カズレーザーが言っていた。
何もない一日。
何もない人生。
そう思いこんでた。
けど大事なのは「どう見えるか」ではなくて、「どう見るか」。
面白いことを探すのではなくて、
すでに自分の人生は面白いものだ。と。
そう思えばもっと「書きたくなること」が増えるかもね。
あまりにもネタがなさすぎて、わざと家の中でうんこ漏らそうとしてたところだから、いい気付きができた。
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