障害者と健常者

今日で99日目!!!!!!!!!

明日で100日だと思うと嬉しくて嬉しくて夜は爆睡です笑。

今日は少し堅苦しい内容になりますが、私が最近ちょいちょい目にする話題についてです。

最近SNSを見ていると障害者と健常者の考え方論争を多く見ます。

(例えば①)
・車椅子を利用していて階段を使えないのにエレベーターがいっぱいで乗れない。
(例えば②)
・イベント会場で車椅子席が決められていて選べない。
(例えば③)
・本人(障害者)ではなく、ヘルパーさんに話しかける。
(例えば④)
・障害者だからと言って差別せず、健常者と同様に扱って欲しい。

などなど、今始まった話ではありませんが、最近またこういう話題が復活してきている気がします。

こういう話題を目にして私が思うことは、多少きつい言葉になってしまうと思いますが、ここは本心を言わせてください。

『くだらない。』

この一言がどうしても先に出てきてしまいます。

障害者として自分たちが暮らしやすい世の中にするためには、私も真剣に考えなければならないのかもしれませんが、どう頑張っても私の考えと違いすぎるのと矛盾点がありすぎて身体が拒絶します。

例えば①と例えば④を見てください。

健常者と障害者を同様に扱って欲しいと言いながら、エレベーターは健常者に乗るなと言う。

1台のエレベーターを健常者と取り合いをして、なんとか乗れたとき『エレベーターに誰が乗れるか勝負の戦いに勝利した!』という風に差別されなかったことを喜べば良いと思います。

今の例は少し無理があるかもしれませんが、大好きな友達や恋人と出かけていたら、エレベーターを待っている時間さえ楽しく感じませんか?

私は楽しく出かけているときにイライラするのが大嫌いなので、なにもかもを楽しむことにしています。

エレベーターの扉が開くたびにどんな人が乗っているか観察するのもなかなか楽しいですよ笑。

イベント会場の車椅子席も健常者のように今回はどこの席かハラハラドキドキすることはできませんが、時としてステージから一番遠い席が当たったけど車椅子席のおかげで近くなる場合もあるのだから、車椅子席が決められていることすべてが悪いとは言えないと思います。

本人ではなくヘルパーさんに話しかける問題も『自分が上場企業のCEOで秘書がすべて調整してくれている』くらいの妄想劇を脳内で繰り広げるくらいが楽しいのにと思っちゃいます笑。

世の中、なにかあると【合理的配慮】という言葉が出てきます。

ですが、そもそも私が思う合理的配慮は客観的にどの角度から見ても、誰もが納得してはじめて合理的配慮がなされたと言えると思っています。

すべての人が納得できる解決策を見つけ出すのは非常に大変ですが、障害者が被害者のような立場の考えを改めることが今一番必要だと思います。

久々に堅苦しいnoteを書いたので、まとまりが悪いですが、書きたかったので良しとします。

では、おやすみなさい。


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