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7月5日はビキニの日です。水着のビキニ!でも、その生い立ちは日本人としては複雑だなぁ。

7月5日となりました。今日はビキニの日です。

ビキニといえば、トップとパンツが分離した大胆なセパレート水着です。これが1946年7月5日にルイ・レアール氏により発売されました。

ビキニといえば、もう一つ悲しくも有名なものがあります。
ビキニ環礁における、第二次大戦後初の核実験です。

水着もビキニ、核実験のビキニ。この2つには関係があるのでした。今日はこちらを解説したいと思います。

1946年当時、原子力はバズワード?

原子力とか、放射線という言葉は現代では、とても危険でネガティブなイメージが強いのではないでしょうか。

3.11の地震までは、オール家電とか原子力はクリーンエネルギーと言われてましたが、メルトダウンを起こしてからは立ち入ることができない地域を作ってしまい、今はそうなってないですね。

しかし、1946年当時は戦争を終わらせたのが原子力爆弾であり、世界的にはある種ブームであった可能性があります。(もちろん日本からしたら原子力爆弾は最も忌み嫌うものでしょう)

7月1日に女性用水着のアトムを発売

1946年7月1日、デザイナのジャック・エーム氏が、ビキニ環礁の核実験に連想させるかのように、「アトム(原子)」という名前の水着を発表します。

どんな形かは記録を探せなかったのですが、とにかくモデルの方も着るのをためらうくらいの小さな水着であったようです。(だからアトム)

「アトム」とつけて、売り出して売れるのですから、原子力の力を相当信じてたのでしょうね。

7月5日、女性用初のセパレート水着「ビキニ」を発売

セパレート水着を世に出したのは、フランス人のルイ・レアール氏です。ビキニと名付けたのは、水着のアトムに対抗したのは間違いありません。

「核分裂」してアトムの水着よりもさらに小さくなったことをイメージ。こちらも原子力をイメージさせ、ビキニ環礁の核実験を関連付けてビキニとなりました。

原爆投下から1年もたってないのに当時はどんな時代だったのでしょうか

まだ、日本は戦争の傷もまだ癒えないころです。日本のⅩデーが1945年8月でした。ビキニが発売されたのが1946年7月。

まだ1年も立ってないのに、このようなネーミングの水着を出す当時の考え方。第二次大戦で勝った側と負けた側の考え方では大きく異なるのでしょうね。

きっと現代では想像できないほどの常識があったのだと思われます。

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