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頑張っていないという不安と必要な焦り

最近、とても不安だ。この不安は多分、脅迫概念というやつなのかもしれないし、所謂、「孤独」なのかもしれない。

会社経営をやり始めてから、8年。時が経つにつれてドンドン自分が「頑張っていない」と思う心の絵がクレッシェンドのように大きくなる。

20代の社員の時は、安い給与でも何故か今より徹夜してガムシャラに人の会社のためにやってきた。家はゴキブリが出る汚いアパートで、飯は松屋とカップラーメンばかり食べて、金曜日は朝まで酒を飲み、土曜は夕方に起き、今からでもご飯に行ってくれそうな気の置けない友達に片っ端から電話して、また朝方まで飲み、日曜も夕方まで寝て夕日を見ながら、「月曜」がくる絶望感に耐えながら、その後、1週間何者でもない自分の正体を探すように必死で働いた。

それに比べて、今は頑張ってないなという不安に駆られる。昔みたいに徹夜もしてないし、クライアントの矢面に立って激ヅメめもされないし、どうなるかわからない不確かなヒヤヒヤする広告案件もやってない、ましてやイベントで赤字で皆んなからガッカリしてアコムで借金をして、返済のために僅かなお金生活することもない。

普通、経営者と言えば、誰よりも働き、家族やスタッフを養い、必死に頑張るというのが当たり前だが今の自分はそうであるかと問われると簡単に頷くことが出来ない。家で妻が子供にいう「お父さんが頑張ってくれてるからご飯が食べれる」という言葉がどこか後ろめたい。今の自分は先頭に立ち道を切り開くリーダーというよりかは、列の後ろで遅れながら手を引いてもらってる、違う意味でのペースメーカーになってしまっているのかもしれない。

最近、会社にいると特にこの事を感じる事が多い。例えば、案件のプレッシャーで耐えれなくて泣いて相談するスタッフや、新しいチャレンジに寝るまや休みを削って自分を磨くスタッフ、自分は「何者か分からないけど、関わるメンバーと満足いく物を作りたい」と語るスタッフ、作った物を心の底から自慢げに話すスタッフの姿をみていると「自分より努力しているし、頑張っている」なと強い焦りを感じる。

勿論、自社のスタッフと自分ではポジションが違うし「頑張りの種類」が違うし、「頑張りは競う物ではない」みたいな話もあるのだが、そこに関する濃さという意味では、知らず知らずのうちに僕は薄くなって、無駄に給与ばかり高いボッタクリのウイスキーで作ったハイボールになってしまっているのかもしれない。

だからこそ、もっと頑張らなくてはいけないと最近肌身に感じて思う。経営者である自分が「自分は所詮こんなもんだ、これだけやってりゃいい」みたいな悪い意味で悟り、それを「自分の都合のよい正体」にして焦る事をしなくなったら、スタッフが稼いだお金を浪費するだけの落ちこぼれになってしまう。

今やるべき事は自分の賭けている事業やアクションに対して適切に焦り、やり残しはないか?上手くいくための全ての術を学びやり尽くしたかを隅から隅まで探し、それを「タイムアップまでもがき頑張り続けなくてはいけない」と思っている。

お金や時間や環境やコロナや誰かのせいにするのは簡単だし、それはスタッフにとっては「不安」であり、僕にとっては「言い訳」だ。そんなポジションの違いがあるからこそ、僕は列の後ろからチームのペースを早めるために焦りながら、たとえ前がつまる事があっても、一歩でも進まなきゃ行けないし、今までのようにスタッフに引っ張ってもらうのではなく、お尻を押す側にならなきゃいけない。そのためにも、社会に蔓延する「言い訳」に飲まれない組織を作るために僕自身が不安と孤独を感じながら「焦り、頑張らなきゃいけない」と思う。

そんな訳で、とりあえず深夜に何かアクションしたくてnoteを焦って更新してみました。また、楽せず書いていきます。


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