見出し画像

ぼったくられに行ったら、最高に楽しい夜になった話。

本を書いています。 Vol.29

先日、青年失業家の田中泰延さんにお誘い頂き、2日限りのぼったくりバー「法外」なるお店を訪れました。

なんでも聞くところによると、ひろのぶさんや作家の浅生鴨さんたちがバーテンを務め、もしかしたら有名な「あの人」や「あの人」も来るかも…という話だったので、それならぼったくられてもいいやと思いつつ、ビクビクしながらバーの扉を開いたのでした。

キョロキョロと店内を見渡すと、おぉ…浅生鴨さんだ…。あれはもしかして燃え殻さんでは…。と横目でチラチラ見ながら、そもそも社交場の苦手な私は、ほぼ満席状態のカウンターの隅で、ぼったくられたナッツをかじりながら、ぼったくられたハイボールを煽っていたのでした。

ハイボールを2杯ほどぼったくられたあたりで、たまたま隣にいた仲良しっぽい3人の方々の話の輪に入れてもらったのですが(ホッ)、よくよく話を聞いたところ、この3人も今日初めて会ったとのこと。なんだか面白くなってしまって、たまたまお互いの仕事も業界が近かったこともあり、ぼったくられるのもソコソコに、とても初対面とは思えないぐらい盛り上がってしまいました。

そのあと、店には一瞬だけ糸井重里さんがぼったくりの現場を摘発に来られたり(店内満員だったのですぐに帰られてしまったのですが…残念!居座っちゃっててすみませんでした)、弊社の大先輩、澤本さんと高崎さんがいらっしゃったり、何だか夢のような場に居合わせられたことに感激しながらも、ぼったくられたナッツしか食べていない空きっ腹をやっつけようと、その日初めて出会った4人で店を後にし、そのまま西麻布の「かおたんラーメン」へ向かいました。

正直こんな展開は全く予想もしていなかったのですが、すっかり意気投合した所で、たまたま3冊持っていた拙著を3人のブラザーに手渡したりして、最高にうまいラーメンをすすったのでした。

先にも書いたとおり、私は普段、社交場的なところや人の多いところがちょっと苦手で、こういう場にもなかなか顔を出さないのですが、やっぱり人と人との出会いは大事だなぁ、なんてまるで就活中の学生のように新鮮な気持ちで実感した次第です。

ちょっと勇気を出して行ってみて、本当によかった。

そんなこんなで最近思うのは、

「面倒くさい」とか「恥ずかしい」とかいった気持ちを思い切って捨て去ってみると、人は少し強くなれるのかもしれない。

ということです。なんてことないのですが。

「面倒くさい」というのは本当に人生最大の敵です。簡単に捨て去るのは難しいほど厄介なヤツですが、そこをグッとこらえて行動してみると、多少は時間がかかったりしても、いい結果が得られたりするものです。

デザインという作業も正にそうです。「面倒は臭くない」というデザインことわざを前にこのnoteでも書きましたが、ちょっとした手間を面倒くさがって手を抜いたデザインというのは、だいたい透けて見えるものです。

「あ。これ、あのフリーのブラシ素材使ったな」とか、「手書き風だけど、よくよく見ると同じ文字はコピペしてるな」とか、「なんでこのビミョーなズレを揃えないかな…」とかとか。もはや職業病ですが。

やっぱり、楽な方を選ぶと、それなりの結果しか得られないというのは、どんな場面でも当てはまることなのではないでしょうか。

「恥ずかしい」というのも、なかなか厄介です。ちょうど、先述のバーにぼったくられに行く前日に、ひろのぶさんと対談をさせてもらう機会があり、そこでひろのぶさんがおっしゃられていたのが印象的でした。

関西人は誰かがボケると、それをさらに上回るボケを返したりして、自分から進んで汚れに行く、と。それに対して主に関東の人は、冷静にツッコんだり、もしくは何もツッコまなかったり。自分から汚れに行くことはなく、すぐに安全圏に引っ込んでしまう、と、そんなようなことでした。

たしかにその通りだなぁと思い、それって結局は自意識からくる「照れ」や「恥ずかしさ」が根底にあるんじゃないかな、と思った次第です。

自分も東京で生まれて横浜で育った(神奈川出身者が神奈川出身と言わない現象も、この辺りに原因があるのかもしれませんが)超もやしっ子なので、御多分に洩れずTooシャイな人間であることは間違いありません。子どもの頃は、赤面症で人前で喋るのも苦手でした。

もちろん関東人がみんなそうではありませんが、あまりに「シャイ」過ぎるのも、ときとして人生を損な方向に導いてしまうような気がしてなりません。人間関係なんて、誰だって最初は「面倒くさい」や「恥ずかしい」が前提にあるものです。

そこを思い切って突破することなく、自分の殻に閉じこもって誰とも会わないように生きることは、誤解を恐れずに言うなら、ちょっと「楽」なのかもしれません。

私だって、できることならそうしていたいと思うことも多々あります。もし許されるなら、誰もいない山にこもって、霞でも食いながら生きていきたいなぁと思ったりします。でも、きっとそれでは人生面白くないんだろうな、とも思います。

「面倒くさい」や「恥ずかしい」の向こう側に「面白い」や「楽しい」が待っている可能性は、結構な割合であるんじゃないか

と、思うのです。

勇気を持ってぼったくられに行ったことで面白いことに出会った、そんな夜のお話でした。誘ってくれたひろのぶさん、出会えたみなさま、本当にありがとうございました。

--

拙著「面白い!」のつくり方、発売から1ヶ月が過ぎました。まだ読まれていない方、もしよかったら是非よろしくお願いします。率直な感想なども、お待ちしております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?