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「武道ガールズ」10 正面打ち一ケ条抑え

10 正面打ち一ケ条抑え

「技、はじまります。見ててください」
 春名の声に、道場中央を見ると、高遠先生とジョーが対峙し、その周りをぐるっと取り囲むようにして、二十人ほどが正座をして見守っていた。 
 さくらとヒナコも静かに輪に加わり正座をする。

「正面打ち一ケ条抑え、二!!」
 高遠先生が腹の底からだした迫力のある声が、道場中に響き渡る。
 強い視線が中央に集中し、空気が凛と緊張する。
 先程習ったばかりの構えから、ジョーが高遠先生の額めがけて、正面から手刀を打つ。
 先生はそれを両手で受け止めると、独楽のようにくるりと回転した。
 ジョーは、振り回されるようにぐるっと先生の周りを一周して、畳にはいつくばる。
 腕を畳に押し付けられ、ジョーはバンと畳を叩いた。
「じいさん、ジョーより強いのか」
 ヒナコがつぶやく。
 高遠先生とジョーは、素早く最初の構えに戻った。今度は動きを要所要所で止めながら、解説をする。
「逆半身に構え、受けから打つ。仕手は一度受け止めて、相手の体を軽く浮かせるようにして体勢を崩し、相手が出てきたところで、後ろ足を大きく回転。そこから重心移動をして、抑え」
 もう一度。
「最初の正面打ち、仕手は手刀(てがたな)を軽く返して、波のように、流す。真っ直ぐ向かってくる相手を、方向は変えずに、真っ直ぐ行かせておいて、そこから回転。このとき手で引っ張らない。前足が軸。軸足は動かさない。前足の膝を曲げて、しっかりと乗る。そうすると相手が自然にでてくる。回転のときに手が遅れやすいので、両手は常に体の前。両手を体の前にしたまま、回転。後ろ足は伸ばしたまま、大きく回転。回転は腰の力。手で引っ張るのではなく、腰の力を意識して。ここから重心移動して、抑え」
 最初の構えに戻り、立ち位置を変える。
「もう一回」
 高遠先生は黙って同じ動きを繰り返した。
 渦に巻き込まれるように、ジョーが大きく振り回される。
 独楽、螺旋、渦、竜巻。
 中心軸のエネルギーが、遠心力となり、外周に大きな力が波及する。中心軸は先生で、外周はジョー。先生が両手を離したら、遠くまで飛んでいってしまいそうだ。
「はい。どうぞ」
 先生が正座をして礼をすると、全員が先生に礼をして、二人一組になり、技の稽古がはじまった。

 さくら、ヒナコ、春名の三人は再び道場の隅に戻った。
「なんとなく分かった?」
 春名が二人にきく。
「まったくわかりません」
 さくらは不安そうな目でブンブンと首を振った。
「そりゃそうだ。分からなくてあたり前。まったく問題ないです」
 春名は屈託なく笑う。
「今の技の名前は「正面打ち一ケ条抑え二」。これも聞き流してもらっていいけど、技には一ケ条、二ケ条、三ケ条、四ケ条ってあって、それ以外にも四方投げとか、小手返しとかたくさんあるんだけど。今日の一ケ条ってのは「肘」ね。」
 そう言って春名は自分の肘をポンポンと叩き、肘が決められた体勢になった。
「肘をぐっとこう決めて動けなくする。ちなみに二ケ条は手首。こういう感じ」
 春名はふいにさくらの手首を持って軽く捻った。
「おっと」
 軽く捻られただけなのに、思わず屈みそうになる。
「大丈夫よ。触っただけだから」
 確かに痛いほどではなかった。
「それから技には一と二ってのがあって、こちらから押す技が一。相手が押してくる技が二。今日の、一ケ条抑え二の二ってのは、相手が押してくる技ね」
 だめだ。何を言っているのかまったく分からない。
「まあ、そういうことはやってるうちに分かってくるから、とりあえずやってみましょう」
 春名を真ん中に、横一列に並び、まずは動きを確認する。
 最初に習ったときは右足が前だったが、今回は逆半身だから、左足を前に構え。
 打ってくる相手を想像し、相手の肘を掴む。
 そこからくるっと回転。
「回転?」
「回転は出来るだけ大きく。180度以上回る」
「180度?」
「ほら、この畳の線の上で構えて。回転したときに、この線を超えるくらい。これで180度以上。コンパスみたいに足で大きく円を書いて。そこから重心移動」
「重心移動?」
「上半身をこう、こっちに持ってくる」
 普段したことのない動きを、頭で考えようとするが、頭も体もまるでついてこない。
「あともう一つ、技をかける方を仕手、受ける方を受けと言います。じゃあ最初、私が受けで、笹岡さん仕手やってみてください。」
「はーい」
 ヒナコがすっと構える。背筋が伸び、安定感がある。
「おお、いい構えです。ではいきます」
 春名が両手を振りかぶり、正面からヒナコの額に向かって手刀を打つ。
 ヒナコは両手で受け止める。
「はい、ここで回」
 と春名が言い終わる前に、ヒナコは勢いよく回っていた。
 春名の体がフワリと浮き、きれいに畳に着地する。
「おおー、上手。最後、抑え」
「抑え」
 とヒナコが重心をのせると、春名はバンと畳を叩いた。
 春名は立ち上がると拍手をした。
「すごい上手」
 さくらも感嘆の声をもらす。
「おしっ!」
 ヒナコは小さくガッツポーズをとり、得意げな表情を見せたあと、不思議そうに首をかしげ、今の動作を復習するように繰り返す。
「うーん、むっちゃいい感じだったけど、なんかいい感じすぎる」
「じゃあ次は仙道さん。同じように、私からいきます」
 さくらの構えは内股へっぴり腰で、両手はダチョウ倶楽部の「ヤーーーーー」になっている。
 明らかにびびりながらも、春名の手刀を、さくらは顔の前で受け止める。
「はい、ここで回転」
 さくらは固まる。
「回転?」
「回転。思いっきり」
 意を決したように、桜が後ろ足を回すと、ヒナコのときと同じように、春名の体がフワリと浮き、きれいに畳に着地した。
「抑え」
 さくらが重心をのせると、春名はバンと畳を叩いた。
「あれ、私、できた?」
 春名は立ち上がるとにっこり笑い、小さく拍手をした。
「ちょっと私すごいかも」
 喜ぶさくらの隣で、ヒナコはまた首をかしげる。

「じゃあ今度は二人でやってみましょうか」
 春名に促され、さくらとヒナコは向かいあった。
「いよいよ試合か」
 ヒナコは首、肩、手首、足首をほぐすようにクネクネと動かし、戦闘態勢に入る。
「いや、合気道に試合はありません」
「えっ!? 試合がない-!?」
「演武会というのはありますが、試合はありません」
「試合がなくて、どっちが強いかどうやって決めるんですか?」
「どっちが強いかっていう考え自体がないかな。剣道や柔道みたいにどっちが強いかを競うわけではなく、むしろ相手にあわせる。相手と一体になる」
「試合ないのか…」
 ヒナコはがっくりとうなだれた。
「じゃあ最初は、仙道さんが仕手。笹岡さんが受けで。笹岡さんから打つ。仙道さん、両手で受けて、そしたら前足を軸に、くるっと回転」
「回転」
 先程と同じように、さくらは「えいっ」と後ろ足を回したが、ヒナコはびくともしなかった。
「あれ?」
「あ、技が効いてなくても、受けは、投げられてあげて」
「えっ?」ヒナコは片目を細め、嫌悪感をあらわにした。
「それって、わざとやられるってことですか? それじゃあ、やらせじゃないですか」
「うーん、言い方はともかく、まー、そうね。仕手には仕手の動きがあって、受けには受けの動きがある。受け次第で技がかけやすくなるし、受けは技がかかりやすいように協力する」
 ヒナコは子供のように口をとがらせ、不服そうだ。
「あ、ちょうど高遠先生が受けの動きをやってる」
 先生は稽古している皆の間を縫うように歩きながら、注意点に気がつくとその場でアドバイスをしていた。
「手で引っ張らない」
「前膝もっと曲げて」
「後ろ足伸ばしたまま」
 先生が誰かにアドバイスをしだすと、皆稽古を中断し、集まってくる。
 三人もその輪に加わった。
 高遠先生は、二人組の動きを止め、受けの動きを自ら模範で見せる。
「受けは、投げられる瞬間に、こう肩を入れて、後ろ足、前足と、二歩前にだす。二歩ね。そうすると相手が投げやすくなるから」
 取り巻いて見ている生徒達も、自分のことのように体を動かしてイメージを固めているようだ。
「後ろ足、前足。二歩目もっと大きく。もう一回。はい、後ろ足、前足。そう、そこで膝をついて」
 くるっと回転し、きれいに技が決まった。
「そう、ほら、うまくいった」
 技をかけたほうも、かけられたほうも、笑顔がこぼれる。 
 周囲から自然に拍手が起こる。
「ピタッと決まると気持ちいいでしょう。合気だからね。仕手と受けとで気を合わせる」
「へー、なるほどー」
 と感心するさくらとは対照的に、
「そういうことか」
 と、ヒナコは強い視線で春名をみる。
「なんかおかしいと思ったんだ。初めてであんなにきれいに技がきまるもんかなあって。あまりにもきれいだったから。そうか、それはつまり協力してくれてたってことですね。相手が未熟でも、やられてあげるって」
 春名は困惑した笑顔を返す。
「私、そういうの好きじゃないなあ、やっぱ真剣勝負じゃないと」
「あ、でも、私は…」
 さくらは言おうとしたが、春名に遮られた。
「真剣勝負ですよ。動きが決まっているとはいえ、その決まった動きさえ、10年やってもまだできない。私も、彼らも、皆真剣です。動きが決まっているのは、いきなりは出来ないから。合気道は強いですよ。無茶苦茶強いです。やれば分かる。やらなきゃ分からない。本当に強い人と組んだら、一瞬で分かりますよ」
「本当に強い人」
 そのとき高遠先生が、ニコニコして近づいてきた。
「先生、私と勝負しましょう」
 唐突にヒナコが言った。
「ちょちょちょ、合気道に試合はないって、今教え」
「いいですよ」
 高遠先生はニカッとした笑顔で応えた。
「そしたら、私に触ることができたら、笹岡さんの勝ち。何してもいいですよ。キックでもパンチでも、なんなら剣とか杖(じょう)とか武器使ってもいいです」
「触ればいい?」
「はい。それと、笹岡さん、仙道さん」
 高遠先生は二人の名前を呼びながら、それぞれの目をしっかりと見た。
「二人がかりでいいです」
「よっしゃ、すごいハンデ」
「いや、私はいいから」
 さくらは、両手でバイバイと手を振るようにして、後ずさる。
 高遠先生は壁にかかった大きな丸時計をチラッと見、四方八方にも素早く目をやる。
 稽古をしていた大人たちは足をとめ、何かアドバイスが始まったのかとこちらを見ている。少年クラスでは前方回転受け身の稽古が続いていた。
「制限時間は3分。では、はじめ!」
 高遠先生はパーンと手を叩いた。
 先程習った構えのことなどすっかり忘れ、ヒナコはバスケットボールで相手をガードするときのように、腰を落とした低い体勢で高遠先生を凝視した。右、左と体を揺すり、どう突進していこうかタイミングを見計らう。
「正面突破!」
 と、ヒナコが低い体勢で向かった先に、既に先生はいなかった。
 背筋にぞぞぞっと嫌な気配を感じ、ハッと振り返る。
 いない。
 右を見る。左を見る。前を見る。
 いない。
「消えた?」
 傍から見ると遊んでいるようにしか見えなかった。先生はヒナコのすぐそばにいるのに、ヒナコには先生が見えていない。先生は死角に死角にと回り込む。
「いるよ」
 すぐ後ろから声がした。先生が動きを止め、ようやくヒナコと目があった。
「なんで?」
 驚いた顔のヒナコに先生はニーっと笑うと、トーンと軽く跳躍し、走りだした。
 ヒナコは思わず追いかける。
 何事が始まったのかと、稽古を中断し立ち尽くす大人たちの間を、高遠先生はスルスルと素早く通り抜ける。右に左に回転し、体を横向きにしたまま、スッと通り抜けていく。
「回転、入り身、回転、入り身、最小限の動きで」
「先生、笑ってる」
 生徒たちの横をすり抜ける高遠先生は、嬉しくてしょうがないのに、喜びを隠そうとしている子供のような表情だった。
 ヒナコは生徒たちの間をうまく通れず、ぶつかってばかりだった。避けようとすると、どういうわけか相手も同じ方向に避けてくる。それではと反対側に避けようとすると、相手もまた同じように避けてくる。一瞬にして先生と遠ざかってしまった。
「どこいった?」
 狭い道場なのに高遠先生の姿が見つけられない。
 少年部からキャッキャと歓声が聞こえた。
 高遠先生は少年部で前方回転受け身をしていた。
「ふわーっと遠くに飛ぶ。恐れない。あ、見つかった。じゃ」
 高遠先生がそそくさと逃げだすと、
「大人なのに鬼ごっこしてる」
「かくれんぼでしょ。見つかったって言ってるよ」
 と、小学生達から大げさな笑いが起こる。
 高遠先生は軽快に道場中を走り回るが、ヒナコは距離を縮めることさえ出来ず、ゼイゼイ言いながら、さくらの元にやってきた。
「あーもー、すばしっこいじいさんだ。さくら、あんた目の前にきたら、気づかれないように近づいて、さっと触りなよ。くそー、絶対捕まえてやる」
 ヒナコはそう言い残して、走り去った。
 その瞬間はすぐにきた。
 道場を2周した頃、高遠先生は、さくらに背を向けて、立ち止まった。ちょうどヒナコとさくらとで挟み撃ちをするポジション。さくらからは約2m。一歩前に出て手を伸ばせば届く距離だ。
 ヒナコはジリジリと距離を詰め、高遠先生を後退させながら、「今だ」とアイコンタクトを送る。
「届く」
 さくらが手を伸ばした瞬間、高遠先生は突然振り返り、振り向きざまに、さくらの腕を掴んだ。
 何が起こったのか分からなかった。
 強烈な力でさくらはふわっと宙を飛び、高遠先生を中心軸とした強烈な回転力で、ズズズズズーっと畳にひれ伏した。高遠先生が手を離したら、遠くまで飛んでいきそうな勢いだった。ハンマー投げのハンマーが、投げ飛ばされないまま、地面にズズズーッと円を描いている感じだ。そのまま、肘を抑えられ、さくらは条件反射的にバンと畳を叩いた。今までの人生で一番強く、畳を叩いた。
 さくらを抑え込んで正座をしている高遠先生に、「今がチャンス」とばかりに、ヒナコが飛び込んだ。
 高遠先生は、正座をしたまま、すっと横にずれ、頭を畳につけてさくらに礼をした。
「はい。ありがとうございました」
 飛び込んでくるヒナコを頭を下げて避ける形となり、肩透かしをくったヒナコは一人宙を飛ぶ。
 が、ヒナコは右手を畳につき、きれいに前方回転受け身をとった。
「おおーー」
 きれいな受け身に、周囲から拍手が起こる。
 ヒナコは立ち上がると、間髪入れずに振り返り、向かっていった。
「えっ?」
 すぐ目の前に、高遠先生がいた。
 今正座していたはずなのに、先生は立ち上がり、すっと構えている。
 急に先生が大きく見えた。小柄だったはずなのに、巨漢力士のように、縦にも横にもふたまわりは大きく見える。しかも、膨張はまだ続いていた。まだ大きくなる。自分を覆い尽くすほど大きく見える。
「やばいやばいやばいやばい」
 逃げたいのに動きが止まらず、ヒナコは渦に吸い込まれる。
「うわっ!」
 為す術もなく、ヒナコの体は勢いよく宙に浮き、大きくグワンと回転した。下向きの竜巻(トルネード)。うつぶせ、腹這い状態のまま、ズズズズッと畳を滑る。腕を抑えられる。まったく身動きがとれない。更にグッと力を込められると、思わず、バンと畳を叩いた。足が勝手にはねあがる 。
「抑えのとき、腕の方向は少し上。90度ではなく、110度くらいのイメージで」
 バン!
「自分の膝を親指に当て、相手の腕をぐーっと伸ばす」
 バン!バン!
「お尻は上げずに、腰の力で、抑え込む」
 バン! バン!バン!バン!
 たまらず何度も畳を叩く。
 何も考えられず、身動きもとれず、気づいたときには投げ飛ばされ、抑えつけられていた。何というスピード、何という力。
 高遠先生はヒナコの腕を離すと、ニーっと笑って正座をし、頭を畳につけて礼をした。そうして壁の時計をチラッと見て言った。
「本日の技は、正面打ち一ケ条抑え二でした。時間です。整列!」

ほんの少しでも笑顔になっていただけたら幸いです。