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「武道ガールズ」11 護身とは

11 護身とは

 横一列に整列した一番端に座りながら、ヒナコとさくらの二人は笑いをこらえるのに必死だった。
 整列している皆が目をつぶり黙想しているのに、さくらとヒナコの興奮はとまらず、ヒソヒソ声でしゃべり続ける
「じいさん、容赦ねえ。やばっ。すげー振り回された。まじ強かった。いや、まいった。すごすぎて、笑っちゃう」
 さくらも先程から笑いをこらえきれなかった。
「投げられて、抑えつけられて、笑ってるって、私達、壊れてる? 壊れちゃった?」
「しゃべらない!」
 春名が小声で注意する。
「合気道、すげーな。ジャージ焦げたよ、ほら、ここ穴あいた。げー、まじかー、これ弁償してくれるかなあ」
「自分から喧嘩売ったんだから、無理だと思うよ」
「まじかーショックー」
「目をつぶる!」
 ジョーも小声で注意する。
 ヒナコとさくらのヒソヒソ声は、全員に聞こえており、皆目を閉じながら笑いをこらえている。
「はい、目を開けて。今日は体験の方もいるので、少しだけ護身についての話しをします」
 高遠先生は正座をして、一人一人の顔を見ながら問いかけた。
「一番の護身はなんだと思いますか?」
 普段はこんな話しはしないのだろうか。稽古を終えた爽やかな表情で、皆、なんだ?と首を傾げる。
「今日やった一ケ条抑え? 小手返し? それとも武器を使う? 石を投げる? 笹岡さん、いかがですか?」
 ヒナコは少し考えて言った。
「ピストル? あ、スタンガン?」
 高遠先生は意表をつかれ、目を大きく見開いた。
「なかなか物騒ですね」
「仙道さんはいかがですか?」
「あ、急所蹴り?」
 ヒナコが横から口を挟み、皆が優しく笑う。
 さくらは、少し迷ったが、心に浮かんだままを言った。
「逃げる?」
「逃げる!」
 高遠先生は急に大きな声をだした。
「惜しい! ほぼ正解!」
 おおっという周囲からの声に、さくらは軽く照れる。
「ただ、もっと大事なのは、逃げる前。逃げるより前に、危険に近づかない。危ないとこには行かない。危険を察知する。それが護身の基本です」
 先生は一人一人の顔を見ながら続ける。
「ピストルもスタンガンも、仮に持っていたとしても、うまく使えるとは限りません。相手も持っているかもしれないし、逆に撃たれたり、電気ショックでビリビリーってやられるかもしれません」
「確かに」ヒナコは思う。
「合気道を習ったって、どれだけ稽古をしたって、ピストルで撃たれたら終わりです。合気道の開祖植芝盛平先生は、戦争のときピストルの弾丸も見えたらしいです。マトリックスでは、ピストルの弾丸を、こうやって、こうやって、全部よけてますけど、普通の人間にはそんなことは出来ません」
 先生は、体を後ろに反らして、スローモーションで背泳ぎをするように、弾丸を避ける真似をして、ニカッと笑った。 
「一番の護身は、危険に近づかないこと。危ないとこには行かない。近づかない。この道を通るのはやばそうだ、とか、あの人とは関わらない方がよさそうだ、って思うときはありませんか? そういう感覚はとても大切です。危険を察知する能力。今日習った一ヶ条抑えより、ずっと大切です。それから、仙道さんの言ったように、逃げること。「あれ、あいつ、いつの間にかいない。あの野郎、逃げ足だけは早い」ってのは、最高の護身です」
 仙道さんときちんと名前を言ってもらえて、さくらは照れつつも嬉しかった。
「あとは、助けを呼ぶこと。警察。親。先生。友達。周りにいる人。自分一人で何とかしようとしない。助けを求める」
 横一列に整列した全員が、真剣な表情で先生を見つめている。
「君たちは幸運にも守られています。だけど、世の中はいい人ばかりではない。残念ながら悪い奴もたくさんいるし、悪意はある。暴力もある。昨日まで優しかった人が手のひらを返したように冷たくなることもある。
だから、危険や悪意には近寄らない。万が一、近寄ってしまったら、すぐに逃げる。全速力で逃げる。それから自分一人で何とかしようとしない。助けを求める。戦うのは最後の最後です」
 春の日差しが、窓の形に切り抜かれ、高遠先生を包み込んだ。先生が正座している一畳にだけ、光が満ちる。
「あなたは弱い。私も弱い。自分のことを過信しないこと。合気道を多少できるようになったからって、自分は強いなんて思わないこと。体験の二人だけじゃない。ここにいる皆がそうです」
 柔らかく、柔らかく、先生は笑った。
「本日の稽古は以上です」
 今一度背筋を伸ばし、両手を畳に置いてきれいに礼をする。
「ありがとうございました」
 先生に習うかのように、全員が背筋を伸ばし、畳に頭をつけた。先生が道場から出ていくまで、長い間、誰も頭をあげなかった。

ほんの少しでも笑顔になっていただけたら幸いです。