『証し 日本のキリスト者』

最相葉月
角川書店 2022年

「祈り」には、そして祈る場には、人にとってどんな意味・効果があるのだろうか。そんなことが気になって本を探し、読んでみたのがこの本。多くのキリスト教信者(信者とは言い切れない、という証言もあって、それもまたよし)の話が載っている。別にキリスト教の話を探していたわけではないが、やはり祈りと宗教は切り離しにくく、祈りの強い宗教と言ったらキリスト教か仏教なのだろうなと思う。
ちなみに私は小さい頃に近所の教会に遊びに行っていた時期があり、聖書も新約・旧約ともに読み通しているが、信仰心には全くつながらなかったし詳しくもない。

この本には、神をどう思うのか、キリスト教とは何か、教会とは何か、自分にとって信仰とは、なぜキリスト教徒になったのか、などなどとても多くの話が書いてある。
ネットで本の存在を知り、図書館で見てみたら、6cmを超える分厚さ。かなりビビったが、一人につき数ページくらいの話なので読みやすい。言ってみれば、それだけたくさんの人に話を聞いた著者は相変わらずすごいとしか言いようがない。

「順調に生きてこれたわけではない、でも神を疑ったことはない」という論調の人もいれば、「結婚した相手がキリスト教だったから洗礼を受けた、教会にはいくが神様を実感したことはない」という人もいるし、教会の内紛について書いてあったり、精神面に不調を抱えた牧師の話があったり。
個人的には、災害などで家族を亡くした人が神をどう思うのか、「いい人ほど早く亡くなる」とか「その人生を選んで生まれてきた」とかそういう意見にどう感じるのか、ということも知れてよかった。

ここしばらくで話題のいわゆる宗教2世の話もあり、この本では新興宗教的な系統の信者は入ってないのだと感じるが(キリスト教にもいくつか宗派があるようで私はあまり詳しくないのでわからない)、それでも私からしたら「かなり強烈」に感じる信仰の仕方をしている親もいて、生活に影響が出ていたらそれは他の家族にはしんどいだろうと思う。
人の救済を目的とした宗教であっても、やはり組織・人の集まりであるからいろいろとあるものだなと思う。それはキリスト教に限らず、ほかの宗教でも同じだ。

読んでいて特に感じたことは、

・人はやはり若いうちに接したものに感化されやすい。幼児洗礼があるのは、その宗教を信じる人からしたら当然なのかもしれないが、布教の面でもかなり役立っていそう。上に書いた通り私は全く影響されなかったので、人によって違うのだろうと思うが。
・聖書はメッセージ性が強く、弱っているときにハマる言葉ちりばめられているとも言える。それを強く感じた人がキリスト教にいくのかもしれない。場合によってはそれが仏教かもしれないし、他の宗教かもしれない。その点で、聖典的なものが無い昔ながらの神道には「ハマる」という体験は少なさそう。
・「親が亡くなる直前に洗礼を受けてくれて、これで親が救われるとうれしかった」「友人や恋人が教会に通うようになってくれず物足りない、自分の力が足りないと感じた」などどいう意見があって、私にはこれが怖かった。キリスト教徒でないと救われないという考え、自分が信じるものが普遍的に良く絶対であるという考えには、違和感を感じる。ただそれは私にも他の人にも宗教でなくとも日常生活の中で「こうすべき」という気持ちであるはずで、別に押し付けられるのでなければいいのだろうと思うが、、、

当初目的の【祈りとは】ということで言えば、この本を読んで感じたのは「気持ちを落ち着かせるもの」ということかな。それが自分のためであっても人のためであっても、何か超越したものに対しての語り掛けということで、そうすることで気持ちが落ち着いたり軽くなったりするのが効果、なのだろう。そして気持ちが軽くなることで、血流が良くなったり自律神経が安定して体調も良くなるということはあるだろう。

いいことばかりがあるわけではない人生で、多くの人が生きてきた中で頼れるものとして生まれたのが宗教なのだなと改めて感じた。
『祈ることは、他の似たタイプの脳に影響を与える』という脳科学者の意見を見たことがある。これまた私は全く詳しくない、量子力学とかそういうのと関わってくるのだろうと思う。生命は不思議だな。

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