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【近代・前⑥】『第3のギデオン』~「父殺し」としての市民革命~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『第3のギデオン』1巻表紙より


1.権力の転々

 「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食うは徳川」という有名な歌があります。

 16世紀、日本はそれまで国を束ねていた室町幕府が弱体化・崩壊し、長い内戦期に入ります(いわゆる「戦国時代」)。
 この分裂状態を最初にまとめにかかったのはかの織田信長であり、大進撃の末近畿・中部一帯を支配下に置きますが、志半ばで本能寺の変により暗殺。その後信長の支配領域をベースに天下統一を果たしたのは、信長の元部下である豊臣秀吉(羽柴秀吉)でした。しかし、その天下も間もなく豊臣の手から転がり落ち、結局日本はその後250年程、徳川の下で統治されることになります(江戸幕府)。上の歌は天下を「餅」にたとえ、この権力の転々をうまく表現したわけですね。

 突然日本史の話をしたのには訳がありまして、それはちょうど同じような時期に、西欧世界においてもこの「せっかく造り上げた権力の転々」が起こっているからです。
 
『セシルの女王』のページで見たとおり、近世ヨーロッパは私たちのよく知る「国家」が出来上がっていった時代でした。地方の有力諸侯に分有されていた権力が、軍隊と官僚組織を整備した王権の下に統一されていく。そして、王の絶対的な権力のもとに国家が統一的に運営される「絶対王政」が実現したのです。しかし、強すぎる権力は得てして横暴や不満を生むものでして、その絶対権力もまた、やがて王から別の者の手に渡っていくこととなるのです。
 では、それは一体誰の手に渡ったのでしょうか?豊臣の統一権力が大大名徳川に移っていったように、西欧でもまた、国王に比肩する別の権力者のもとに権力が渡っていったのでしょうか。
 いいえ。ここが日本と西欧の違いでして、西欧ではその権力が、国民一人一人の手に渡り始めます。現代では当たり前の話である「民主主義」が、ここでようやく生まれてくるのです。

2.イギリス・フランスの市民革命

 この権力移譲が最初に起こったのが、『セシルの女王』の舞台であったイギリスでした。

 絶対王政下でイギリスを強国に押し上げたエリザベス1世の崩御が1603年。この後の王も同じく絶対王政を維持しようとするのですが、このイギリスには他の西欧主要国とは異なるある特徴がありまして、それはかなり昔から「議会」が存在し、かつ絶対王政下でもそれが生き残っていたことでした。この発端はちょうど『ブルターニュ花嫁異聞』の時代にありまして、この時代あまりにも失政が多かったイギリス王に対し、貴族らが徴税の際には「議会の承認」を得ることを約束させるという、中世としては珍しい事件が起こっています。これ以来イギリスでは、「王による政治上の重要な決定には議会が関与する」という伝統が生まれ、その伝統が断続的に続いていくのです。
 エリザベス1世はこのルールを尊重して議会ともうまく付き合ったのですが、彼女の後継者は絶対王政の旗のもと議会の意向を無視した政治を繰り返し、議会との対立が激化。これが遂に内戦を生み、議会派が王を処刑するという異常事態に発展します(ピューリタン革命)。栄光の王エリザベスの崩御から、半世紀もたっていない1649年の出来事です。
 その後革命は種々の混乱を経て、17世紀末にようやく終結。結果、王をいただきつつも、主権を議会に置いて議会の決定に基づき政治を進める立憲君主制が成立するのです。その後ヨーロッパ中を席巻する、「市民革命」の最初の例です。
 
 この次に市民革命がおこり、イギリスよりもさらに大きな影響を内外に与えたのがフランスです。ご存知「フランス革命」です。

 近世のフランスの動きは『将国のアルタイル』『イサック』のページで言及しています。こちらもイギリス同様王権強化がよく進んだ国でして、神聖ローマ帝国(今でいうドイツ)のハプスブルク家を叩くべく対外戦争に積極的に参加したほか、対内的には一時期宗教改革の影響を受けて動乱期も迎えるもこれを平定、ルイ14世(在位1643年~1715年)のもとに絶対王政を実現します。
 しかし18世紀後半になると、対外戦争による財政逼迫や連年の凶作等を通して市民の不満が増大。この問題の解決のため、絶対王政下では一切開かれていなかったフランスの議会「三部会」が約200年ぶりに開会されるのですが、特権階級が多数を占めるこの議会は機能不全であるとして市民が武力蜂起。フランス革命がスタートします。
 当初は王の地位を維持しつつ市民の権利を保護するイギリス式の革命が目指されるのですが、当時のフランス王妃、マリー=アントワネットの故郷であるオーストリアほかが革命潰しのための軍事介入のポーズを取ると、反動的に革命は激化。最過激派が革命の主導権を握り、ルイ16世とマリーだけでなく、革命勢力の中の穏健派すらも次々と処刑されるという恐怖政治が実現します。
 もちろんこれも長く続かず、最終的には穏健派によるクーデターをもって恐怖政治は終わりを告げます。しかし、後を継いだ穏健派も穏健派で、市民が満足するほどの大改革を実現することはできませんでした。王を殺してしまい、しかし頼れる革命の指導者も不在となったフランスは、以後長い漂流を始めることになるのです。

3.「父殺し」としての市民革命

 フランス革命は以後ヨーロッパ各国の政治改革に多大な影響を与えたほか、そこで生まれた人間の自由平等を謳う「人権宣言」は、現代でも未だ参照されるほど画期的なものでした。一方で、暴力と処刑と恐怖とで構成された市民の暴走としてこの革命を捉えることもできるところであり、切り口次第で様々な姿を見せる事件です。それもあってか、この大事件を題材とする作品は絶えず、マンガにおいても『ベルサイユのばら』を皮切りに多数の名作が生まれています。
 その中でも私が今回とりあげたいのは、乃木坂太郎先生作『第3のギデオン』です。個人的に大好きな漫画家の作品であるから、というのもあるのですが、一番の理由は、同じ作者である『医龍』や『夏目アラタの結婚』でも見られる非常に良質な人間ドラマと、この「革命」という事件の本質とも言うべきものが、高い次元でリンクしている作品であるからです。
 
 本作の主人公は、平民の身分ながら三部会議員となり、貧しさにあえぐ市民を救うことを目指しているギデオン。
 本作の物語は、ギデオンが反体制活動で逮捕されたことをきっかけに、旧友の貴族ジョルジュと再会するところから始まります。ジョルジュは貴族でありながら革命を目指しており、彼に賛同したギデオンは共に活動するようになるのですが、暴力的に革命を進めようとするジョルジュと、ある事件をきっかけにルイ16世と個人的に親交を深めていくギデオンはやがて離反。ギデオンはルイ16世の誠実な王としての側面を知り、平和的な体制改革を目指すようになるのですが、既にジョルジュの深謀は様々な方面に張り巡らされており、革命は雪崩のように暴力的に進んでいく・・・という作品です。
 
 本作がフランス革命を通して描くのは、各主要キャラの「家族」、特に「父子関係」の物語です。
 ギデオンはジョルジュと早期に離反しますが、ギデオンの娘ソランジュは、ジョルジュの暴力的な革命でしか体制は変えられないとしてジョルジュに味方し、ギデオンは父娘関係の決裂に悩みます。また、ルイ16世もその性格や職務の忙しさから、妻マリーやその子と親密な家族関係を築けておらず、同じ悩みを共有するギデオンとは個人的な友好を深めていきます。 
 一方、ギデオンはかつてジョルジュの家に引き取られて、ジョルジュの兄弟のように育てられていたのですが、その頃は良好であったかに見えたジョルジュとその父の関係は現在大きく悪化しています。そしてこの悪化が、どうやらジョルジュを革命へと動かす一番の動機であるようなのです。さらには、実在する人物であり、後に革命家として恐怖政治を敷くことになるロベスピエールという登場人物もまた、父との確執が描かれます。各キャラはそれぞれ、望ましい父子関係を取り戻せるのか。いや、そもそも「望ましい父子関係」とは何なのか。「父」とは何なのか。そういうことが、本作のドラマを通じて検討されていくのです。
 
 そして本作のさらに面白いところは、こうした人間ドラマを通して描かれる「父子関係とは何か」というテーゼが、そのまま「フランス革命とは何だったのか」という本作の歴史認識に直結するところです。

 というのも、革命を急進的に動かそうとするジョルジュやロベスピエールは、上記のとおりともに父との間に確執があるキャラクター設定になっており、ロべスピエールに至っては、自らの革命思想を語るにあたって「この国に『父』など必要ない」と明言します。彼らの個人的な「父」への敵意が、そのまま自然と「国の父」としての国王への敵意へと転化されていくように、うまくストーリーや2人の感情の動きが設計されているのです。本作においてフランス革命は、市民という「子」が自らの「父」たる国王を打倒するという、「父殺しの事件」として理解されるのです。
 そうなると、ルイ16世における「父」としての家族への向き合い方に係る悩みもまた、そのまま「王」としての市民への向き合い方に係る悩みとリンクすることがお分かりになるでしょう。父は母と違って子と胎内でつながっていたわけではないし、子を思うがまま支配していいわけでもない。しかし、子を正しく導いていかなければならない。そういう難しい条件の中で導き出される「良き父」とは、何なのだろうか? その答えをルイが発見したとき、市民にとっての「良き王」とは何なのか、ルイは「良き王」だったのかという問いに対する答えもまた、明らかになっていく。そしてさらには、そのルイを処刑する「フランス革命」という父殺しは喜劇だったのか、それとも悲劇だったのか。そういう歴史的な問題に対する答えも、自然と見えてくるのです。この点で本作は、「人間ドラマ」と「本格歴史作品」を同時にこなすという、極めて精巧な造りがなされた作品だと思います。


 さて。フランス革命が「父殺し」なのだとすれば、フランス革命を終えた市民という「子」は、当然父の庇護を離れ独り立ちを求められるということになります。しかし、親元を離れて一人暮らしを始めたばかりの人間がそうであるように、この「子」たる市民もまた、父の下から離れるだけですぐに独り立ちできるものではありませんでした。
 というのも、この革命の後、フランスは喪われた「父」の幻想を求めてこれにすがり、しかし再度この幻想たる「父」の下を離れる、ということを幾度となく繰り返す苦難の100年を迎えることになります。この幻想たる「父」の一人目がかのナポレオン=ボナパルトであるわけですが、革命後のフランスの漂流については、もう少し後のページで見ていくことにいたしましょう。

次回:【近代・後①】『片喰と黄金』 ~アメリカ合衆国の幼年期、その光と影~

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