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【近代・後③】『河畔の街のセリーヌ』~革命後のフランスの混迷と成熟~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『河畔の街のセリーヌ』1巻表紙より


1.フランス革命のその後

1―1.漂流するフランス

 近世前半(近世)から後半への移行をもたらした「市民革命」。これを先んじて担ったのは、王を処刑し主権を市民へと移行させていったイギリスフランス、そしてそのイギリスから独立し、初めから「王がいない国」として誕生したアメリカでした。
 そして、このうちイギリスは『エマ』のページで見たとおり「世界の工場」として覇権的な地位をほしいままにし、アメリカもまた、『片喰と黄金』のページで見たとおり、急速に領土を伸ばして「植民地を持つ側」にまわるほどの国力を得ることになります。

 では、非常に有名な「フランス革命」をなしたフランスはその後、どうなったのでしょうか。
 
 フランス革命の壮絶な過程は『第3のギデオン』のページで見たとおりです。当初は王の地位を維持する穏和な改革が目指されますが、これが徐々に過激化し、遂には王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットを処刑。さらには革命最過激派による反対派の大量処刑と恐怖政治が実現しますが、これも結局クーデターにより頓挫。その後主導権が穏和派に戻りますが、今度は逆に改革が進まなくなり、国民は再度、改革と社会の安定を実現できる強力なリーダーを求めるようになるのです。
 ここで、国民の望みを体現するように突如登場したのがかのナポレオンです。革命勃発以降、フランスは内政の混乱だけでなく、革命潰しのために周辺国が戦争を仕掛けてくるというまさに内憂外患の状況だったのですが、この対外戦争において軍人ナポレオンは大きな戦果を挙げ、国民の人気を得ます。そして、外国の攻勢が激しくなると、このピンチに乗じてナポレオンは軍事クーデターを敢行し、穏和派による政府を打倒(=フランス革命の終了)。その後も勢いは止まらず、ヨーロッパの共和政化を掲げて逆に他国への侵略を進め、一時期なんとヨーロッパのほぼ全土がフランスの支配下に入ります。そして、対内的には国民投票を経て、ついに「皇帝」の地位を獲得(1804年)。フランスは「王」を殺したそのわずか10年程後に、自ら「皇帝」の支配下に入るのです。
 
 しかし、そのナポレオンもロシア遠征の大失敗をきっかけに没落。各国の反攻によりパリが陥落し、ナポレオンは追放されます。そして、「フランス革命以前」のヨーロッパ社会に戻りたい周辺国にも背中を押され、ここで復活したのがまさかの「王政」。処刑されたルイ16世の弟であるルイ18世が王位につくのです。もちろんルイ14世時代のような絶対王政に戻ることはなく、王の地位を維持しつつ議会による政治を行うイギリス風の体制が導入されるのですが、旧体制派の力はこの頃もまだ強く残っており、徐々に政治の中身はかつての姿に。そして1830年、遂にせっかく用意した議会が強圧的に解散させられるのです。
 ここで再度堪忍袋の緒が切れるのが国民です。パリで再度革命がおこり、王族ルイ・フィリップに王を挿げ替えます。しかし、この王政も少数の富裕層の利益ばかりを重視するので、1848年に3度目の革命が勃発。王政に愛想のつきた国民はこれを廃止し、かつての英雄ナポレオンの甥、ルイ・ナポレオンを大統領として選出するのです。
 話はまだまだ終わりません。選挙の結果保守派が多くなった議会の進める政策に国民の不満が高まってくると、このルイ・ナポレオンが叔父の後を追うかのようにクーデターを敢行。国民投票による圧倒的な指示のもと、「ナポレオン3世」として帝位に就きます(1852年)。フランスは王政を再び廃止させてから4年後に、やはり再び独裁者にもとに自ら下るのです。
 
 しかし、二人目の皇帝の政治もうまくいきません。ナポレオン3世は国民の支持を対外政策の成功によってつなぎとめようとし、外国に対して多数の戦争を仕掛けますが、当時英仏を追いかけて急激に国力を伸ばしつつあったドイツに致命的な敗北を喫し(ついでに皇帝自ら捕虜になり)、ここに第二帝政は崩壊します。1870年の出来事です。
 その後、パリで労働者層による自治政府(パリ・コミューン)が設立、これが2か月持続するなど様々な混乱を経ますが、やがてこれを鎮圧。1875年に3度目の王を戴かない共和政(第三共和政)が敷かれ、フランスの政治体制はここでようやく、一応の安定を見ることになるのです。

1―2.「父」を殺し、「父」を探す

 まとめてみると、フランス革命の勃発(1791年)から第三共和政の成立(1875年)の90年弱の間に、フランスの政治体制は第一共和政→第一帝政→復古王政→第二共和政→第二帝政→第三共和政と目まぐるしく推移しており、王や皇帝という絶対権力者を戴く体制と、そうはしない共和政との間を反復横跳びしているということが分かります。
 この体制変遷の興味深いところは、この共和制→王政・帝政への逆行が、旧来の保守勢力の復活だけではなく、革命によって共和政化を推し進めていたはずの国民自らの後押しによって行われているということだと思います。一度目の第一共和政→帝政の逆行は、十分に改革を進められず、社会に安定をもたらさない革命政府への不満と、この状況を打破してくれる強力な権力を望む国民感情が背景にあった。二度目の第二共和政→帝政の逆行も、第二共和政を担う保守的な議会への不満、そしてかつてのナポレオン時代の活力あるフランスへのノスタルジーがそうさせたのか、ルイ=ナポレオンの帝位叙任を問う国民投票は圧倒的多数の賛成となっている。もちろん、かつての王政とこれらの帝政では、「リーダーが国民自ら選んだ者である否か」という重要な違いはあるにせよ、いずれも個人に強大すぎる権力を委任するものであり、結局は失敗に終わっています。にもかかわらず、かつて王を殺し、主権を自らの手に握った国民は、一度とならず二度、その主権を手放す選択をしているのです。
 
 これは何もフランスという国が未熟であるだとかそういう話では決してなくてでして、とにかく「国民の主権者としての独り立ち」というのは非常に難しい、ということなのだと思います。

 かつて王に国家の全てが委ねられていた時代、国民は王の言うがままに従うことを強いられていたかもしれませんが、その代わり、国家の行く末を自身の責任として案じる必要はありませんでした。明日のパンが手に入るか、自分の仕事が上手くいくかには注意しないといけませんが、その代わり、自分とは直接関係が無い人の貧困を防ぐための法制度だとか、周辺国との外交関係について、自らの責務として頭を悩ませる必要はなかったのです。
 一方、国民が主権を持つとこの限りではありません。国民が政治を担わなくてはならないのですから、この国がよりよい国になるのはどのようなルールを敷けばいいのか、外交はどうすればいいのかということを、もちろん細部は政治家や官僚に任せつつも、大まかには考えないといけない。そして、そうしたルール作りが上手くいかない場合、その責任の一旦は国民自身にあるということになります。主権を得るということは、今まで誰かが曲がりなりにも敷いてくれていたレールを、自分の力で敷くことを担い、またそのレールの行先に自らが責任を持つということです。すなわち、ある意味国民が「親離れ」をして、「大人になる」ということなのです。

 しかし、フランス国民はその非常に困難な「大人になる」という営為にかける時間を一切確保しないまま、まさに『第3のギデオン』で描かれたように、王の処刑という「父殺し」をしてしまった。だから彼ら彼女らは子どものまま社会に放り出されてしまうのであり、社会の荒波に圧倒された彼ら彼女らは、ナポレオンのような新たな「父」を戴こうとします。しかし、そのような急造の存在ではやはり「父」の役割を果たすことはできないことがわかると、そこから離れて、再び一人彷徨い始めるのです。そして、そういうことを繰り返しているうちに、徐々に、国民自ら、自分たちが進むためのレールをしっかりと敷けるようになっていく。それが、このフランスの混迷の90年の内実なのではないかと、そう思うのです。

2.『河畔の街のセリーヌ』が描く「大人」のパリ

 そんな、混迷の時代がちょうど終わったばかりの1870年代パリを舞台に、一人の少女の自分探しを描いていくのが、日ノ下あかめ先生作『河畔の街のセリーヌ』です。
 主人公は、物静かで無表情な14歳の少女セリーヌ。特に趣味もやりたいこともなく、「月から来たようだ」と人から言われる少し浮世離れした彼女は、親代わりに自分を育ててくれた家庭教師の「多くのことを経験しなさい」という言葉に従って単身パリに。そして、そこで偶然出会った老紳士に雇われ、「パリの様々な職業を体験し、そこで見知ったことを報告する」という仕事をすることになります。彼女はその「職業を体験する職業」で様々な経験を重ね、パリ市民の、そして自分自身の思わぬ一面を知ることになるのです。
 
 本作でまず目を引くのは、19世紀後半のパリにタイムスリップしたかのような感覚すら覚える、その美しい舞台描写です。ちょうどこの頃のパリは街路の整備が進み、私たちがよく知るような美しい近代的な街並みが出来上がりつつある頃でした。市民の消費活動も始まっており、百貨店をはじめとする華やかな風景が広がる一方、庶民の住宅や小さな店舗の意匠も丁寧に描かれ、また少し街から外れると昔ながらの自然が広がる。当時のパリが目の前に浮かび上がるかのようであり、ほぼ同時代のイギリスを描いている『エマ』に比肩する臨場感です。

 また、セリーヌの目を通して描かれるパリ市民たちの生活の多様さ、またこれを目にしていくセリーヌの変化もまた、この作品において何より重要な要素です。
 セリーヌが体験する職業は様々です。公証人や医者といった高所得の職業から、居酒屋の給仕や洗濯女といった過酷で薄給の職業まで、多様な仕事がパリにはある。しかし、セリーヌが出会う様々な仕事人に共通していること、それは、自らの仕事を自らがすべきこととして引き受けているということです。もちろんそこには、本当に自分が好きだからその仕事をしている人もいれば、環境や状況から仕方なくその仕事をしている人もいます。そのようにグラデーションはあるのですが、この仕事をするのが自分の人生なのだと、そして、仕事に苦しさがあっても、一縷の充実や自分にとっての価値もまたそこに在るのだと。そういう矜持のようなものが、本作では描かれていくのです。
 そして、そんな様々な人の矜持を見たセリーヌは、「からっぽ」だと思っていた自分の中にもそういう「矜持」の萌芽があること、いや、その萌芽をパリで出会った様々な人から受け取っていたこと、また、自分を育ててくれた家庭教師の先生から、その萌芽を育てるために必要な精神を、道徳を、知識を授かっていたことに、だんだんと気づいていく。そしてその萌芽を自分自身で大切に育て上げ、自分なりの生き方に育て上げることを引き受けていく。そんなセリーヌの変化もまた描かれていきます。
 
 私はこういう「自分なりの矜持」「自分の人生として何かを引き受ける」という物語が、この時代のパリを舞台にして描かれるということに、ものすごく意義を感じます。これは「自分で自分の人生のレールを敷いていく」ということであり、まさに、混迷の時代を経たフランスがこの時代にようやく得た価値なのですから。一人の強力なリーダー、あるいは「父」の庇護のもとで生きることは楽ではありますが、それはあくまで「与えられた」指針あるがゆえに、「自ら引き受けた」という矜持には必ずしもつながりません。また指針が一つしかないのですから、そこに生き方の多様性は必ずしも生まれません。「父」から離れ「大人」になり、それぞれが自分なりに自分の生き方を考え、練り上げ、それを引き受けるようになるからこそ、多様な、強度のある生き方が生まれるのであり、また、その様々な生き方が、セリーヌのような後世な人々を導き、さらなる多様性につながっていく。それが、この1870年代パリという、独り立ちを始めたばかりの市民社会を舞台にして本作が描いていることだと思うのです。
 もちろん、この作品で描かれるパリの市民生活の多様さは、そのまま成熟のみを指しているわけではないでしょう。そこには改善されるべき苦しみや貧困が未だあることは否定できなせんし、自分の生き方を自由に選べない者たちもまだまだ多い。しかしその上で、パリ市民生活が獲得しつつあった多様さ、そしてそれぞれの生活を、自らの選択により「我が生活」として受け入れていくその様は、パリという都市の「成熟」の萌芽の証なのです。
 
 19世紀後半。人類が近代的な生活を謳歌し始めた時代の、その活気と善性が感じられる名作です。


次回:【番外編③】『ハイパーインフレーション』~ナショナリズム、帝国主義、経済戦争~


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