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下手な防御はやめとこ

農地を借りて、農業をするということに馴染みがないと、「そんなところでミスる?」なんてことは、多々あるものです。

もう2か月ほど前のことです。ある日、穴を掘っていたら、小石というにはちょっと大きいくらいの石が、ゴロゴロ出てきました。そこそこの量になったので、どうしたものかと悩んでいたら、たまたま一緒にいた移住組の人が、それを隣の空き地に捨て始めました

「あー、そこに捨てりゃいいのか。

そうやって、その日の穴掘り作業は完了です。


後日、その場所に作業をしに出かけたら、農業リーダー・軍曹殿が、誰かと話しています。雰囲気、ちょっとピリッとした感じです。

話の輪の中に入ってみると、隣の土地を借りている人が、「この間、うちの土地に石を捨てたヤツがいた。そういう行儀の悪いことするんだったら、もうココを使うんじゃねぇ」というのです。結構な剣幕でした。

軍曹殿はワケが分からず、「知らねぇ、何の話だ」状態です。

あ、やべっ!それ、俺だっ!

私は、瞬間的にピンときたので、すぐに謝りました

すみません。それ、私です。知りませんでした。もうしません。」

小学生みたいな謝り方ですが、ほんとそんな感じです。それが悪いことだと知らなかったのですから、仕方ありません。

軍曹殿は、私をかばって「変なことを言うやつだ。気にするな」とおっしゃってくださいましたが、私からすると有難いお叱りでした。いや、お叱りというよりも、教えていただいたという感じです。

あのまま黙って、お叱りをいただいていなかったら、それ以降、「無知な私」が、もっとヒドイことをしたかもしれません。

いい勉強をさせていただきました。

翌日私は、お茶菓子を持って、隣の畑の人のお家に行って、ご挨拶をしてきました。お茶菓子を受け取られたご家族の方は、ずいぶんと恐縮されていましたが、私としても、ご迷惑をおかけしたお詫びと、教えていただいたお礼の意味があったので、そうしないわけにはいきませんでした。


以降、たまにそのお隣さんがやって来ては、声をかけてくれるようになりました。今は、割と仲良しにさせていただいています。先日も、タマネギのことをいろいろと教えてくれました。


何が言いたいかというと、「下手な防御は自壊を招く」ということです。

叱られた瞬間、「あ、やばっ!!」と思いました。けど、逃げたって無駄です。いや、逃げたら余計にこじれるだけです。スッと前に出て「ごめんなさい」しかありません

仮に、あそこで防御に入ったら、いろいろとこじれていたはずです。もしかしたら、軍曹殿がかばってくれたかもしれません。しかし、お隣さんとの関係が良くなることはなかったでしょう。いや、軍曹殿との関係だって、どうなってしまうか分かりません。

下手な防御は、いかんということです。


ちょっと、日常の世界に目を移して考えます。

生活をしているなかで、とても言い訳がうまい人なんかをみかけます。そういう人は、大抵、頭の回転が早い人だったりします。叱られるような場面でも、スルッとかわしていきます。頭の回転が早いので、何となく仕事ができるようにもみえます

本来、謝らなければいけないところで、スルッと論点をすり替えてみたり、もっともらしい別の話題でけむに巻いたり・・・頭が良くて、賢そうに話されると、「そうなのか?」で終わってしまうケースも多いようです。

でも、それではうまくいきません。結局、小手先の解決はダメだと思うのです。この先、必ず行き詰ります

今、国や政府を動かしている人々というのは、頭が良くて賢そうですが、どうもそういう状態に陥っているようです。

それでは、どうしたらよいか?

政治活動を展開してみたり、投票行動で何かを変えようというのも、意味のあることだとは思います。ただ、それで社会がガラリと変わるようなことはないでしょう。国や政府の「仕組み」というものを変えるのは大変です。

そんななかで、私が実践しているのは、私自身が自己防衛に走らないことはもちろんですが、少しずつでも、周りの人たちを変えていくことです。

例えば仕事上、「あ、この人逃げたな?自己防衛に入ったな?」という人を捕まえて、「どうして、そうなってます?」とやるのです。

意地悪じゃないです。ココがポイントです。

意地悪でやると、相手も意固地になるので、防御態勢を解いてくれません。

自己防衛に入っている人に詰め寄るのは、そのことがその人にとっても、全体にとっても良くないからであり、その人のことを思って全体のことを考えて愛情をもっているからこそ詰め寄るのです。

こちら側のそういう思いは、相手にも伝わるので、おかしな諍いにはなりません。こちらには攻撃の意図がないので、結果、相手が気付くのです。

「あー、竹内の前で自己防衛するのはダメだな」

これを繰り返していくと、私の前で、自己防衛しようとする人は減っていきます。あるいは、自己防衛をするケースがなくなっていくことになります。

これを皆でやったら、おそらく世界は変わっていきます


ん?そんなことしたら、その場所にいられなくなる?

じゃ、その場所から離れればいいんじゃないでしょうか?その場所から離れても生きていけるように、いろいろと考えてみたらどうでしょう?

少なくとも自分が生きている範囲のなかでは、そうやって新しい世界が拓けていくのだと思います。

国際情勢や政治の世界も大切です。しかし、日常の周りにある些細なものを変えようとするだけで、結果として、自分の生活が大きく変わるかもしれません・・・よ?


ただ、人間として、肉体を持っている個体である以上防御しないというのはとても難しいようです。

軽く親指を「コンコン」と叩くだけで、そちらに防御意識が働いて、強く掴むということができなるそうです。不思議だ・・・。

自分自身が、そんな個体であることも肝に銘じながら、厳しく律していきたいものです。


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