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「怒り」が尽きてきた

最近、いろんなニュース記事をみていても、あまり感情が湧かなくなってきました

「あー、そうなるよねー

それくらいの感想はあります。しかし、それ以上の「けしからん!」みたいな感情が湧いてこなくなってきたのです。

おっしゃられていることは、よく分かります。お金のシステムの話、大変、重大で深刻な問題だとも思います。私たちが、文字通り家畜化されるような事態にも発展しえます。本来ならば、「けしからん!」と怒るべきところでしょう。

でも、そういう感情が、ほとんど出てこなくなったのです。

こんなのに至っては、ピクリとも動きません

韓国最大野党・共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表が28日、「『独島(ドクト、日本名・竹島)は日本の領土だ、教科書に独島を載せる』といえば、とんでもないと言って席を蹴ってくるのが大韓民国の大統領ではないのか」と批判した。

私の大学時代の研究テーマが、日韓関係だったこともあり、10年前なら、何か言いたくなっていたと思います。けれども、何の感情も動かないのです。心底、どうでもいいと思うようになってしまいました。


死の受容モデル」というのがあります。

以下のように、死の否認から始まり、最後には死を受容していく
否認(と隔離)・・・死を運命として受け入れられず、事実(検査結果など)を疑い、孤立する
怒り・・・「どうして自分が」と怒りを覚え、周囲にぶつける
取引・・・死の恐怖から逃れようとして、何かにすがろうとする(宗教、補完代替治療、寄付など)
抑うつ・・・死は避けられないことを悟り、喪失感(ロス)に絶望し、なにも手につかなくなる
受容・・・死を避けられない運命として受け入れ、心に安らぎを得る

ITカウンセリングLAB
「キューブラー・ロスの死の受容過程(悲しみの5段階モデル)」より引用

それによると、人はどうしても避けられない「死」に対して、①否認、②怒り、③取引、④抑うつ、⑤受容というプロセスを経るといいます。

どうでしょう・・・必ずしも、このプロセスを踏むとも思いません。しかし、ひとつのパターンとして、こういう整理の仕方はできるように思われます。

そして私の場合、今の「世の理不尽」に対して、この「死の受容モデル」を当てはめてみたとき、⑤受容にまできてしまったのかもしれません。

もちろん、けっして諦めたわけではないです。

「死の受容モデル」において、⑤の受容は、「死」が避けられないことを受け入れ、そのうえで死ぬまでの間どのよう生きていくかを真剣に考えることになります。

それはつまり、「世の理不尽」を受け入れ、それがある前提のなかで、自分の人生をいかに実りあるものにするかを考えるということでもあります。

諦める」とは、全然違います


そして、いよいよこの心境になってくると、所謂、合気的な生き方を推し進めることができるようになってきたとも言えます。

人間は、互いの意識同士で支え合います(拮抗します)。「やってやろう」、「やられまい」という力の拮抗です。このことで、「力対力」の争いが生まれます。この争いは、力の強いものが勝ちます
しかし、相手が「やってやろう」と思って、力をかけたところに自分がいなければ、相手は拍子抜けしてしまい、勝手にバランスを崩し、倒れていくのです。

「「合気」の使い方」より引用

けしからん!」という感情も出てこなくなってきたので、それに対して、「なんとかしてやろう」などという気にはなりません

「世の理不尽」を起こしている人たちに対しても、何か抵抗をするといった「やってやろう」などという意識はないです。したがって、あちら側は拍子抜けすることになると思います。

そこが、合気的な生き方のポイントです。

あちら側が拍子抜けしてしまうくらい、こちら側に「怒り」などの気持ちがないことが重要なのです。つまり、あちら側がやることに、いちいちこちらの感情が動かなくなったというのは、とても都合がいいわけです。


振り返ってみると、2020年のアメリカ大統領選挙のとき、「世の理不尽」を強烈に味わされました。その後に起こった新型コロナウイルスやワクチンの問題では、ものすごい怒りを覚えました。

それからしばらく、このnote上でも、多くのことを書き連ねてきました。怒りの感情もあるし、「やられまい」とする気持ちも働き、私なりの視点から、情報発信をしなければいけないと考えました。

しかし、その後、ワクチンどころの騒ぎではなくなりました。もう、いちいち書き上げることすらできません。次から次へと出てくるトピックは、どれも重大で、どれも深刻で、ワクチンの問題がかすんでしまうほどの世の中になってしまいました。

さすがに、私の「怒り」のパワーにだって限界があります(笑)。

ここまできたら、もう受け入れるしかないという状態になってきました。ただし、繰り返しですが、諦めるわけではありません

林先生もおっしゃるとおり、たとえ「亡国」になったとしても、千年、二千年単位で考えて、再び国を興すくらいの覚悟で生きていきたいと思います。

「亡国の覚悟をもって当たるべし」より引用

国がどうだの関係ありません

まずは、自分が思うように生きてみる、ただそれだけです。もちろん、知恵を絞っていかなければいけません。行動だって必要です。やることは、全部やるのです。


どのニュースタイトルをみても、「ふーん」という感じ・・・新しい局面に入っていく兆しのように思います。


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