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惜  別

「越後タイムス」終刊の通

知を前にして、私は慟哭し

つゝ、この惜別文を綴るの

である。

 私の回想は遠く二十年の

歳月を遡る。當時私は、二

十歳の感傷傷心の一靑年で

あつた。

 腦髄は海月のやうに淫遊

し、生活の針路に定見なく

然も、徒らなる感激性を放

散しつゝ、危険極まる革新

思想に溺惑する。不良の徒

であつた。自分は消化しき

れぬ、文學、哲學の書を亂

讀しつゝ、一廉の文學者、

或は哲學者を以て自負し、

稚拙讀むに堪へざる、惡文

を草して、臆面もなく「越

後タイムス」に寄稿する程

の、思ひ上つた所業を敢て

したのである。思へば笑止

といふの他なく、誠に慚愧

の至りである。

 私が初めて、本誌に寄稿

したのは大正十年であつた

僕の戀愛觀」といふ短文

である。

 その後、葉月氏の好意に

甘へて、殆んど每號のやう

に愚文を投じ、昭和七年迄

書き續けてゐる。その間、

多少の消長はあつたが、タ

イムスに掲載された、私の

文章だけで、大型切抜帖に

二册分程あるものだから、顧

みて、よくも書いたものだ

と思ひ、又、よくも載せて

呉れたものだと、葉月氏の

寛大さに、今更ら乍ら、頭

が下る心地がする。

 當時私は一工業會社の靑

年社員であつた、相當繁激

なる事務を担當してゐたの

だから、淺薄なる知嚢を絞

つて、公刊紙に發表する文

章を草するといふことは、

過重の仕事であつたに相違

ないが、その頃私は、纖弱

なる内心に鞭ちつつ、睡眠

時間を割愛して、原稿紙に

向つてゐたのである。これ

が、世道人心益する大文

字であるとか、或は又、蓋

世の藝術的作品を創造した

とかいふのであれば、聊か

世に誇り得るのであるが、

私の書くものは悉く、有害

無益なる痴愚獨善の駄文に

過ぎなかつたのである。然

し、當時私が持續した、熱

情と根氣と、この二つのも

のは、私の人生修業の上に

相當な効果を與へて呉れた

ことは確である。

 既に私は、人生五十年の

過半を閱して了つたが、物

心兩面共に破瀾曲折を經驗

し乍らも、どうにか軌道を

外れずに、今日、安定した

その日を暮らすことが出來

るやうになつたのは、「越後

タイムス」あつたればこそ

の感が深いのである。つま

り、私は人間道塲の苦闘時

代に、本誌と四つに組んで

自分の力を强化したのであ

る。私は玆七八年間は、天

職に全力を傾注して、餘力

がないから、自然本誌から

遠ざかつて了つたが、然し

私の本誌に對する愛情と關

心とは、昔と少しも變つて

ゐなかつたのである。

 今、突然、廢刊の悲報に

接し、私は實に感慨無量で

恰も肉親に死別する思ひが

する。本誌が創刊三十年來

文化に貢獻した功績は、決

して一地方的のものではな

かつた。刊行の目的や趣旨

はどうであつたにせよ、本

誌の使命は、決して、單な

る、郷土的な、偏挾なもの

ではなかつた。形式は一地

方の週刊新聞であり乍ら、

その魂は、東洋的な大きさ

を包藏してゐたのである。

これは悉く、編輯同人――

就中、中村葉月氏の慧眼と

度量と熱情との然らしめる

ところであつて、その功は

三嘆すべきである。然るに

聖戰二年餘、忠勇無比なる

皇軍將兵と、銃後國民一人

殘らずが、大火魂となつて

興亞の大業に邁進した結果

當面の敵、背後の敵、おし

なべて殲滅、後退の徴が見

えて來た今日になつて、何

故に廢刊の悲運に逢着しな

ければならぬのだらうか。

 玉石混交の新聞統制の犠牲

としては、「越後タイムス」

は死んでも死に切れぬ、光

芒燦然たる存在せはなかつ

たか。噫無情とは、正に斯

くの如き時に吐露すべき言

葉であらう。

 現下非常時局にあつては

適切公正なる、諸般の統制

の必須なるは無論である。

然し、一利百害の兒戯に類

する統制は、飽く迄も是正

さるべきである。殺すべき

は殺し、生かすべきは生か

してこそ、天地大道を往く

ものである。

 私は現在我國に實施せら

れてゐる諸般の統制が、往

々にして、獨善殺生の統制

に隨落して、國民總親和に

背馳せるものあるを嘆いて

雜誌「科學知識」八月號に

樹上會議」なる一文を寄

稿したのであるが、今、最

愛の「越後タイムス」が、

無殘にも、その生贄となる

を聞き、公憤やる方なく、

又惜別の哀切に心かきむし

らるゝ思ひがするのである

 然し「越後タイムス」は

決して、この儘、吾われと

幽明境を異にして、亡び去

るものではない。近き將來

に於て、必ず再生の吉報に

接することあるべきは、私

の確信するところである。

どうか、その光明來る日迄

は、三十年の長日月を飛翔

して疲れを知らなかつた翼

を十分に休養せしめて、次

の新時代に雄飛すべき力を

培養せられたいのである。

(昭和十四年七月廿三日稿)


(越後タイムス 昭和十四年七月三十日 
          第一千四百三十一號 九面より)


#越後タイムス #昭和十四年 #中村葉月 #新聞統制 #休刊 #廃刊
#戦時統制 #戦時体制



越後タイムスの早い休刊の理由
※この記事をきっかけに雑誌「科學知識」への寄稿が三件見つかりました。



ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵


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