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「秋 影」跋

小田島君の作品のうちで、この「秋

影」は愛すべき小品である。わたし

は、この作品の藝術的價値について

は言ふべきなにものをも持ち合せて

ゐない。わたしはこれを、たゞ愛すべ

き作品であると思ふのみである。然

し乍ら、「秋影」一篇が愛すべき作品

であるからといつて、かならずしも、

それがいゝ作品であるといふことに

はならないのは言ふまでもないこと

である。わたしは小田島君の眞面目

な態度を好ましく思ふ。その幼稚さ

を愛らしく思ふ。小田島君の書くも

のは甚だ感傷的である。人生の泥沼

に沈みもがく者の持つ感傷ではない

美しき沼に舟をうかべて、春ぞらを

遠くみるものゝ感傷である。わたし

はさういふ幼稚なる感傷をあきだら

なく思ふものである。

又、小田島君の作品には新鮮なる感

覺がない。小田島君はどんな本を讀

んでゐるか知らないが、その作品に

新鮮なる感覺の、ほとんどないとこ

ろによると、わたしには小田島君が、

すくなくとも、よき本を餘り讀んで

ゐないとしか思はれないのである。

若しわたしの想像が事實とすれば、

わたしは、同君にもつといゝ本を讀

み給へといふのみである。アナトオ

ル・フランスの言葉に「わたしが人生

を知つたのは、人と接觸した結果で

はない。本と接觸した結果である」

といふのがあると、芥川龍之介氏は

その著書の一頁に書いてゐる。新鮮

なる感覺は、新鮮なる生活から生れ

るものである。新鮮なる生活とは、

わたしの意見に據れば、よき書物に

親しむ生活である。よき一册の書物

は十年のつまらない仮我の實生活に

まさることいくばくなるかを小田島

君は知つてゐるだらうか。

小田島君は純朴なる美しき靑年であ

る。わたしのやうな、ひがみ多き厭世

家の痴愚にひとしき意見は彼にとつ

て全く風馬牛であらう。

以上は「秋影」の跋である。


(越後タイムス 大正十四年一月廿五日 
      第六百八十六號 八面より)


※越後タイムスに掲載された、小田島東一郎「秋影」のあとがき。


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